[週刊花目付#24]「ネガティブ・ケイパビリティ」と花伝式目

2021/11/23(火)08:55
img
週刊花目付

 

<<前号

 

■2021.11.15(月)

 

 愛機MacBookが突如ブラックアウトして修理に出すことになった。基盤交換のため1週間ほど預かると言う。よほど新調しようかと考えたが、12インチのコンパクトなタイプの後続機は発売されておらず、やむなく1週間の不自由を受け容れることにした。


 いゃぁしかしタブレットでは仕事にならない。テキストタイピングはキーボードを外付けすれば問題ないのだが、マルチウィンドウやショートカットキーが使えないとなるとコンパイルにもエディティングにもベロシティが掛からない。私にとって「注意のカーソル」と「フィルター」の高速切り替えは編集の生命線だとつくづく感じる。(まさに「花目付」というロール名の通りだ)

 

 さて4週目の式目演習は「マネージメント」がテーマだ。相互編集を揺籃する「場」について、仲間や師範との対話を通して考察する。そのゲームプランを、各道場のバックヤードで花伝師範と錬成師範が仕込んでいる。入伝生には、指導陣のボール運びやパスワークを是非リバースエンジニアリングしていただきたい。目の前に届けられる指導の言葉は、たんなる思いつきや個人的見解ではなく、よくよく練られたキラーパスなのだ。

 


■2021.11.17(水)

 

 昨夜更新された千夜千冊は事件だった。よもや深谷もと佳をこれほど麗麗とフィーチャーするとは…。松岡校長、寝起きドッキリにもホドがあります。

 返礼として、「週刊花目付」創刊以前のBTS(Behind The Scenes)について記します。

 

「ネガティブ・ケイパビリティ」と花伝式目

 

 花伝式目では編集稽古を、学衆(学ぶモデル)と師範代(教えるモデル)による「エディティング・モデル」を交換する相互編集の場と捉える。「学習」をたんに知識や技術のインストールと見るのではなく、モデル交換による自己と非自己の触発を通して、ベイトソンのいう学習Ⅱ(学習することを学習する)、学習Ⅲ(創発的な学習)までをスコープに置いている、という説明もできるだろう。

 このとき学習者が、学習前にいた環世界から学習後の環世界への移動(=ワカルとカワル)を体験する点が重要だ。編集稽古は、いわば「環世界間移動能力」の訓練でもあるということだ。
 「世界観」というものは、必ずしも更新しなくてはならないものではないのだろうが、もしもあるとき世界と「わたし」とが分かち難く相互作用しあっていることに気づいた者なら、世界や自己についての更新可能性を拒絶すべきではないだろう。

 「未知」からのアフォーダンスは、無視することはできても逃れることはできない。積極的に応じるか、消極的に凌ぐのか。前者の態度なら「好奇心」が、後者なら「ネガティブ・ケイパビリティ」が大きな援けになるだろう。消極的に凌ぐという態度は、世界や自己に対して閉じることなく「無条件の積極的関心(*)を抱き続けるという能動的な行為に他ならない。
 この「無条件の積極的関心」というカマエは、花伝式目M2「モード」で学ぶ《受容》に接続している。

 

 

無条件の積極的関心
 臨床心理学者カール・ロジャーズが、カウンセラーに求められる態度として提唱した「中核3条件」一致受容共感的理解のうちの一つ。これらは、臨床心理の分野に留まらず、あらゆる対人援助の場面に転用できるだろう。

 

一致

 自身が体験している感情や態度について、それがどのようなものであっても自身で気づくことアウェアネスによって、矛盾を孕んだままの自己を統合させることができる。

 自己の多様性について自己言及する訓練は「たくさんの私」に通じるだろう。


受容(無条件の積極的関心)

 ここでいう「受容」は、「受容する」という行為ではなく「受容を体験できるような自己のありようを模索する」という態度のこと。対人援助の場面では、相手に受容の態度を示すことによって相手の主体性を誘い、あらゆる圧力や強制からの自由へ導くことが可能となる。またその際には、自身の興味関心で相手を評価するのではなく、無条件の積極的関心を持って向き合うことが求められる。
 編集稽古の場においても、「問」を発した者が問われた者のあらゆる「感」「応」「答」「返」について無条件に積極的関心を注ぐことは編集的な礼節である。

 

共感的理解

 共感的な理解は、情動的な理解や理論的な理解とは区別されなくてはならない。共感的理解とは、相手の主観的世界に入り、侵入的にならないように意味を伝達し、その正確さを確かめながら、それらの反応に導かれながら寄り添っていく態度のことである。

 編集工学の文脈に読み替えれば、リバースエンジニアリングによって相手のエディティング・モデルを掴むプロセスに相似するだろう。

"日常用語の「共感」はCであり、カウンセリングの「共感」はAのエンパシーである。「共感」はBの意味でも受け取られるため「カウンセリングの共感は同情とは異なる」という説明が必要になる"

『ロジャーズの中核三条件〈共感的理解〉』野島一彦 監修/創元社 より)

 

「問・感・応・答・返」と半開複々環構造


 「問・感・応・答・返」という術語の花伝式目への初出は31[花]だった。

 相互編集の動向を語るうえでとても重要な「型」なのだが、松岡校長の著作にこれを説明するためのマスターテキストとなる記述は見当たらず、「問・感・応・答・返」を語ること自体が師範にとっての大きな「問」だった。
 その後イシスの師範たちが様々に「問・感・応・答・返」について語り起こしているのだが、こうした編集チャレンジがNEXT ISISを推進する大きな力となっていることは自負して良いと思っている。
 ところが、あるとき手掛かりを求めて校長の手描きシェーマをよくよく観察すると、なんと「問・感・応・答・返」が「問・感・応・返・答」となっているのを発見した。私はこれを書き損じではなく仮留め編集の痕跡だろうと推察し、校長の思索過程に興味を抱いて質問したことがある。その際に授かったキーワードが「半開複々環構造」だった。校長からはその意味するところまでの解説はなかったが、半開きであること、複々線であること、環状であること、というイメージが「問・感・応・答・返」を理解するうえで大きなヒントとなった。
 とはいえ一つ誤解していたことがある。私はてっきり「半開複々環構造」を校長の造語だと思い込んでいたのだが、1787夜で出典(岩成達也さん)が明かされていた。これは全くのノーチェックだった。

『インタースコア』P66より松岡校長による「インタースコア編集力」の図解。よく見ると「問・感・応・答・返」の「答」と「返」が逆転している。松岡の思索過程の一端を垣間見ることができるだろう。

 

 

■2021.11.20(土)

 

 各道場で「複問・複感・複応・複答・複返」が躍動している。入伝生の回答に応じる指導陣の「問い返し」がじわじわと成果をあげつつある。

 

 わかくさ道場の中村麻人はメタフォリカルな見立てに開眼したようだ。むらさき道場エディ岡本は「PID」なる機械屋らしいメトリックを持ち込んで、入伝生のエディティング・キャラクターの解発に余念がない。やまぶき道場吉井優子は言葉の速度を磨こうとしている。くれない道場岩野範昭は手数少なく間を寄せる迫力が際立っている。

 

 創発的な学習は「返」と「問」とがカワルガワルすることによって活性する。

 

次号>>


  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。