【イシスの推しメン/9人目】水処理プラント設計者・内海太陽が語る、中小企業経営者にこそ「日本という方法」が求められる理由

2022/12/04(日)09:00
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内海太陽

ロジック、数字、合理性。経済合理性ばかりが求められるこの時代、イシス編集学校には「方法日本」を携え、世に打って出た一人の男がいた。イシスの推しメン9人目は、播州姫路に小さな砦を組んで、日本的経営哲学を探究する意気に溢れる快男児だ。

イシスの推しメン プロフィール 

内海太陽

ウツミシステム株式会社代表取締役。兵庫姫路で水処理プラントの設計製造販売をおこなう。大学院時代に松岡正剛を知り、2006年、イシス編集学校基本コース15期[守]に入門。経営者としての武器を求め、10年の時を経て応用コース36期[破]へ復帰。以後、26期[花伝所]を経て、39[守]プロセス・ベース教室、43[破]合氣プロセス教室の師範代を務め、2022年は37[花]錬成師範として登板中。会社ウェブサイトには編集学校師範代の経歴を刻む。

聞き手:エディスト編集部

 

小さな組織で柔軟に

 独立前に再読した『知の編集工学』

――内海さんは、花伝所の入伝式のときから「珍しいお仕事をされているな」と気になる存在でした。具体的にお仕事のことを教えていただけますか。

 

「水処理」に関わる仕事を引き受けています。小さなものでいえば、工場の排水を処理するための薬品を売ったり、大きな案件では数千万円のプラントを設計製造したり、ですね。最近は、和歌山のシラス工場で発生する茹で汁の処理をお手伝いしています。

 

――シラスの茹で汁?! あの小魚のシラスですか?

 

そうですそうです。魚を茹でただけの水ですから、規模が小さければそのまま川や海へ流せるかもしれませんが、大きな工場になるとそうはいかないんですよ。浄化して自然に戻す必要があって、ぼくたちは化学薬品に頼らずに処理するために、微生物の力を借りた仕組みを設計している最中です。この仕事は、実証実験から、設計・製造や現地工事まですべて請け負って、数年単位のプロジェクトですね。

 

――いまは独立されて8年目なんですよね。どうして独立を?

 

柔軟性が欲しくなったんです。以前も水処理に関わる会社に勤めていました。ひとくちに水処理といっても、たとえば食品工場の排水なのか、原発に汚染された水処理なのかなど、現場の状況によってまったく仕事の内容が変わります。ですが、大きな企業だとどうしても自社の都合が優先されてしまって、本質的な解決に最善を尽くす以外の労力は甚だしいわけで、それがどうにももどかしかったんです。その都度その都度、お客さんやその場の問題に対してベストを尽くすためには独立するしかないなと思って。

 

――イシス編集学校に入門されたのは2006年、ちょうど独立を考えていたころなんでしたっけ。

 

はい。水処理の仕事に関わるまえは経営コンサルタント会社に勤めていたので、コンサル業をメインに独立することも想定していました。コンサルとして働くならユニークネスが絶対に必要だと考えて、そのときに思い出したのが『知の編集術』だったんです。

 

――すでに松岡正剛校長の著作を読んでおられたんですね。

 

大学院のとき知識科学研究科というところに通っていて、そのときに出会ったんです。学部生の頃は機械制御からロボティクスが専門でしたが、大学院の研究科では何かを動かす原動力となる「知識」というものを原理から改めて思考するようになっていました。そんな当時に出会い、「この本にはすごいものが潜んでいる」とほんのり感じていました。そこで独立をまえに、自分の武器にするならばこれだろうと思って読み直したんですが、じつに驚きましたね。「知識」という扱いづらいものを極めて具体的にハンドリングする方法が提示されているんですから。

 

――おぉ。たとえばどんなところにビビッときました?

 

ひとつあげるなら、情報を《分子と分母》に分けてとらえるという方法ですね。本には、「今日は寒い日だね」という情報を《分子》として、《分母》の情報が「夏」なのか「冬」なのかによって、「寒いね」の意味が変わるっていうことが書いてあったんです。「知識を制御している感じや!」とその方法の具体性に感動しました。

 

――情報を《地と図》で捉えるという方法は、編集工学の基本の基本ですね。

 

これが面白かった。この本を読むまでは、「知識」をテーマに扱う本なんて、眠くなるような哲学書しかないもんだと思いこんでいましたから。これはすごいぞと思って、巻末に書いてあった「イシス編集学校」を検索してすぐさま入門しました。

 


独立を期する男にスパルタコーチ?!

 「教える」こそ「学ぶ」の近道だった

 

――それほどの期待を持って入門されたら、さぞ充実した[守」での稽古体験だったのでは。

 

……それがねえ(笑)。最初は面白かったんですよ、もちろん。でも正直、3ヶ月目くらいから難しくなって、結局挫折しました。

 

――なんと。

 

その頃は文章も書き慣れていなかったですし、師範代もなんだか厳しくて(笑)。いちおう卒門はしたんですが、基本コース[守]程度でひいひい言うてるぼくには、応用コース[破]へ進む気にはなれず、それきりになってしまいました。

 

――それは無念でしたね。でも10年の時を経て、なぜか[破]へ挑戦。

 

そのときは独立の直前で、すごく急いでいたんです。とにかく武器が欲しかった。並み居る独立系コンサルというライバルに対抗できる力が欲しかったんです。イシス編集学校に滑り込んだら何か手にできるのではという淡い期待があって、[破]から復帰しました。

 

――編集学校で手に入れようと思っていた武器はなんだったんでしょう。

 

「言葉」ですね。コンサルテーションって人に何かを伝えることなので、人とは違うコンサルを目指すならば、花伝所で学ぶコミュニケーションの方法が役立つだろうと狙っていました。

 

――花伝所での学びは、推しメンのみなさんも口を揃えて役立つとおっしゃいますね。イシスが特徴的なのは、学んだあとに実践の場があること。「師範代」として教室に立つことで、その学びを血肉化していきますよね。

 

本来はそうなんですよね。でも当時のぼくは、とにかく急いでいたので、花伝所を修了することがゴール、実践は仕事で、と考えていました。だから、師範代に登板するよう声がかかったときは正直迷いました。

 

――迷いつつも師範代として教室を受け持ったときはどうでしたか。

 

イシス編集学校では「師範代」一人ひとりに、専属の「師範」が伴走してくれるんです。ぼくのときは村井宏志師範がついてくださり、指南の仕方だけでなく、お題の読み解き、型の理解まで猛烈にしごいてくれました(笑)。そのおかげで、4ヶ月目にもなると出張先のホテルで24時間指南を書くのが楽しいと思えるほどの指南ハイになっていました。

 

――村井師範とのコンビが良かったんですね。

 

まあ最初は大変でしたよ、なんて細かいことを言う人なんだろうかって(笑)。でもぼくに対してここまで熱意をもって接してくださる姿を見て「ついていこう」と身を委ねました。

 

――編集学校は「教える」と「学ぶ」を分けませんよね。教える側こそいちばん学ぶという学習の真髄を体験なさったんですね。



世界を動かすのは中小企業経営者

 西洋ロジックに応戦するイシスの哲学

 

――会社経営に、イシス編集学校での学びはどんなふうに生きていますか。

 

自分の会社の理念を言葉にできるようになりました。環境関係の仕事って、儲かりにくいものなんですよね。ぼくらがお手伝いするのは、生産につながる設備ではないことが多いので、企業もさほど積極的に取り組むわけじゃないんです。だから、儲かる/儲からないという軸だけではなく、「なぜこの対策をするのか」という根本的な理由を言葉にできないと、ぼくらの提案は受け入れてもらえません。

 

――たしかに、「地球にやさしいです、でもここに投資しても儲けには直結しません」という表面的なことだけしか言えなかったら、お仕事にはならなそうですね。

 

そう、その根本的な理由を考えるときの思考の下支えをしてくれるのが編集学校での学びです。たとえば、環境問題に取り組むとき、現場での問題解決は工学的な検討になりますが、それ以前の「なぜ」を考えるなら社会性や経済性から理学的発想まで、幅広い思考がなければ自然と人のあいだに横たわる問題へ切り込めません。ならばいっそ、江戸の文化が持ち込めないかと発想するとか。そういう発想ができるようになったのは、イシスのおかげですね。いま自分の会社の経営理念ははっきりと言葉にできていますが、編集学校に通っていなかったら無理だったと思います。

 

――江戸というお話が出ましたが、内海さんは「合氣プロセス教室」という教室名を背負っておられたように、合氣道がお好きだとか。

 

もともと日本文化に興味があったんです。合氣道を始めたのは独立してすぐのときでした。デスクワークが続いて、身体がおかしくなっていたんでしょうね。熱帯夜に冷房を消して寝ているのに、寒くてガタガタ震えながら目が覚めることがあって、これはまずいと思ったのがきっかけでした。それに、現場ではイカツイ人とも渡り合わなければならないですから、接近戦にも強くなりたいと思ったんです。合氣道を始めてまだ3年ですが、学んでいると神道や仏教など周辺の領域への関心もどんどん深まってきています。

 

――経営コンサルタントといえば西洋的なロジカルシンキングが求められるかと思いますが、内海さんの場合はそこに「日本という方法」をプラスしておられるようですね。

 

もともとぼくは、左脳の計算だけですべてを組み立てるような西洋的価値への懐疑がありました。世の中にあふれるコンサルティング手法も社会人教育も、経済性一辺倒のものかその真逆のユートピアに生きるスピリチュアルなど、描く理想もそこに至るプロセスもあまり本質的でも長い目線での未来を見つめられているような気もしませんでした。でもぼくらのルーツにあるもっと日本的なものを活かすことに、実は多くの答えが潜んでいると感じていて、だからこそ日本という方法を根っこにもつ編集学校で学び続けているのだと思います。

 

――「MBAよりイシス」と考えておられる江野澤さんに通じるものがありますね。

 

ええ。社会人に限らず子供にまで、学習したり成長を目指すときに、「方法日本」はとても有用だと改めて感じています。最近、休みの日には子どもにテニスを教えているのですが、そんなときにも世阿弥の『風姿花伝』の言葉が思い起こされるんです。いま、この子は「時分の花」を咲かせているな、とか、ならばこの部分はまだ伏せておこう、とかね。例えば子供たちがスポーツをするのには、身体を鍛えたいという思いがあるでしょうし、試合に勝ちたいというモチベーションもあるとおもいます。ただ、そういった観点だけに成長や変化のターゲットを置いていいかどうか。今社会があらゆる価値観を揺さぶられる中、子供も大人もどこへ向かっているかを見失っているかもしれない。そんな中だからこそ、本当に豊かな生き方や、求めたい精神性がどこにあるかが海外などのソトよりも日本のウチにあるように感じています。

日本文化を経営などに反映するのはたしかに難しいのですが、絶対に残さなければならないとどこか直観的に感じているところがあって、実際の場面でどう使おうかよく考える日々です。

 

――日本の本来と将来を背負って、日々のお仕事をなさっているお姿が侍のようです。イシス編集学校はどんな人に勧めたいですか。

 

あぁ、そりゃもう、あらゆる人に学んでもらいたいですが、中小企業の経営者にはとくにおすすめしたい。ぼくは中小企業の方々こそが世の中を支えていると思っていまして。たとえば商工会議所と編集学校がタッグを組んだら、日本が変わると思いますね。編集学校で学ぶ日本という方法に、日本の将来があると確信しています。

内海太陽

 

アイキャッチ:富田七海

 

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  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。