05:音の溝を巡る【高橋陽一の越境ジャンキー】

2022/10/01(土)08:57
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モノとの関係を相互包摂的に紐解くこの連載。今回はちょっとだけ「寄り道」をして、モノの「超部分」を「虫の目」で見つめることにチャレンジしてみたい。

 

・「超部分」にカーソルを向ける

 

 書を見る時には、筆の運びと和紙の繊維の向きのような「細部の関係性」をも見る。日本の伝統芸術の技や方法を紐解くには、このような「超部分」にもカーソルを向ける必要がある。松岡校長の『アート・ジャパネスク』は、超接写による「虫の目」の写真群によって、このことを鮮やかに切り出してみせた(間庵/講2)。

 

 モノの「超部分を見る」でフッと思い出すのは、齋藤圭吾の『針と溝』という写真集だ。マクロレンズで「レコード盤の溝」を超接写したこの写真集には、様々なレコード盤の/盤ごとに異なる超部分(河川のように蛇行する溝/峡谷のような凹凸を示す断面などのカタチの相違)が鮮やかに切り取られている。今回はこうした先達の方法に肖り、この「レコード盤」というモノの「超部分」にカーソルを向けてみたい。

 

・レコード盤の歴史

 

 現在我々が利用している「円盤状のレコード」の起源は、1887年にエミール・ベルリナーが発明した『グラモフォン』である。彼が開発したのは、音の空気振動を針の横振動に変換/円盤状のディスクに溝として刻むことで録音する方式である。再生の際には、ディスクに刻まれた溝を再生針が振動として拾い、その振動を振動膜で空気振動に変換/ホーンで音響増幅するという仕組みになっていた。

 

 そして記録メディアに「円盤状」の形状を採用したことで、一枚の録音原盤から「再生専用のレコード盤」を容易に複製できたのも大きな強みとなった。

 

 ベルリナー方式では、円盤に記録した「凹型の溝」をマスターに押しつけ「凸型」に移し替えた後、まっさらなディスクにそのマスター盤を押し付け/溝を転写することで、簡単に再生専用ディスクを「量産」することができた。テリー・バロウズ『図鑑 音響技術の歴史』によると、1895年頃には25,000枚のレコード盤と共に1,000台以上のグラモフォンが販売されていたという。

 ちなみに、筒状の蝋管を用いて録音/再生するエジソンの『フォノグラフ』は、先行して1877年に発明されていたものの、再生用蝋管の大量複製が困難であったことから「グラモフォンとの記録メディア競争」に敗れ、1920年頃には廃れていったという。

 

・溝から読み解く音のカタチ

 

 今回の試行では、音のカタチが「溝」に表れやすい「45回転の7インチレコード(以下、シングル盤)」を対象に接写を試みた。その理由は、簡易なマイクロスコープ(1万円程度)を用いた都合というのもあるが、片面1曲収録のシングル盤の方が「音と溝の関係性」を紐解きやすいと考えたからだ。以下、アレコレと試行した中でその関係性にハッとなった、四枚のシングル盤の「音溝」写真を掲載する。

 

一枚目 Richard Hell & The Voidoids – The Kid With The Replaceable Head (1979) の場合: 千鳥足のように/予測不能な緩急でフラつくロバート・クワインの「ギターソロ」にカーソルを向けて見ると…

 

二枚目 The Pale Fountains – Thank You (1982) の場合: 様々な楽器音の左右の配置が極端で/静から動へとオーケストラが仰々しく盛り上げる、振れ幅が大きいこの曲の「音のカタチ」が気になって…

 

三枚目 フランス・ギャル – ジャズる心 (1965) の場合: ダンサブルなスキャット部(右半分)から流れるようなトランペットソロ(左半分)への転換が、溝/音の疎密や緩急として見えてくる…

 

四枚目 Cornelius – あなたがいるなら (2017) の場合: ゆるやかに蛇行する中央の溝は「鳥の鳴き声のようなギター音」が左右にパンニングしつつ/過ぎ去ってゆく辺りか。感情が淡々と静かに降り積もるこの曲の「音とカタチ」双方のアクセントなのかも…

 

 ところで「グルーヴ(groove)」という言葉は、もともとは水路や轍などの「溝」を意味していたが、1930年頃のジャズ・ミュージシャンたちが、良い演奏ができた時にスラングで “phrase in the groove” と表現したことから現在の意味になったという。こうしてレコードの「溝」をカワルガワル眺めていると、なんとなく彼らの高揚感が理解できるような気がしてくる。

 

・レコードの溝を日本庭園に見立てる


 マイクロスコープでレコードの音溝の流れを眺めながら、ふと最近読んだ河野哲也『間合い』を思い出した。この本は、ギブソンの「アフォーダンス」概念を継承しつつ、身体と環境の間(ま/あいだ/あわい)の共鳴関係を探究しているのだが、この「間合い」を説明するモデルとして回遊式日本庭園について言及している。

 河野によると、日本庭園には静態的に全体を俯瞰する特権的な一点がなく、何かが顕在化している一方で/常に何かが隠れているという。そして、庭園を回遊する時間的な過程において「部分の継続的な連結(切れ/続き)」を経験することでしか、その全体は見えてこないという。

 

 レコード盤も同様に、全体を肉眼で俯瞰しようとしても、溝に隠れているその細部は見ることができない。喩えるならば、自らが音針となって/虫の目で音溝を辿り/連続的に経験することによってのみ、そこに刻まれた「音とカタチ」の部分と全体の関係を紐解くことができるのかもしれない。

 

 このように「超部分の継続的な連結」にカーソルを向ける。もしかすると、ココにこそ「モノとの相互包摂系な関係」を紐解くヒントがあるのかもしれない。今回の「超部分」の探索は、そんな予感に包まれた貴重な「寄り道」となった。

 

参考文献

・テリー・バロウズ『図鑑 音響技術の歴史』DU BOOKS(2017年)
・齋藤圭吾『針と溝』本の雑誌社(2018年)
・河野哲也『間合い』東京大学出版会(2022年)

 

関連千夜千冊

・529夜『グラモフォン フィルム タイプライター』フリードリヒ・キットラー
・1109夜『澄み透った闇』十文字美信


  • 高橋陽一

    編集的先達:ヘッド博士の世界塔。古今東西の幅広い読書量と多重なマルチ職業とディープなフェチ。世界中の給水塔をこよなく愛し、系統樹まで描いた。現在進行中の野望は、脳内で発酵しつつある物語編集の方法を「社会実装」すること。

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