【勝手にアカデミア】『鈴木清順エッセイコレクション』×3×REVIEWS

2025/04/30(水)14:00
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 戦後すぐに鎌倉にできた伝説の学校「鎌倉アカデミア」。多読アレゴリアの【勝手にアカデミア】では、同校の「学びのモデル」を取り出してきた。25年春シーズンは、同校の映画科をもどき、卒業生・鈴木清順の方法を共読した。ではいったい「鈴木清順」とは?

 松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。今回は、『鈴木清順エッセイコレクション』(ちくま文庫)を【勝手にアカデミア】のはとさぶ連衆(受講生)4人で読み解きたい。


 

【勝手にアカデミア】による『鈴木清順エッセイコレクション』×3× REVIEWS 

 

●1 撮る清順、書く清順

ゆき あめ かぜ
Ⅰ 日記から/縄張り/犬の顔をした水鬼
Ⅱ 路地は相変わらず静かだった……/生れたとしが大震災/東京語と地方語/味/あだ花/洋パンと『野良犬』と自動小銃
Ⅲ たった一人の戦争/廃墟/敗戦の日/わがナチ体験――ベルリンの英雄/『悲愁』以降/戦争映画と女の顔

 

なぜ映画監督・鈴木清順は膨大なエッセイを残したのか。清順は何を言葉にしようとしたのか。

 「暇になったから」。鈴木清順がエッセイを書き始めた理由だ。1968年に日活から解雇通告を受け裁判に。映画から締め出されたことが彼の活動を広げたのだ。エッセイを投稿した媒体も新聞、現代詩・漫画雑誌と様々だ。
 映画史家でエッセイストでもある編集者の四方田犬彦は清順の散逸するエッセイがこのまま眠ってしまうのは惜しいと考えたに違いない。清順の人となり、映画制作の歴史が鮮明となるよう彼の眼となって整理している。
 まずは「ゆき かぜ あめ」の場面の制作裏話が挨拶がわりだ。次に、自分が愛する妻・猫・犬が登場し、マイヒストリー、戦時ものと続く。五感で捉えた「実」の世界をフレームの中に言語化する。これが「清順メソッド」だ。(彦星・齊藤肇)


●2 矜持を手に、街に出よ

Ⅳ アナキストは誰だ!/夏と暴力/花/流れ者/ある旅人の試行錯誤――思考と感覚/暴力探しにまちへ出る
Ⅴ わたしと就職/桜の樹の下の砂漠/暗い青春の記念碑/フィルムは滅びてこそ/わが落した魂よ!/大映・日活映画の黄昏/料理/滅亡的脱コマーシャル論

 

鈴木清順は、世間を覆っている薄い膜をベリベリと引き剥がす。そこから顔を覗かせたものに、清順は人間の本質を見ていた。

 清順は、エッセイの文章も映像化して見せる作家である。取り上げる題材も、今では語られることの少ないアナキストや結社、そして流れ者や旅人だ。「大杉栄が法隆寺の救世観音のように白い包帯でぐるぐる巻きにされ甦ったとしたら」や「いろ男でありながら手にした恋も金貨も冒険も手折った薔薇のように捨てなければならぬ運命の男」などという捉え方は、清順の映像そのものだ。暴力を探しに町に出かけるくだりなど、独特の世界観に引き込まれた。ここには、清順の生きてきた時代があった。(里星・岩上百合子)

 この頃の清順は、しばし映画から離れて生業を立てていた。学生はヘルメットをかぶり、ラジオからはグループサウンズが流れ、世は敗戦国であることを忘れようとしていた。
 しかし清順はアニメやCMを撮りながらも、映画監督としての悲哀と矜持を片時も忘れなかった。20歳で陸軍に入隊した清順は、戦争に人間の本質を見た。清順は、いずれは滅びるフィルムというものにその本質を焼きつけたかったのだ。清順の言葉を借りるなら「ユメとチボウを持って」映画監督であり続けたのである。(帆路・A.M)


●3 清順美学という方法
Ⅵ ゆったりした気分/小百合・良子・由美子ともう一人の女優/『陽炎座』の頃/教祖さまは出べそでなければならない/畏友美術監督――木村威夫さん/交攻の五人
Ⅶ 色/花を摘むのは女であり虫を殺すのは男である/萩は恋を失ったまち/袖/恋愛/役者/温泉芸者恋慕の記
Ⅷ 大正エレジー/のり物づくし/騒氏断片、或いは林静一への片思い/竜宮で貰った「聴く耳」/本はみるものである/秘色――色と恐怖

 

清順の追求した「美」とは何か――。

 映画人の栄光は、華々しいだけに悲しみは深い。時代の理不尽をグッと飲み込み、40本の映画を撮り続けた清順に、日活社長は一方的な解雇を言い渡す。映画表現を奪われた清順は、遠のく大正を借景に、昭和の「野糞のたれっ放しの無責任時代」をエッセイに放つ。たゆたう人生の因果を意地と美学に封じ込め、体験に根ざした独自の色彩感覚が行間を行き来する。成らざるを知って生きるべきか、死すべきか。悲哀を忘れた日本人よ、清順美学を学び直せ!(穂凪・原田祥子)

『鈴木清順エッセイコレクション』
四方田犬彦編/ちくま文庫/2010年8月/1500円(税別)

 

■目次

ゆき あめ かぜ

Ⅰ 日記から/縄張り/犬の顔をした水鬼
Ⅱ 路地は相変わらず静かだった……/生れたとしが大震災/東京語と地方語/味/あだ花/洋パンと『野良犬』と自動小銃
Ⅲ たった一人の戦争/廃墟/敗戦の日/わがナチ体験――ベルリンの英雄/『悲愁』以降/戦争映画と女の顔

Ⅳ アナキストは誰だ!/夏と暴力/花/流れ者/ある旅人の試行錯誤――思考と感覚/暴力探しにまちへ出る
Ⅴ わたしと就職/桜の樹の下の砂漠/暗い青春の記念碑/フィルムは滅びてこそ/わが落した魂よ!/大映・日活映画の黄昏/料理/滅亡的脱コマーシャル論

Ⅵ ゆったりした気分/小百合・良子・由美子ともう一人の女優/『陽炎座』の頃/教祖さまは出べそでなければならない/畏友美術監督――木村威夫さん/交攻の五人
Ⅶ 色/花を摘むのは女であり虫を殺すのは男である/萩は恋を失ったまち/袖/恋愛/役者/温泉芸者恋慕の記
Ⅷ 大正エレジー/のり物づくし/騒氏断片、或いは林静一への片思い/竜宮で貰った「聴く耳」/本はみるものである/秘色――色と恐怖

略年譜/改題 四方田犬彦/出典

 

■多読アレゴリア【勝手にアカデミア】がお送りする書評記事第二弾はいかがだったでしょうか。当クラブは、鎌倉吟行映画鑑賞&雑談会など体験重視。さらに、こんなふうに遊刊エディストで記者デビューも。プロのライターの指導入りなので誰でも大丈夫。「文章術」も身につけられるのが【勝手にアカデミア】の特徴です。25夏シーズンの入会、お待ちしております(せん師・大塚宏)

 

「勝手にアカデミア」をもっと知るには

 

○3× REVIEWS(三分割書評)
【勝手にアカデミア】『三枝博音と鎌倉アカデミア』×3×REVIEWS

○吟行レポ

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】はとさぶ連衆、鎌倉に集い俳句を詠みつつアカデミア構想に巻き込まれるの巻

○クラブ紹介

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア①】勝手にトポスで遊び尽くす

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア②】文化を遊ぶ、トポスに遊ぶ

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!(25春)


 

◆Info 多読アレゴリア2025夏

 

【申込】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_allegoria_2025summer

 *多読アレゴリア2024春から継続の方は申し込み手続きは不要です。

【開講期間】2025年2025年6月2日(月)~8月24日(日)
【申込締切】2025年5月26日(月)
【定員】20名(勝手にアカデミア)
【受講資格】どなたでも受講できます
【受講費】月額11,000円(税込)
 ※ クレジット払いのみ
 ※ 初月度分のみ購入時決済
 以後毎月26日に翌月受講料を自動課金
 例)2025夏申し込みの場合
 購入時に2025年6月分を決済
 2025年6月26日に2025年7月分、以後継続

 ・2クラブ目以降は、半額でお申し込みいただけます。
 ・1クラブ申し込みされた方にはクーポンが発行されますので、そちらをご利用の上、2クラブ目以降をお申し込みください。


 

2025夏 多読アレゴリアWEEK

募集開始★多読アレゴリア 2025・夏スタート!!!!!!!

 

▼倶楽部撮家

写真仲間求む!編集術でカメラと戯れる【倶楽部撮家】が多読アレゴリアにやってきた

 

▼カオス的編Rec

津田一郎監修クラブ【カオス的編Rec】誕生!科学的読書法に学び、「Qの地図」を描く

 

▼勝手にアカデミア

『鈴木清順エッセイコレクション』x3xREVIEWS

 

  • 勝手にアカデミア

    編集的先達:三枝博音。多読アレゴリアの【勝手にアカデミア】は、鎌倉に生まれた伝説の学校「鎌倉アカデミア」をもどきながら、トポスにトピカ、映画に産業、文学に演劇……などなど勝手に学び、勝手に語らい、勝手に創出する。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg