【ISIS短編小説】一瞬の皹・日々の一旬 読み切り第六回 粉黛の倣い

2020/05/28(木)11:07
img

「なあ信さま、ここやここ、塗ってくんなまし」

撓垂れかかるような声がして、鯉籠の浅黒いうなじが信盛の眼前に差し出された。事終えた後の辛気にやられて面倒になったというよりは、甘える仕草で帰りにくくさせ、居続け賃をふんだくろうという腹らしい。二間続きの座敷には、沈香がしだらなく燻っていた。

「信さまが悪いんよ」と鯉籠が辛気混じりの呼気をこぼした。「しつこく首を噛むしぃね」

「鉄砲女郎でもあるまいし」裸に上田縞を羽織っただけの信盛は、うなじをちらりと見遣ったが、そのままごろりと寝ころんだ。「今夜もうしとり、客を取るんか」

「何言うんわぁ。わっちは色黒やから、喉から頤まで白粉たっぷりはたくんやけど、首と顔で色が違いすぎるなぁ、信さまの前で恥ずかしい。そんだけでおすぇ」

信盛の手の甲で、鯉籠の指がくるりくるりと丸を描いている。

「吉原籠りやけど、鯉が龍になるように出世しておくんなましと、鯉籠なんて映える名前をしこんでくれたんは信さま。振新のときから目ぇかけてくれて、昼三まで引き上げてくれたんも信さまでおすぇ。わっち、うなじに門左衛門さま命と彫ってもいい思うとるんどすぇ」

そうは云いながら、三回に一回は癪を理由に信盛をあしらうのが鯉籠である。“近松門左衛門”として虚構を売る信盛が、うなじに名を彫るなどという嘘を真に受けるはずもなかった。振新のときの純朴さはどこへ行ったなどとは言うまい。それよりも、勇名を馳せる“近松門左衛門”を篭絡する心地よさに浸っているのだろうか、物書きの憂さを忘れたいとする信盛の前で、平気で門左衛門と口走る鈍感さに、信盛は苛立つのだった。

「妓楼(ここ)では本名と、前々から言ってるだろう」信盛は腹ばいになって、声を荒げた。「じきに帰るから自分で塗ってくれ」

むっつりとした面長の鯉籠は眉間に皴を寄せ、ぷいと鏡に向けてせわしなく白粉刷毛を首に走らせていたが、意外にも鏡には、渇き切った乞食が慈雨を得たように歓ぶ信盛の顔が、朝日のごとく昇りつつあった。

「初春の令月にして、気淑よく風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」

「なんやのそれ」

「ぬしは気づかんうちに、わしを助けてくれるのう。うなじを見て、万葉集のくだりから白楽天に倣うことを思いついた。漸く筆渇きの牢から抜け出せそうだ」

信盛は、ここ二月ばかり書きあぐねている『弘徽殿鵜羽産屋』の構想を思い浮かべていた。花山帝に寵愛された弘徽殿は、懐妊から二年(ふたとせ)を経ても一向に出産の兆しがなく、内裏を出奔する。それを嘆いた花山帝が出家するくだりで筆が止まっていた。史実では、花山帝は藤原兼家の陰謀によって出家させられたのだが、これにどう虚構を絡めるかが憂さの種であった。

信盛は、うなじの地黒が白くなっていく様をみて、万葉集の『梅花歌』にある「梅は鏡前の粉を披き」を思い出し、さらに白楽天の『長恨歌』にも「六宮の粉黛顔色なし」があることに思いが至った。そうだ、『長恨歌』だ。唐の帝が、方士という道士に命じて、楊貴妃の魂のありかを訪ねたことに倣い、安倍晴明に弘徽殿の魂を探らせよう。しかし、魂のありかが分かったとて、弘徽殿をこの手に抱く世がないことを儚んだ花山帝は、家臣の生死を振り切って出家するというのはどうか。近松門左衛門となった信盛は、上田縞がはだけるのもかまわず、手習草紙に筆を走らせた。

「わっちのおかげで書けそうなんでしょ。お返しに、明日の昼までかまってくんなまし」

音もなく鯉籠は立ち、するりと着物を脱いで信盛の背に覆いかぶさった。信盛は背に、乳房の重みを感じていたが、信盛が筆を止めることはなかった。

「後宮の美女が化粧しても敵んせんでありんすから、わっちがいかほど白粉しても、楊貴妃には遠く及ばないざんすね。」

信盛は驚いて振り向き、鯉籠の眼球に揺らめく強かな灯火に慄いた。

「ぬしは『長恨歌』を知っているんか。白粉を塗らせようとしたのは、わしにそれを気づかせるために」

「わっちも禿のころから、伊達に仕込まれてるわけやないしぇ。お武家さまに振られんよう、漢詩のしとつやふたつは知らなければいけありんせんと言われてぇ。天子様を出家させるくだりで書きあぐねてありんすは、信さまの草紙をちろちろ見て分かってたんけれど、わっちを掃き溜めみたいにするんは、もう辛いどすぇ」

信盛は苦笑して、敵わんなあ、と息を吐いた。

「わしは教えられても万葉集でうろうろしたが、ぬしは直に『長恨歌』を思いついたんだろ。ぬしのほうが才があるかもな」

「天下の近松さまは、わっちごときに意見されるのは厭かと思うとりんしたが、そうでもないんね」

鯉籠の挑発であったが、今度は近松と云われても怒らなかった。

 

~型に拠れば~

 

第五回では、鏡から意味単位のネットワークを拡げたが、その中に「梅は鏡前の粉を披き」というものがあった。これは令和の出典元である万葉集『梅花歌』の一節である。『梅花歌』のプロトタイプを探ると、白楽天の『長恨歌』にある「六宮の粉黛顔色なし」に至り、さらに『長恨歌』は近松門左衛門の『弘徽殿鵜羽産屋』のプロトタイプであることも判明したことから、第六回は近松門左衛門の編伝とすることにした。

近松門左衛門における不足の発見として、『弘徽殿鵜羽産屋』を書きあぐねている状況を想定した。描きあぐねている状態からくる苛立ちを要素とすれば、逃避行動が機能として考えられるが、近松が盛んに遊女の取材を行っていたという記載から、その機能を吉原通いと設定した。ここで、物語をattractiveにする(第五回参照)を考え、近松お気に入りの遊女はプロである近松よりも発想力があり(=遊女の要素位置づけ)、事に身が入らない近松を見かねて(理由付け)、近松メモを盗み見て(見方付け)、打開策を伝授する(=遊女の機能、予測付け)という逆転を用意した。こうして遊女のサポートにより、書きあぐねの闘争を続けてきた近松は帰還を果たすのだが、近松の機能にも変化が起こり、遊女に一目をおいて我儘を言わなくなっている。

「梅は鏡前の粉を披き」が発端であるため、トリガーは遊女が鏡の前で白粉をはたくイメージとした。白粉というが際立つよう、としての遊女の肌は地黒とし、吉原遊女から、籠の鳥、籠の龍、恋と鯉、遊女の出世と登龍門(鯉が龍になる)といった意味単位のネットワークを拡げ、遊女に鯉籠という名を与えた。

 


  • 宮前鉄也

    編集的先達:古井由吉。グロテスクな美とエロチックな死。それらを編集工学で分析して、作品に昇華する異才を持つ物語王子。稽古一つ一つの濃密さと激しさから「龍」と称される。病院薬剤師を辞め、医療用医薬品のコピーライターに転職。