ヘンシュー型にむかってみると ― 44[守]伝習座講義録【後編】

2019/11/18(月)15:35
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 習慣や周囲に合わせて行動してしまう。そこで、モンキリな言葉を口にしてしまう。けれど、どんな言葉やマニュアルにも、本来の意味や意図がある。モンキリな言葉のイメージも、情報の組み合わせでできている。
 できあがったモンキリな意味を分解して、“そもそも”へと迫ってみる。ヘンシューの方法で組み立てられた情報を動かせば、見方が変わり、発見にいたる。

■モンキリをキリわける
 情報は「図」と「地」にわけられる。「地」は、人生・思想・文化といった背景、会話や物語の文脈にあたる。「地」を変えると、受け手のイメージが異なってくる。

 紋切型の言葉も、小さな子供が発すれば、大きな驚きや感動として伝わることもある。

 

  『文章心得帖』(鶴見俊輔、ちくま学芸文庫)
  「ありがとう」「おはよう」、子供が、最初に言う言葉に「マ

  ンマ」というのがあります。それらはみんな紋切型の言葉です。
  しかし、1歳、2歳の子供が紋切型の言葉を使うときには、躍
  動があって、自由な生命の動きというものがある。

 

  話す・聞く・読む・書くを中心に考えられがちなコミュニケーション。実際は、身振りと言葉をの組み合わせや、サインや合図のたぐいもある。
  『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』は、伝える不自由さに直面しても、それを超えれば新たな方法があることをしめす。

 

  「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
    真っ暗な中で、視覚障害者のコミュニケーションを体感する。

  「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」
    無音の中で、聴覚障害者のコミュニケーションを体感する。

   http://www.dialoginthedark.com

 

 

■「らしさ」とヘンシュー
 どんな意味も単独では成り立たない。意味の輪郭は、情報の対比や関係性から生じる。辞書によって言葉の説明が異なるように、それは輪郭をしめすのみで、厳密な定義というものは成立しない。
 あくまでも「っぽい」「~らしい」といったとらえ方による。「わかる」の目安は、次の編集が起こせるかどうかにかかる。たいていの場合「らしさ」を把握すれば、つないだり、かさねたりすることができる。次の編集へと向かえる。
  たとえば「カブキ」というカタカナの言葉から、どんなイメージが浮かぶだろうか。歌舞伎を連想すれば、伝統・派手・大袈裟などが挙がり、語源の傾く(かぶく)に気づけば、婆娑羅・ヤクザへとつながる。傾者(かぶきもの)の立場や心理にまで思いを馳せれば、危うさや弱さもカブキに含まれるかもしれない。

 

  1543夜『弱いから、好き』(長沢節、草思社文庫)
  マイナスとマイナスがふと引き合う時が最も美しく、真の優し
  さが生まれるとばかり考えてきた。

 

 ブランディングもまた、「らしさ」をつくり、共感や価値を広く伝える。社史、ストーリー、製品の特徴、ライバルとの違いを強調する。「らしさ」は、言葉とモノや現象をやわらかくつなぐ。
 自動車のマツダは、デザイン部門でイメージを共有するためのオブジェを制作した。それをデザイナー間で共有し、「魂動デザイン」というコンセプトをつくり上げた。

 

  『デザインが日本を変える』(前田育男、光文社新書)
  大事なのは、カタチと言葉、まるで車の両輪のように2つが並
  び揃ってこそ初めて相手を動かす力が生まれる

 

 

■ヘンシュー型でパサージュする
 『私以外私じゃないの』(ゲスの極み乙女)という歌もあるけれど、私たちは日々変化し続けている。仕事・家庭・趣味などでも、多様な役割がある。
 「たくさんのわたし」に気づき、受け止め、さらに広げてみよう。自分を質に入れない(モンテーニュ)。「ヘンシュー型のわたし」は、変化をいとわない。
 そもそも自分の心と体のことさえよくわからないし、思い通りにはならない。ズレを感じながら『どもる体』と付きあい、見つめれば、新しい「わたし」を発見できる。

 

  『どもる体』(伊藤亜紗、医学書院)
  私たちの意識の手を離れた体のすがた。コントロールが外れる
  のはたしかに怖い気もするけれど、でもそんな体を私たちが抱
  えている。吃音が語るのは、いわば「究極のヒューマンドラマ」
  なのかもしれません。

 

  886夜『エセー』(ミシェル・ド・モンテーニュ、岩波文庫)
  『エセー』が結局ぼくに示唆したことは、「自分を質に入れな
  い」ということだった。

 

  908 夜『パサージュ論』(ヴァルター・ベンヤミン、岩波現代文庫)
  どこからが複製なのか。答えはあきらかだ。パサージュを忘れ
  た者の意識のなかで、そのとたん、それは複製になってしまう
  のだ!

 

 ベンヤミンの言葉を借りれば、モンキリ型は発見のない「複製」ということになる。一方でヘンシュー型は、交感のあるパサージュといえる。
 そして幸福という概念、これもモンキリ型ではないだろうか。あまりに漠然としていて、目指しても意味はない。なぜなら幸福は、通り抜ける時に感じるものなのだから。
 さて最後に。ヘンシュー型なんて無理とおっしゃるみなさまへおすすめします。顔を白塗りにして、大きく真っ赤に裂けた口を描き、役作りから始めてみましょう。


  • シミズマサトシ

    編集的先達:町山智浩。紋切り型社会から編集社会へ。師範代時代から編集工学への探究心と志に溢れるホープ。新師範になった途端、伝習座の用法解説に抜擢された。批評力に優れ、自己に更新をかけ続けている。