【続報】多読スペシャル第6弾「杉浦康平を読む」3つの”チラ見せ” 

2025/06/03(火)08:00
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募集開始(2025/5/13)のご案内を出すやいなや、「待ってました!」とばかりにたくさんの応募が寄せられた。と同時に、「どんなプログラムなのか」「もっと知りたい」というリクエストもぞくぞく届いている。
通常、<多読スペシャル>では、内容の詳細は開講まで“おあずけ”なのだが、熱い期待の声にお応えして、今回は特別に、ほんの一端だけ、プログラムの特徴を”チラ見せ”したい。
重畳性、複合性に富む杉浦康平にどこから、どのようにアプローチするか。これがなにより「杉浦康平を読む」ための肝になる。その視点を3つ、ご紹介。

◎『ヴィジュアルコミュニケーション』から『万物照応劇場』へ
◎杉浦デザイン語法――乱視的世界像と一即二即多即一
◎『遊』にはじまる――杉浦≒松岡 コレスポンダンス

 

 

◎『ヴィジュアルコミュニケーション』から『万物照応劇場』へ
アジアの森羅万象を生み出す“多主語的なるもの”を、杉浦康平はいかにデザイン言語に転換してきたのか。
『万物照応劇場』シリーズにこそ、その秘密が潜んでいるが、そこへ至る探究の旅は、じつは『ヴィジュアルコミュニケーション』(「世界グラフィックデザイン体系 第1巻」講談社)という一冊から始まっていた――。

若い頃(1976年)に『ヴィジュアルコミュニケーション』という図解がいっぱい集まった本を編集していますが、いつもあれくらいのイメージや図の物量が日々更新されて、私の頭の中や身体中を駆けめぐってゆく…。
――『杉浦康平のアジアンデザイン』

アジア的なものは何を教えてくれたのかというと、物が生まれ出るときにはいろんなものを無数に引きずって現れるのだ…ということです。すっきり、さっぱりとした顔で「はい。こんにちは」と出てくるんじやない。ざわざわといろんなものを連れ添って現れる。そのざわめきを形にしてみたいというのが、私のアジアをテーマにしたデザインの骨子になる。ざわめきとともにある生命観といったものの萌芽が、この場にも現れているということかな…
――『疾風迅雷』(松岡正剛との対談:「意表」と「ざわめき」より)

 

 

◎杉浦デザイン語法――乱視的世界像と一即二即多即一
「乱視的世界像」と「一即二即多即一」。
この二つが杉浦デザイン語法の核心だ。
眼球は決してジッとしていない――。「乱視的世界像」は、雑誌『遊』の連載タイトルとして、松岡正剛が杉浦康平のために名づけた概念でもある。
「一即二即多即一」は、アジアにひそむホロニック・シンフォニーのグラフィックスコアであり、書物の構造がまさにそのコンセプトを実現している。

本はともかく動くものであり、変化するものだ…ということです。一冊では収まらず、シリーズものだと少しづつの変化を重ねて連続してゆく。こう見てくると、紙の束としての本は「一であり多であって、静であり動でもある」という矛盾する要素を一冊のなかに平然と併せ持つ。「変幻自在な構造体」なんですね。
――『杉浦康平のアジアンデザイン』

杉浦デザイン本ではそもそもの組み立てにおいて、「何が何からでるのか」ということ「何が何に及ぶのか」という“from-to”がたえず意図されてきた。(略)その手法と哲学はまことに多種多様、多彩多岐、多味多香にわたっている。そのために動員されたアイテムも尋常じやない。フォント選定、書き文字、引用図版、テクスチュア、罫の肥痩や濃淡、分配と分割、色彩の配置とずれ具合、地紋のあしらい、ノイズの導入、ギュメの強調、小口の表情、背表紙と見開きの連動、ときには帯とヴィジュアル・コノテーション(視覚的含意)……などなど、ありとあらゆる要素と見え方の可能的関係が動員され、考慮され、大胆果敢に組み合わされてきたわけだ。
――『脈動する本』(松岡正剛「わが宿は四角な影を窓の月」より)

 

 

◎『遊』にはじまる――杉浦≒松岡 コレスポンダンス

『遊』『ヴィジュアルコミュニケーション』『全宇宙誌』などの編集デザインにおいて、杉浦康平と松岡正剛は実際にどのような身ぶりと言葉を、どのようなインタースコアを交わしていたのだろうか。
対談や著作など厳選した記録を手がかりに、杉浦≒松岡のコレスポンダンスを再生し、編集工学の新たな可能性を浮上させる。“SMコンビ”へのオマージュを込めて――。

70年代になると…、あるいは直前の68年くらいだったかな、私の前に松岡正剛さんが現れた。『遊』の第1号(71年1月号)に「視覚の不確定性原理」というテーマで松岡さんからインタビューを受け、思いつくままにずっと話したわけなのですが、あの中でもそうした微振動的な話題がいっぱい詰まっていて、どこに向かって展開していくのかわからない不確定対談になっています。70年以降は夜になると松岡さんが電話をかけてきて、深夜まで、むしろ明け方の3時頃まで、そういう話をし続けている…。だから仕事が終わった深夜は、そのような微振動的な世界観というものがいろいろな恰好で揺さぶられつづけ、昼間はそれをデザインというものに変換し、整理し直す…ということをやっていた。昼の部と夜の部の二重構造のような思考空間が、ある意味ではとてもいい訓練になったのです。
――『杉浦康平のアジアンデザイン』

各号の『遊』のデザイン・イメージはほとんど一瞬のうちに定着する。主題を告げる松岡さんとの深夜の交信、一本の電話線の波動の中で…である。
――『疾風迅雷 杉浦康平 雑誌デザインの半世紀』

 

冒頭にも書いたように、想像をはるかに超える、高い熱量の反響が寄せられている。
まだ迷っている方は、どうぞお早めに。まだ間に合います!

 


Info 多読スペシャルコース 第6回「杉浦康平を読む」


【受講期間】2025年6月28日(土)~8月10日(日)<6週間>
      「オープニング・セッション」6/28(土)
      *オンライン参加可
【受講資格】イシス編集学校 [破]応用コース修了者
【定員】30名 *定員になり次第、締め切りになります。
【受講料】99,000円(税込)
【お申込み】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_sp2025

 

「杉浦康平を読む」に決定! 多読SP第6弾【先着30名】

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg