かつて「大人マンガ」というジャンルがあった(詳しくは「マンガのスコア 園山俊二」参照)。この周辺には、ファインアートと踵を接する作家たちが数多く存在する。タイガー立石もその一人。1982年、工作舎から刊行された『虎の巻』は、まさしくオトナのためのマンガの最極北。いいお酒といっしょにちびちび味わいたい。
[遊・物語講座]には、「文叢」という名の教室があります。今期[18綴]は、産霊山ランデヴー文叢、地球星人服従文叢、沼地の果ての温室文叢の3文叢。いずれも「2つの物語の一種合成」によりネーミングされ、担当師範代の「らしさ」を仄かに連想させるとともに、文叢での物語編集の起点や手すりとなります。
この6つの物語から、今回は多読ジムスペシャル第二弾のゲスト、村田沙耶香さんの『地球星人』(新潮文庫)を選び、3人の師範で共読します。
師範の「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる、第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載9回目。村田沙耶香ワールドへいざ。
母が私の背中を蹴っている。姉とそっくりな姿勢で蹴っている。
いくら呪文を唱えても、今日は身体の中を出ることができない。
私の身体を、母が足の裏で何度も揺さぶり続けた。
泣きじゃくった私は、そのまま自分の部屋へと引きずられていった。(87ページ)
自らに生じた出来事を、あたかも語り手が幽体離脱し綴ったかのような本作。ほぼ全編が過去形の語りとなるなか、忘却していた身体を不意に意識させられるかのように、現在形の語りが挿入される。
因果の流れを工場のラインのように綴るクロノスの語り、そこに強烈に瞬間を喚起するカイロスの語りを挟み込む。これにより、読み手だけでなく語り手にとっても、膜の向こう側に押しやった筈の「虚」が、他人事ではない/痛みを伴った「実」として立ち上がってくる。
このように、物語が「虚」において「実」を感じさせるのは、何を語るかだけでなく、いかに語るか(視点、時制、文体など)に依るところも大きいのではないか。(高橋陽一)
大人たちだって麻酔にかかっている。麻酔にかかる前の記憶がないみたいに。気が狂ったように騒ぎ続けている大人たちが、私にはなにかの魔術にかかっているように見えた。(121ページ)
小六の奈月は、世界を人間工場だと信じ、恋愛や生殖の道具として出荷される時を待っている。従わなければ、大人たちはときに暴力によって従順を強いる。だが秩序が揺らいだ瞬間、狼狽するのは彼らの方だ。おじいちゃんの葬式の夜、お墓の傍らでいとこの由宇と身体を重ねた。死の傍らで目覚める性。禁忌であるはずの行為は、どこか聖なる儀式にも似ている。管理された身体の奥で、野生の細胞が疼く。もはや道具ではない。人間工場から脱出し、由宇とともに宇宙船で故郷の星に帰ることを決めた裸足の異星人だから。いつだって騒いでいるのは麻酔にかかった大人たちだけだ。(景山和浩)
「本当に怖いのは、世界に喋らされている言葉を、自分の言葉だと思ってしまうことだ。君は違う。だから、君は、絶対にポハピピンポボピア星人なんだ」(255ページ)
SNSで流れてくる情報。世間の空気。世の中の常識。こうした「言葉」は「当たり前」という名の「ひとつの正解」に変換されていて、たいていの人は疑わない。立ち止まらない。「当たり前」の外の人間は排除する。世間でうまくやるということは、他人の言葉を自分のものだと疑わず喋ることなのだ。奈月にはできない。なぜならそれは、自分の身体を社会の道具として明渡すことだから。
村田沙耶香が描く世界は、異常かつ生々しい。忌々しくもあり、読み手の足場をグラつかせる。違和感も疑問も持たずに突き進む人間の異常さを、宇宙船がビームを照射するように浮き上がらせるのだ。
私は異星人でありたい。(角山祥道)
アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)
編集/新井陽大(55[破]評匠)、大濱朋子(44[花]花伝師範)、角山祥道(44[花]錬成師範)
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]
#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
#03『ことばと身体』(古谷奈々、大濱朋子、得原藍)
#04『ゲーテはすべてを言った』(阿久津健、一倉広美、相部礼子)
#05『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(奥本英宏、石井梨香、北原ひでお、山崎智章)
#09『地球星人』(高橋陽一、景山和浩、角山祥道)
ISIS core project
イシス編集学校[当期師範&学林]チーム
「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#11『守破離の思想』
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【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#10『赤光』
55[破]破天講(師範代の勉強会)で、歌人でもある天野陽子師範が物語編集術のレクチャーとして用いたのが、大正2年に刊行された斎藤茂吉の歌集『赤光』(新潮文庫)でした。改めて3人の師範が、茂吉の短歌に物語を与えます。 &n […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#08『手の倫理』
[花伝所]のクライマックスは、2日間におよぶエディットカフェ上のキャンプです。今期44[花]では、ハイパー茶会をテーマにプランが練られましたが、この時、客人に選ばれたのが美学者・伊藤亜紗。彼ら花伝生の思いも引き受けつつ、 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#07『百書繚乱』
全ページオールカラーのビジュアルブックガイド『百書繚乱』(アルテスパブリッシング)。松岡正剛が自身を形作る500冊超の本とのインタースコアを試みた同書は、イシス人必読の書といえるでしょう。 第90回感門之盟 […]
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コメント
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2026-03-05
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