43[花]特別講義からの描出。他者と場がエディティング・モデルを揺さぶる

2025/06/04(水)08:00
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 今まで誰も聴いたことがない、斬新な講義が行われた。
 43花入伝式で行われた、穂積晴明方源による特別講義「イメージと編集工学」は、デザインを入り口に編集工学を語るという方法はもちろん、具体例で掴み、縦横無尽に展開し、編集工学の奥へと誘う構成が出色。穂積の肩ひじ張らず楽しそうに話すスタイルも相まって、入伝生も師範陣もぐいぐいと惹きつけていった(ダイジェストレポートは、こちらの記事をお読みください)。

 特別講義の進行とQ&Eを担った43[花]錬成師範の村井宏志が、新しい見方を差し込んだ穂積の講義を改めて捉え直し、ISIS花伝所の方法を重ねての描出を試みる。


 

 今回の特別講義は、講義の途中で僕と穂積の2人のやり取りを挟む構成とした。このやり取りもまた、お互いのイメージを重ね合い、それぞれの背景の違いからの見方や捉え方の違いを知る、エディティング・モデルの交換なのだが、僕は穂積にこう問うてみた。
「デザインをするにあたって、エディティング・モデルをどのように捉えているか」


 穂積の答えは「自分がこういう風に見えると思って描いたものが、他の人にとっては全然そう見えないよってことが起こる。その時に重要なのが一回見てもらうということで、松岡校長にも作ったらすぐに持って来いって常に言われていました。持っていって、赤入れして、戻って作り直して、また持っていって、赤入れしてを何度も繰り返して。繰り返せば繰り返すほどよくなるからということはずっと言われていました。何度も繰り返すことで、新しい見方が出てくるということです」

 

 この穂積の語ったプロセスの中に、エディティング・モデルの交換の秘密が詰まっている。

 

対話とは、互いのエディティング・モデルを重ね合い、再編集を起こすプロセスだ。

 

 

 人は、それぞれの生きてきた環境や文化的背景、人生経験に基づいて、アタマの中に意味単位のネットワークを持っている。情報のインプット、あるいは「問い」は、そのネットワークから何らかの言葉やイメージのつながりを浮かび上がらせ、なにを「感じ」どのように「応じるか」を選択している。この仕組み、編集構造自体がそれぞれのエディティング・モデルであり、穂積の講義での言葉で言えば「生活が知覚を作っている」にも通じる。

 

 自分にとって発現しやすいパターンは自ずと決まってくる。ある情報に対してどう応じるかには、常にたくさんの選択肢があっても、脳は使いやすいパターンを優先するのだろうし、思考が凝り固まったり、年を取って頑固にもなったりするのは、楽な選択をしているということなのかもしれない。また自身の考える自己像、つまらないアイデンティティに捉われすぎているからということもあるだろう。

 

 しかし、エディティング・モデルは決して固定的なものではなく、揺れ動き、変化していくものでもある。組み換えを起こし、更新していくために必要なのが、他者とのエディティング・モデルの交換なのだ。自分のイメージしたものとは違う見方を重ねた時の、その差異に新たな気づきと発見があり、変化が生まれる。

 さて、ここで1つ考察してみるが、それぞれのエディティング・モデルとそれを背景とした表現にも、インターテクスチュアリティがあると見たらどうだろうか。

これは自立したテクスト相互間の関係のみならず、一連のテクストの内部で生み出される副次的なテクストの動向に留意したもので、たとえば、あるテクストが歴史を記述しているとき、そのテクストには「歴史をそのように読んだ」という潜在的なテクスト性も浮上しているとも考えられるのだが、クリステヴァはこのような可能性があることをバフチンの研究から取り出し、この主テクストと副テクストともいうべきテクスト間に一種の構造が生成されてくるのではないかと考えた。
1028夜『恐怖の権力』ジュリア・クリステヴァ

 

 奇しくも、穂積は講義の中で、生物学的な「あらわれ」と「かくれ」の話として、フェノタイプ(現れた形質)とジェノタイプ(隠れている情報)を取り上げたが、ジュリア・クリステヴァは、テクストも「ジェノテクスト」(生成するテクスト)と「フェノテクスト」(現象するテクスト)が相互に関係していると見た。さらに言えば、フェノテクストは常に解釈の多様性と別様の可能性を孕んでいるということであり、テクストにおける相互編集性は、書き手から離れ、読み手の見方・捉え方・解釈に委ねられることで、新たなインターテクスチュアリティがもたらされるということだ。

生物のエピジェネティクスを、テクストにも当てはめてみる。

 

 僕は、「場に放たれたものは、別様の可能性を発する」と考えている。書かれた文章や描かれたデザインは、最初から読み手の自由を含んでいるが(“情報は一人ではいられない”のだから)、書き手の手元で収まっている限り、その人のエディティング・モデルの半径から逃れられない。場に放つことで、他者とのあいだに置かれた情報となり、別の見方を付与されることで書き手もまた気づきを得て、エディティング・モデルを更新する相互編集と自己編集のサイクルが起こっていく。つまり「他者」と「場」が必要ということなのだ。イシス編集学校の回答と指南のサイクル、教室に飛び交う「問・感・応・答・返」のやり取りがなぜ面白いのかは、常に新しい発見に満ちている相互編集状態にあるからである。その発見を促すのが師範代というロールであり、指南というエディトリアルで、インターテクスチュアリティなコミュニケーションの方法だと言えるだろう。

 

文/村井宏志(43[花]錬成師範)

アイキャッチ、資料画像/穂積晴明

写真/後藤由加里

 


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コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg