べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十三

2025/06/20(金)22:00
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 二代目大文字屋市兵衛さんは、父親とは違い、ソフトな人かと思いきや、豹変すると父親が乗り移ったかのようでした(演じ分けている伊藤淳史に拍手)。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。



第23回「我こそは江戸一利者なり」


おりゃあ、おめえに日本橋に出てもらいてぇ


 須原屋さんの一言が蔦重が日本橋出店を決意する大きな後押しになったに違いありません。
 吉原で本を売っているかぎり、つまりは江戸の外に本が出回らないかぎりはスポンサーたちからも見放される。どんなにみなが欲しがる本を作り、売り、版元として引っ張りだこで、利者(=切れ者、人気のある人)と呼ばれたとしても。松葉屋の女将・いねさんがマネージャーのようにスケジュール管理するほどになったとしても。
 地方の本屋が欲しがるのは「日本橋の本屋が売っている本」。それこそが一流の証ということなのです。
 しかし、日本橋に店を出すということは、吉原を捨てるも同然。亡八衆の親父様方が許すわけもない。

 そこで須原屋さんの一言です。蔦重が、吉原にしがらみもあって、日本橋に店を出すなんてとてもとても…というと、須原屋さんは真顔で

 「おりゃあ、おめえに日本橋に出てもらいてぇ」

 と言います。その後、ふっと表情を緩め「あの、源内さんのためにもよ」と続けます。須原屋さんとは反対に源内の名を聞いた蔦重が姿勢を正し、まっすぐに須原屋さんを見つめた、その表情にかぶせるように

お前さんはなぁ、今江戸で一番おもしれぇもんを作ってるんだ。そいつを、この日の本の津々浦々まで流すということは、この日の本の人々の心を豊かにすることじゃねぇのか? 耕書堂っていう名にゃ、そういう願いが込められていたんじゃなかったのか?


 今回の前半、駿河屋の親父さんが見抜いたように、人気者になった蔦重は「いい気」になっていた節があったのかもしれません。しかし、この須原屋さんの言葉で、おのれの使命をあらためて見つめ直すことになったのです。


 世話になった常連客の葬式に、相手が来てほしいというから出向いたその場で、吉原者と同じ席にはつけないとして、雨の中、外の席に座らされた亡八衆。吉原がどれほど蔑まれているのかを思い知らされた蔦重は心を決め、親父様方に日本橋に店を出したいと言い、駿河屋さんに階段から突き落とされてしまいます。ここまでは毎度のお定まり。
 しかし、今回の蔦重は突き落とされただけでは終わらなかった。階上の亡八衆をにらみつけ、「吉原者が日本橋に店を出せば誰からも蔑まれることはない」。そう言いながら、一段、一段とゆっくりと階段を上がっていきます。

俺が成り上がりゃ、その証になる。
生まれや育ちなんか、人の値打ちとは関わりねぇ、屁みてぇなもんだって。
それがこの町に育ててもらった拾い子の、一等でけぇ恩返しになりゃしませんか。

 

 そして「俺に賭けてくだせぇ」と頭を下げました。勝ち目を問われて、蔦重があげた人脈、──彼の資産と言ってもいいのでしょう──の、まぁ、何と豊かなこと。ただ一つ、足りないのが「日本橋」という場、なのです。

  折しも、鶴屋の前の本屋が売りに出される。…さて蔦重はこの本屋を手に入れることができるのか。

階段落ちといえば

 時代は違うものの、この作品が頭をよぎります。そう、つかこうへい『蒲田行進曲』。昭和の映画撮影所を舞台に、大スターの銀ちゃんと、かつてのスター女優・小夏、そして大部屋俳優・スタントマンのヤスの三人を描く、嗜虐と被虐が交差し反転する、つかこうへいらしい物語。
 名場面「階段落ち」は、銀ちゃんに押し付けられた小夏の出産費用をひねり出すために、ヤスが引き受けた仕事でした。

 ガラスをこするようなカメラのキリキリ回る音。「スタート」という助監督の声。ドンドン雨戸を叩く音に、バリバリと蹴破る音が続く。浅黄色でだんだら模様の着物を着て階段を駆け上がる大男たち。
 ヤスは、その大男たちに囲まれ、銀ちゃんに踊り場で胴を払われ、袈裟懸けにされ、「ギャーッ」という叫びとともに血しぶきをあげ、ゴムまりのように階段をころげ落ちて行く。骨はくだかれ、神経は断たれて、あがり框で全身を大きくバウンドさせ、グシャリ
と堅い土間に打ちつけられる。
 ヤスの呼吸音を、全身が耳をそばだて、身動きもせずに待つ。
 ヤスは、ゆらりと立ち上がり、
 「監督、銀ちゃん、かっこよかったですか? 銀ちゃんのいいシーン、撮れました?」

 

つかこうへい『蒲田行進曲』

 

 自身の骨が砕けてもなお銀ちゃんのシーンの撮れ具合を気にするヤスに、大部屋俳優としての意地と誇りを見ることができます。見下されている存在だからこそ、余計にきりりと、またはすっくと立ち上がる――その姿には、駿河屋の「階段落ち」を何度もくらいながら、そのたびに這い上がってきた吉原の男・蔦重の意地が重なって見えるのです。

 吉原を捨てるのじゃない、吉原を背負って蔦重はいざ日本橋へ!


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