【AIDA】シーズン1[対談セッション]石弘之*松岡正剛*大澤真幸 Vol.2:生命の定義を変えるーー「連続的なるもの」の生命論

2022/11/15(火)08:45 img
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今年もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]の季節がやってきた。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、2022年10月Season3が開講を迎えた。今期のテーマは「日本語としるしのAIDA」。新シーズンの到来とともに、過去シーズンのボードメンバーからの声に耳を傾けてみたい。

 ※内容は取材時のもの


 

2020年11月14日(土)、編集工学研究所のブックサロンスペース「本楼」で行われたHyper-Editing Platform [AIDA]シーズン1「生命と文明のAIDA」の対談セッションの模様をお届けします。地球環境史に造詣の深い石弘之さんと編集工学研究所所長でHyper-Editing Platform [AIDA]座長の松岡正剛が、生命の定義に迫ります。対談の最後には思想家の大澤真幸さんも参加、人間社会のあり方の根本を考え直す議論が展開することになりました。

 

石弘之(いし ひろゆき):1940年東京都生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞入社。ニューヨーク特派員、編集委員などを経て退社。国連環境計画上級顧問。1996年より東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授、東京農業大学教授を歴任。この間、国際協力事業団参与、東中欧環境センター理事などを兼務。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。主な著書に『地球環境報告』(岩波新書)、『森林破壊を追う』(朝日新聞出版)、『歴史を変えた火山噴火』(刀水書房)など多数。

 

松岡正剛(まつおか せいごう):1944年1月25日、京都生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化した「編集工学」を確立、様々なプロジェクトに応用する。2020年、角川武蔵野ミュージアム館長に就任、約7万冊を蔵する図書空間「エディットタウン」の構成、監修を手掛ける。著書に『遊学』『花鳥風月の科学』『千夜千冊エディション』(刊行中)ほか。

 

だから、最後に神を信じる科学者と、全く信じない科学者に分かれるわけです

 

生命観の基礎に「連続性」を置いてこれからの地球環境を語り合う2人。「対称性の破れ」「自己組織化」「神」をキーワードにしながら、彼らの対話は「人間」に比重を置きすぎた生命史、環境史の批判に向かっていく。

 

石弘之、松岡正剛

 

松岡 植物そのものから植物を含む環境へ関心が拡大していったということですが、環境というのはこの場合、どういう環境のことなんですか。

 

 「あの植物がなくなったら、こんなことが起きた」という意味での環境、つまり自然環境のことで、たとえば、身辺から地衣類(コケに似た植物)が姿を消したら、一挙に大気汚染が悪化したとか、日本産のタンポポがいつのまにか、ヨーロッパ産のタンポポに入れ替わっていた、とか。そういう変化に気がついて、「これはいかん、何かが起きているんじゃないか」と感じたんですね。

 

松岡 「キャベツ畑とモンシロチョウ」みたいな、そういうやつですね。

 

 モンシロチョは外来種なんですよ。弥生時代あたりに日本に渡ってきたんでしょうけれどもね。そんなことを調べているうちに、どんどんのめり込んでいきました。

 

松岡 現在は、気候変動問題も含むいわゆる環境危機が非常に注目されている時代で、石さんが昔から環境問題を気にしていらっしゃったことはもちろん分かるんですが、石さんの考えにはぼくには何かもっと深いものを感じます。石さん特有の自然観に潜むラディカルさというんでしょうか。

 

 植物が好きで好きでたまらない少年の目の前から植物が消え始めて、「これはやばいぞ」と思ったということなんじゃないでしょうか。

 

松岡 『自然界の密航者』(朝日新聞社)にまとめられているように、外来植物であるセイタカアワダチソウの繁殖調査などもやっておられましたね。

 

 セイタカアワダチソウは、たぶん、私が最初に紹介したんだと思います。

 

松岡 ええ、有名です。

 

 ただ、アメリカに行くと日本産の外来植物がいっぱいはびこっているわけですよ。日本ではとても愛らしい花とされているのが、アメリカではとんでもないクリーチャーと思われていることはザラにあります。

 秋の七草に葛(くず)がありますね。ピンクの花が咲くツル性の多年草ですけれども、これが日本からアメリカに運ばれて南部でものすごい勢いではびこりましてね、葛退治の大統領の直属委員会まであるんですよ。それくらいはびこっているんです。だから、あまり(日本での外来植物である)セイタカアワダチソウの悪口を大きい声では言えないわけです。

 それからもう1つ、実はセイタカアワダチソウはいま、日本からどんどん消えているんです。なぜかというと、本家のアメリカから昆虫とか菌類などのセイタカアワダチソウの天敵が入ってきているから。天敵がいない時はあれだけ繁殖したのに、今、日本ではどんどん減っている。そのうち、本来のあるべき環境に落ち着くのではないでしょうか。

 

松岡 このHyper-Editing Platform [AIDA]では、今年は「生命と文明のAIDA」というテーマをセットしてみたんですけれども、ぼくが石さんのお話の中で「そこだ」と思い、また皆さんにも「そうだ」と思ってほしいのは生命の定義を変えないと駄目だという問題意識なんですね。ぼくはずっとそんな風に感じてきたわけですけれども、石さんは、生命の新しい定義として、どんなイメージを描いておられますか。さきほど、連続的なものになるっておっしゃっていましたね。

 

 連続的なものですね。

 たとえば、男女をどう区別するかというと、エストロゲンというホルモンの分泌量で区別する。国際オリンピック委員会(IOC)はエストロゲン検査をやっています。同じように、ウイルスの定義も生命体と非生命体の「きわ」で議論されてきています。私たちは白か黒かという議論にハマり過ぎたんじゃないかという気がするんですね。

 

松岡 もともと生命とは物質でしかなかった。たまたま太陽系の第3惑星にエマージング(発現)しました。その時、おそらく、物質が持っている情報のパターンを、A・G・ケアンズ=スミス(『遺伝子的乗っ取り』 – 千夜千冊 1621夜)は「テイクオーバー」、つまり、「乗っ取った」という言い方をしていますけれども、何か柔らかい鉱物的な粘土質のところに、その物質が持っている、メタフォリカルに言えば、プログラミング言語のようなパターンを、シアノバクテリア(光合成を行う原核生物)か何か分かりませんけども、初期の生物、後に生物とみなされるものが持ったんだとすると、その最初のところがぼくには、ものすごく情報的だったと思えるんですけど、そこはどうご覧になりますか。

 

 皆さんは狂牛病、牛海綿状脳症(BSE)をよくご存知だと思います。「プリオン」というすべての動物の神経の働きを支えているタンパク質が、何らかの原因で異常な構造になったことがBSEの原因だという説が有力です。タンパク質の折りたたまれ方を誤ったようです。だから、病気を起こすのは必ずしも病原菌とか病原ウイルスだけではない。タンパク質でも起こしうる。 

 最近面白い論文を読みました。パプアニューギニアのフォア族には、葬式の際に死を悼むためにその体の一部を食べる「食人習慣」が1950年代まで残っていました。彼らには「クールー病」というプリオンが原因の致死性の風土病がありました。食べた脳みそから感染したのですね。ただ、この流行で彼らはプリオンが原因のさまざまな病気に耐性をもったそうです。「タンパク質」への耐性とはどんなものなのでしょうか。興味深いですね。米国の医学者のD・ガジュセックがクールー病の解明でノーベル生理学・医学賞(1976年)を受賞したものの、児童への性的虐待で逮捕されて刑務所に入りました。政治犯以外で刑務所入りした最初のノーベル受賞者かもしれません。

 

松岡 ステートが起こすんですね。

 

 最初に始まった(発生した)有機物が、何らかの形で自己複製能力を持った。

 

松岡 そこですね。

 

 なぜ自己複製能力を持ったのか。神の業(わざ)か、それとも何か、ものすごい試行錯誤を繰り返しているうちにヒョコッと登場したのか。私たちの周りの至る所にウイルスがいるというのは、結局そこなんですね。

 

松岡 対称性が破れる、パリティが破れる、鏡像性が動く、というのはウイルスの発生については非常に大きいでしょうね。ウイルスや先ほどのタンパク質だけではなく、おそらくもっといろんな所で起こっている。結晶においても同じことが言えるのではないでしょうか。

 

 その通りですね。

 

AIDA実施風景

 

松岡 子供の頃にぼくがものすごい影響を受けた人に牧野富太郎、野尻抱影、中西悟堂を挙げましたが、科学者として最初に大きなインパクトを受けたのは、読者としてはシュレディンガー、実際にお会いしたのは湯川さんと南部陽一郎さんです。

 南部さんは日本を捨てて、シカゴ大学に行ってしまわれた。「なんだよ、日本は」って思っておられたと思います。そのことにぼくは心を痛めながら、時々お会いしていたんです。

 その南部さんに教わったことが、spontaneousな(自発的な、自然発生的な)自然の対称性の破れです。それで最後にノーベル賞をお取りになりました。最初はどうしても分からなかったんです。先程の、たとえばタンパク質の対称性が破れることも、それからもともとルイ・パスツールが酒石酸(しゅせきさん。酸味のある果実、特に葡萄、ワインに多く含まれる有機化合物。ヒドロキシ酸)の右旋性と左旋性が人工と自然では分かれるということも。電気に右手と左手があって、合うと合わないというのがあり、それはなんとなくは分かるんですが、実際にはいったい何が起こっているのか、南部先生に聞いてみました。

 実はその前にファインマンに会いに行って、話を聞きました。ファインマンは「それを自分が説明できるなら、きみにしないで世界中にするよ」とおっしゃられた。

 

 ファインマン教授にお会いになったんですか。

 

松岡 会いに行きました。この人には会わなきゃいけないと思って。あとは抗生物質を発見したルネ・デュボスにも。

 

 素晴らしいですね。羨ましい。

 

松岡 それで、ファインマンがそう言っていると南部さんに話したら、それはやっぱり光と電子と物質と、それから配置とエントロピーだと。今は概念としては別々だけれども、一緒の状態を想定しない限り、説明はできない、と。で、南部さんがぼくに「一緒の状態を想定できますか」と聞くので、「いえ、できません」と答えたら、「それがなんとなく実感できてから、またお話しします」と言われました。その後も何度かお会いして、少し分かってきたことは、どうも「こういうこと」ではないかと思うんですよ。

 つまり、宇宙というのは全きランダムネスというものを持っていた、と。

 砂をバッとばらまいたり、複数のビー玉を放り投げてもオーダーは生まれないものです。だけど、わずかに畳の摩擦力とか、当たり具合とかで、3つぐらい並ぶことがある。あるいは2つくらいがくっついたりする。もともと何かが始まるのはオーダーですよね。オーダーが発生する前は何だったかというと、ランダムです。あるいはノイジー。だけど、オーダーが発生した瞬間に何らかの影響が次から次へと出てくるところがあって、どうも南部さんがおっしゃっている対称性の破れというのは、先に対称性がなんとなくランダムなカオスからできた瞬間の後にその対称性の破れができて、それがオーダーになって今日まで来ているということなのかな、と感じるようになってからやっと、今日の話につながります。

 だけど、だとすると、遺伝子ができあがる前に遺伝子ATCG型に動いていけるようなオーダーをランダムのところから用意した「何か」がいる。それがぼくは「RNAウイルス」かなと思っているんですけれども、それはどう思われますか。

 

 たぶん、そういうことなんでしょうね。生命が誕生する必然性はないわけですから。

 

松岡 ないですね。必然性ゼロです。

 

 暑くても50度、寒くても零下50度くらいの、宇宙の中では極めて幅の狭い、そこにたまたま地球が位置したことから始まるわけです。

 

松岡 そうですね。

 

 それで月ができて、月のおかげで地球の自転が安定する。そんないくつかの偶然、奇跡が重なった。最後の奇跡が、そこに自己増殖できる有機物が発生して、しかもそれが進化という過程を経て、今日の人間まで行き着くことだった。その過程もやはり、さっき松岡さんがおっしゃったように自動的なものではなくて、ウイルスが関与したりしながら、いまの地球、動植物、人類につながっていく。

 

松岡 石さんは自己組織化(セルフオーガナイゼーション)はどんなきっかけで起こったと思われますか。

 

 それこそ、総当たりで起こったのではないでしょうか。

 他人のコンピューターを開くためにはどうしてもパスワードが必要になります。パスワードを知らない人はどうするか。総当たりをします。パスワードが4桁の英数字でできているとしたら、すべての組み合わせを試してみる。人間がやると、とんでもなく時間がかかるけれど、スーパーコンピューターが計算すれば短時間でできる。

 そういう風にあちこちで総当たりをやっている中から、1つがうまく生き残ったんじゃないかという気がします。

 ウイルスが他のたとえば人間の細胞に感染する時は、総当たりをやるわけですね。彼らは1日で数万回分裂しますから、数万の変種ができます。そのなかで、うまい具合にパスワードをパッと見つけた奴が人間の身体に入り込める。普段はシャットアウトされていて入れない。

 

松岡 そして自己組織化が起こる。ウイルスは自己(セルフ)という仮想のものをもとにして遺伝子を複製するわけですが、その「自己」も妙なものですよね。

 

 それはまさしく永遠の謎じゃないでしょうか。だから、最後に神を信じる科学者と、全く信じない科学者に分かれるわけですよ。神を置かないとどうしても説明がつかないことが、サイエンスの各分野にあるわ

けです。

 

松岡 そうですね。神がいた方が便利です。「自己」じゃなくて、全知全能の存在がいた方がね。

 

 そうなんでしょうね。そこで論理が自己完結しますからね。だから、神を持ってこないと、なぜ、こんなことが起こりうるんだろうかと悩むことになる。これは「おそらく何億分の1の確率だったら起こるかな」という話になっちゃうけど。

 

松岡 そこでウイルスと免疫が脚光を浴びてくると思うのですが、なぜ自己組織化が起こったかはやはり謎だと思います。

 ぼくもまだよく分からないのですが、ただ、生物が総体から個体になり、非自己というものを取り入れることによって「自己=セルフ」を形成するという、さっき石さんがおっしゃっていた免疫ができていることと、ウイルスというのを、これからの人類の文明を考える時の素材としてぼくはエントリーさせたい。

 もう1つ、ウイルスは細胞がなく、遺伝子だけでやってきて、「お前の細胞を借りるよ」って(細胞を)使う側に回る。あれはやっぱり「自己」を持っていないからできているとも言えるわけですよね。

 

 なるほど。多分そういうことになるんでしょうね。

 私たちの多くは、ウイルスは悪いやつだ、人間はいつかウイルスに打ち勝つと思っているわけですけれども、もしかしたら打ち勝てないかもしれません。

 

松岡 打ち勝てないんじゃないですかね。

 

 ネアンデルタール人が絶滅したのは、もう4万年前のことですけれども、非常に強力な感染症にやられたのではないかという話があります。私たちの先祖は彼らと交雑していろいろな遺伝子をもらった。その中に、コロナウイルスに感染した時に重症化するのと軽症ですむのと、相反する遺伝子があったのですね。

 ヨーロッパの新石器時代は突然終わるんですよ。当時の人間の遺伝子に古いインフルエンザウイルスが残っていないか探していったら、ペスト菌も遺伝子があったんですね。だから、たぶん、新石器時代が突然止まってしまったのは、パンデミックが原因だったと思われます。その具体的な証拠が「やっと」と揃ってきたところです。

 そうすると、今までの世界史は人間中心主義的で、お金の話とか権力関係の話で進んでいたけれども、もしかしたら、人類の歴史にはウイルスが強く関与していたんじゃないだろうかという仮説が出てきます。

 

松岡 そうだと思います。ぼくは別に悲観しているわけではないんですが、感染症はなくならないと思っています。ウイルスはこれからも存在し続けるでしょう。

 

次回に続く…

 

 

撮影:下川晋平
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)

 

※2021年4月5日にnoteに公開した記事を転載


  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。