【田中優子の学長通信】No.05 「編集」をもっと外へ

2025/05/01(木)08:00
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 今年2025年3月30日(日)、私は日本女子大で「平和有志の会」主催の講演をおこないました。法政大学総長時代に面識のあった篠原聡子学長からのお声がけでした。ついでに言えば、篠原学長は建築家で、松岡校長と深い縁のあった隈研吾氏のおつれあいです。
 

 この講演は「国連の勧告にみる日本社会の姿―私たち女性が直面している課題―」という題名で、国連の女性差別撤廃委員会の勧告を詳細に説明する内容でした。講演の後、主催者は講演の感想をまとめて送って下さいました。その中に「相互編集」という言葉を使った感想が複数ありました。

 

 「価値観を固定させない相互編集の大切さ」「相互編集を意識していくこと、さらに中国への理解を深めていくことをやっていきたいと感じました」「知っていることの再確認+知らなかったことの気づき、無知をなくすことが重要だと思いました。相互編集が今日のキーワードになると思いました」「役割を絶えず相互編集し続ける社会が必要!私の流儀、価値観にとらわれず、様々に相互編集、という言葉が深く心に刻まれた。しかし、沁みついた日本なるものの本体が自分自身今一つ判然としない…。良い機会を与えていただき感謝です」「自国で食べられるようにすること、近隣諸国と対話を続けること、防災に力を入れること、というまとめがよくわかりました。相互編集ということばをおぼえておくことも」

 

 なぜ「相互編集」が感想に書かれたかと言うと、講演の中で使ったからです。しかしたった1箇所だけでした。役割の固定化、内面化からどう抜け出すか、というくだりでした。内面化された社会的価値観をどう相対化するかを語るにあたって、相互編集という言葉を使いました。それが聴衆の心に強く響いたのです。

 

 次の日曜日の4月6日は、大学生たちの男子寮「和敬塾」で講演しました。「生きることと学ぶこと」というテーマです。そこでは総長として大学憲章「自由を生き抜く実践知」を創った経緯を語り、今や必要なのは「編集的自由を生き抜く実践知」だ、と述べました。なぜなら、自分だけで情報を捕まえようとするとハイ・ディマンド・グループ(強い要求をする集団=宗教教団など)や陰謀論に引き込まれる危険がある。ネットでファクトチェックしたつもりになっても、フィルターバブルの中に埋もれ、何が本当なのか分からなくなり、結局はバイアスのかかった信念しか持てなくなる。社会全体に、自分たちは絶対に正しく、批判する人たちは悪だ、という考え方が広まり敵か味方かに二分しやすくなっているなど、今の社会の数々の危険な罠を伝えたのです。そして、この状況は知識の獲得や、「自分だけで考える」行動では乗り越えられないことを、強調したのです。

 

 そして、あらゆる生物が相互編集世界の中にいること、人は環境や世界や他者と相互編集しなければ、「今の自分」から自由にはなれないこと、編集能力によって知を自在に使いこなすことが必要になっていることを、伝えたのです。

 講演後はやはり、学生たちのみならず主催側の方々からも「編集力の意味が初めてわかった」と言っていただきました。

 

 この2つの事例から、イシスや編集力に特定した講演でなくとも、あらゆる講演で編集力について語ることができる、いや、今こそ語る必要がある、と感じたのです。松岡校長の編集力への確信とその能力を拓く方法は、もっと外で語ることができるのです。選択肢の固まった社会で人は、「相互編集」「編集的自由」という言葉や方法を求めています。

 

 それらが知られるようになった時に、次は、自由を獲得するための「型」の必要性を述べることになります。順番に、しかし力強く、イシスの方法を外に持ち出しましょう。

 

イシス編集学校

学長 田中優子

 

 

田中優子の学長通信

 No.05 「編集」をもっと外へ(2025/05/01)

 No.04 相互編集の必要性(2025/04/01)

 No.03 イシス編集学校の活気(2025/03/01)

 No.02 花伝敢談儀と新たな出発(2025/02/01)

 No.01 新年のご挨拶(2025/01/01)

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

写真:後藤由加里

  • 田中優子

    イシス編集学校学長
    法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。『江戸の想像力』(ちくま文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)、松岡正剛との共著『日本問答』『江戸問答』など著書多数。2024年秋『昭和問答』が刊行予定。松岡正剛と35年来の交流があり、自らイシス編集学校の[守][破][離][ISIS花伝所]を修了。 [AIDA]ボードメンバー。2024年からISIS co-missionに就任。

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コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg