’16校長校話「伝承と継承」(4/4) 新たな語り部へ

2019/12/28(土)10:49
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≪ (3/4) 編集学校という未完

 

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第54回感門之盟(37[守])校長校話「伝承と継承」

2016/9/17 於:伝承ホール

 

 八段錦のステージを観て、さすが(吉村)林頭と思いましたが(笑)、八段錦では語り部が最後に突出してきますよね。最初はぐちゃぐちゃである。だからそれを並べる。対称性を発見して、今は山中・今は浜の、鉄橋の前を見ると、思う間もなくトンネルが見えてきて、情報の系列が生まれてネットワークが生まれる、となっていて、そうなると村も山も飛んでいくというように、あとはどういうふうにでもしていけるというのが八段錦なのだけれど、最後にぜひやってもらいたいのは、自分はどうだったのか、馬を選んだのか牛を選んだのか、あるいはそういうふうにはしてこなかったのか、それを問い直すというのが八段錦でも大事になる。これを3つ目のこととして、編集学校を伝承してもらう諸君には託したい。突出するということです。今日もたくさんの突出がありましたから、僕の満足からすればそれは充分なものですけれど、そのもうひとつ奥の漱石のレベルで、ナレーターとして語り部として話者として、突出してほしい

 

 これは、トランプや蓮舫の演説のように、既存のものを言挙げして票を集めるような行為ではないのです。イシス編集学校なんていう国はないですから。賢治のイーハトーブだって、確信する以外にない。だからといってすべてバーチャルかというとそうではない。この不即不離・虚実・裏表が大事です。よくぞ古代人は夕方を「たそがれ」と呼び、明け方を「かはたれ」と呼んだなと思います。夕暮れ時に「誰そ彼=たそがれ」となり、だんだん明け染める中で「彼は誰」で「かはたれ」となりました。そこにトワイライトのキャラクターやアイデンティティが三重にも四重にもなっていく。諸君には、そういうものを語りうる語り部になってほしい。編集学校は「仕組み」もつくってきたのでもう少し伝承しやすくなってはいますが、そのことを最後に託したいと思います。

 

 『インタースコア』という本の中で、90年代に私が何を準備していたかということを書きました。90年代は、米ソの対立を終えて世界は価値観を失い、湾岸戦争のようなデタラメが起こって、世界がぐちゃぐちゃになった時代でした。ちょうどその頃、資生堂の幹部向けの研修で「ミネルヴァ塾」というのをいとうせいこう君と一緒に10年やったのですが、1991年の湾岸戦争の直後が第1回でした。そのときに、いとうせいこうが20分、僕が40分、はじめにしゃべるということになっていたのですが、いとう君が16分目で絶句してしまいます。絶句したのは、爆撃するミサイルの前についたカメラが映し出す映像について話そうとしていたときです。CNNを最高に興奮させていた映像ですが、そんなものを観たことがない彼は、そこにいったい何が起こっているのかということを、説明しようとしてできなかった。落ちていった爆弾の前に自分がいるようにいとう君も思えてきて、それを聞いている僕にとっても、これだけ託しているいとう君がそうなっているということは、ショックな出来事でした。例えて言うなら37[守]の教室がどこかひとつ崩壊するようなものです。編集学校はそういうふうにはつくっていないので炎上も崩壊も起こり得ないですが、そうではないところでは、何かがあると崩れていく。その予兆が90年代でした。

 

 その後、インターネットが出てきて、ミサイルのカメラももっと高性能になっていく中で、2000年に編集学校が生まれ、僕は千夜千冊を書き始めました。そして今年、『インタースコア』を書いた後に、これまでのお題を全て見直そうということになり、21世紀枕草子とか八段錦とかパロディを入れたりしました。もちろんまた改編の機会はあるでしょうが、私の砂時計の具合からすると、次の改編にはおそらく校長はそれほど関わらない、ということになるでしょう。だとすると、ここが私の明暗の分かれ道、ゆっくりしたフェイドアウト、退嬰というところにあたるわけです。

 

 諸君には、百人の水村美苗になってもらいたい。どこかに行ってみたけど面白くなかったからとりあえず編集学校にきてみた、みんなそんなところではないでしょうか。この「なんとも言えないがとりあえず選んだ」というのが、ポアンカレの偶然であり『インタースコア』で明らかにした言葉でいうと「コンティンジェンシー」というものです。そのシステムに関わることによって現れてくる別様の可能性がコンティンジェンシーです。本人が自覚している場合もあるでしょうが、わからないからこそ目覚めがある。わからないながらに入っていけるコースが、世の中の仕組みの中にたまにある。これがコンティンジェント・システム、ダブル・コンティンジェンシー、もっと言えばマルチ・コンティンジェンシーというものですが、こっちから入るとこの可能性、あっちから入るとその可能性、というものが、この編集学校には満ち満ちています。

 

 僕がこうして話していることは、先ほどまでの光景の中にすべてあります。ここで繰り広げられていることは、ポアンカレの偶然以上です。各教室にわかれて師範代と師範がみなさんに卒門証を読み上げている姿などは、たとえばクレーンでわっと上から観てみると大変な光景です。それはマスゲームやオリンピックの開会式のようなものではなく、意味の集合であり、意味の創発のコミュニティやコモンズの姿だから、撮りようがないですが、そういう姿に先ほどから僕は感服しています。だけど、これが伝承ホールの「伝承インタースコア」であって、もしもそれを校長含みで継承したいと思ってくれるのであれば、馬か牛かを含めて、近代日本を150年一気に戻りながら、諸君が編集学校を継続していくことを期待したいと思います。

 

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■関連千夜

 

 


  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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