松岡校長と探究するコップの乗り換え 43[花]

2025/06/08(日)08:08
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マッチが一瞬で電車になる。これは、子供が幼い頃のわが家(筆者)の「引越し」での一場面だ。大人がうっかり落としたマッチが床に散らばった途端、あっという間に鉄道の世界へいってしまった。多くの子供たちは、「見立て」の名人。それは、日本古来からの方法だと花伝所にきて気が付いた。

一方、現代に生きる大人はどうだろう。もし、「マッチの使い道を次々に言ってください」と言われたら?

 

・何かを燃やす
・花火をする
・線香をあげる
・BBQの炭に火をおこす
・ろうそくに火をともす
・暖をとる

 

体験に基づく使い道もいいが、先の子供たちと一体何が違うのだろう。


■編集とは何か。「知」とは何か。
多くの一般の読者は、雑誌や新聞をつくることをイメージするかもしれない。イシス編集学校ではこうだ。

 

情報が私たちにとって「必要な情報」=「知」になること。これこそが「編集」なのです。イシス編集学校ではそのために、情報をどのように動かすかといいか、そのプロセスに関わる方法を学びます。

 

言いかえると、情報を受け取って(in)、何かを出力する(out)のあいだに起こっていること全てを「編集」と呼ぶ。「知」は「心で感じ知る」「認める」「知識」「もてなし」という意味も合わせ持つ。つまり、ある情報が私たちにとって「必要な情報」として見方づけされること、これを編集と呼ぶのだ。

 

 

■人間にひそむ能力とは? ー 注意のカーソル ー 

基本コース「守」の最初のお題では、連想ゲームのようにコップの言い換え、その使い道を20通り以上考える。人間が<同義的連想>をするとき、アタマの中では何がおこっているのだろう。『知の編集工学 増補版』(朝日文庫)から著者・松岡正剛校長にお出ましいただき、校長の視座を感じながら対話するかのように考察したい。

 

 

イシス編集学校 松岡正剛校長

 

(※『知の編集工学 増補版』からの引用にはページ数を明示した)


 

校長:机の上にコップがある。コップを見ているということは、そこに注意(attention)を向けているということである。この「注意を向ける」ということが、編集を起動させる第一条件で、そこに注意を向けないかぎり、どんな編集もおこらない。(63頁)

 

高田:どきっ。注意を向けなければ、自らアフォードされなければ、編集ははじまらないってことですね。

 

校長:編集工学では、この「注意を向ける」という行為を「注意のカーソル」を動かすというふうに言っている。まさに「意を注ぐ」ということで、その矢印が向くところに「注意のカーソル」があるわけだ。(63頁)

 

高田:「注意」って何でしょう?

 

校長:注意とは、わかりやすくいえば、その対象にイメージの端子をそそぐことである。コップならコップという区切りを自分に対応させるのである。コップから注意を離すことも可能だ。机の上のコップの隣にケータイがあれば、そこに注意をすばやく移すことになる。そしてコップとケータイだけに注意が向けられたという記憶が残る。それ以外の、空気とか机とか、机の上にのっているものとか、埃とか色とかは、背景に消し去られる。(63頁)

 

高田:なるほど、注意は、自分の意図の先端を対象に向けたり、くるりと離したりする情報との向きや接地に大きく関わるのですね。

 

校長:ひるがえって情報には、情報の「地」(ground)と情報の「図」(figure)というものがある。「地」は情報の背景的なもので、分母的だ。「図」はその背景にのっている情報の図柄をさす。こちらは分子的だ。(64頁)

 

高田:空っぽのコップの背景には、使い道、使われる場面、使う人、遊び、記憶、転用、経済……などありますが、注意のカーソルは次から次に背景を動かしているんですね。

 

校長:脳の中は、知識やイメージを多数の「図」のリンクを張り巡らしているハイパーリンクなのである。これを<意味単位のネットワーク>とよぶことにする。コップはひとつの意味単位であり、ガラス製品もひとつの意味単位である。それらが次々につながり、ネットワークをつくっている。一層的ではない。多層的(マルチレイヤー的)で、立体的である。(68頁)
 このような<意味単位のネットワーク>を進むことを、私たちはごく一般的に「考える」と言っている。(68頁)

 

高田:情報の道が多層にダイナミックにできるんですね。同じ道筋しか辿れないと見方も留まりそうで怖いなぁ。一方で、飲み物を容れる入れ物というコップの機能や概念を揺り動かし、別様のコップに<乗り換え>るという方法に焦がれます。情報をみるとき、つい「これって一体何の役に立つの?」とやりがちですが、それよりも、情報にアフォードされ、「注意のカーソル」を意識的に動かす方が発見的ですね。未知の情報でも、「地」や来し方を見る。そうすれば、その情報はどのように必要な知なのか、それはなぜなのか。見方づけを言葉にしていけそうな気がします。

 松岡校長、対談させていただいてありがとうございました。

 


 

■「知」を起こしていく稽古へ

 

われわれは自然界の本来の情報を変形して知覚しているのであって、加工した自然像しか見ていないのだということにある。

735夜『生物から見た世界』ヤーコプ・フォン・ユクスキュル)

 

私たちが情報を受け取るとき、既に加工編集された状態がある。そのプロセスに無頓着なまま情報を速く大量に消費しつづけている社会でもある。既に動かなくなった知識が「知」ではないことも改めて判ってきた。

編集学校のバイブルである『知の編集術』(講談社現代新書)と前出の『知の編集工学』。タイトルの「知」には、松岡校長が「遠慮しないで、おおいに情報を動かしてほしい」と思いをこめたのではないか、と思いを馳せる。その意を汲むように、43[花]の入伝生たちは【001番:コップは何に使える?】の回答から「学ぶモデル」を読み解く演習をする。入伝生M・Nは、「その人を分析するというよりかは、何に向かっていったのか、お題にどう向き合おうとしたか、何を表現しようとしたか、動向になるべく意識を向けてみました」「まさに、地が違う、ですね~」と思考の跡を方法的に読み解いた。「やるねぇ」とニヤリとする校長がうかんだ。

 

文・アイキャッチ/高田智英子(43[花]錬成師範)

 


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  • イシス編集学校 [花伝]チーム

    編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg