フィードバックの螺旋運動――43[花]の問い

2025/05/04(日)09:00
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 スイッチは押せばいい。誰もがわかっている真理だが、得てして内なるスイッチを探し出すのは難しい。結局、見当違いのところを押し続け、いたずらに時が流れる。
 4月20日の43期[花伝所]ガイダンスは、いわば、入伝生たちへの「スイッチを押す機会」の提供であった。古谷奈々、岩野範昭の両花伝師範による講義は、入伝生たちを揺さぶり、隠れたスイッチをあらわにした。あとは気づいて(勇気をもって)押すかどうかだ。

 

 何人かの入伝生たちは、ガイダンスでの「感」を「すぐに解けない問い」に変換し始めた。「答えの出ない状態を一旦、縁側に置いておく」という岩野師範の講義を実践し始めたといえよう。
 入伝生の「問い」のひとつを、ここに取り出してみる。

Q.[守][破]のお題にあった「振り返り」と、[花伝所]のいう「フィードバック」の違いは何か。

 

 今まで用いていた言葉をあえて言い換えているときには、アテンションが必要だ。そこには必ず「意図」と「問い」が隠れている。

 では、振り返りとフィードバックの違いは何か。こういうときは、5W1Hに置き直してみるとよい。

 

 

 違いが見えてきただろうか。 
 松岡正剛校長いわく、「生きているシステム」には3つの特徴がある(入伝生や師範代は、「システム」を教室や場と言い換えてもいいだろう)。

(1)フィードバック・ループがある
(2)バイアスやストレスがかかる
(3)自己組織化がおこり、自己変更もおこっていく、
(校長室方庵◎校長校話「編集工学序説ふう談義(05)」2011年10月5日)

 

 一番目の条件、「フィードバック・ループがある」という点に着目したい。これは、システムの内部に発生した原因や結果は、システムの外部とさまざまなフィードバック関係(相互に影響しあう関係)をもつということだ。端的にいえば、フィードバックは必ず、「外部」(非自己)を必要とする。外部情報の取り込み=情報圏の再編集(更新)が鍵になるからだ。外部を持たないフィードバックは、ただのつぶやきである。

 

「外部情報の取り込み」は、言い換えるなら「まねる」ということだ。世阿弥のいう「物学(ものまね)」である。

心にて見る所は体(たい)なり。目にて見る所は用(ゆう)なり。
(世阿弥「至花道」、『新編 日本古典文学全集 能楽集』小学館)

 

 真似ようとしたとき、往々にして、「目で捉えたもの」をそのままコピーしてしまう。これでは駄目だと世阿弥はいう。心で「体」を捉えろ、と説く。「体」が月ならば「用」はその光。「体」が花ならば「用」はその匂い。光や匂いといった風情に囚われるのではなく、それを発している大本を捉えよ、と世阿弥は説いたのだ。
「物学」とはつまり、意味の模倣だ。これを「もどき」という。「もどき」とは、本来の何かを継承したいがための模倣である

 

 自分の中になかった「意味」まで模倣する。ゆえにフィードバックは一筋縄ではいかない。そこには相応の負荷がかかる。何より、フィードバック後には、自己組織化がおこり、自己変更も起こる。
 岩野師範はフィードバックを語るにあたって「中村哲」を持ち出した。中村哲は、医師としてアフガンに赴きながらも、同地の現状を目にし(外部情報を取り入れ)、フィードバックをかけることで、井戸掘り、灌漑事業……とロールチェンジを起こしていった。医師というアイデンティティを躊躇なく捨て、「アフガン民衆を救う」というターゲットに対し、次々と「わたし」を着替えていったのである。

 

 フィードバック(feedback)という言葉からも明らかなように、これは後方に溯行することだ。経済学者マルクスのいう「後方への旅」である。戻りながら与件を確認・整理し、外部情報を取り込み、そしてまた戻ってくる。
 フィードバックは片道飛行ではない。振り返って終わり、でもない。再編集(更新)してフィードフォワードする。この螺旋のごとき行ったり来たりを「フィードバック・ループ」という。

 

 では、どうやってフィードバック・ループ状態に入ればばいいのか。
 怯むことはない。私たちはすでに、[守][破]で「型」を学んできたではないか。「型」とは、そこに出入りするものに感応してフィードバックする回路なのだ。あとは、フィードバックによって起こる自己の変化や更新を楽しめるかどうか。行ったり来たり寄り道しながら、螺旋運動をおこしていきたい。

▲「問・感・応・答・返」もまた、問→感→応→答→返→問→感→応→答→返→問……と螺旋を描くように動き続けている。「問」から「感」への道筋は、複数であり、ノンリニアである。

 

アイキャッチ/大濱朋子(43[花]花伝師範)

文・作図/角山祥道(43[花]錬成師範)

 


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  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg