ISIS 20周年師範代リレー[第24期 渡會眞澄 境界を見つめるラディカル・ウィル]

2021/07/29(木)09:09
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2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

◇◇◇

ウィキリークスの機密文書暴露、北朝鮮による韓国・延坪島砲撃、ジャスミン革命からアラブの春へ。渡會眞澄が師範代をつとめていた時期に起こった事件である。世界はきな臭く不穏な動きを見せていた。一方、イシス編集学校は10周年を越えて、松丸本舗とともに新たなスタートを切ろうとしている時代だった。渡會が師範代を全うして、その修了を祝うはずであった感門之盟。その2日前に3・11が起こる。

 

震災の負を抱えながら、2012年に第8季[離]に進んだ渡會は退院後、沖縄に移住する。沖縄で病院事務に携わり、三線を手習いし、イシス編集学校で師範、番匠、風韻講座の連雀を歴任。渡會が沖縄で考えつづけていたのは、内側と外側の問題、境界のことであったろう。うちなーんちゅにとっては、どこまでいっても自分は内地から来た人間である。自分は何が編集できるのか、何を語っていくべきなのか。ISISフェスタ(2020年)では、沖縄在住の師範代とチームを組んで「沖縄エディットツアー」を開催した。

 

師範代から10年。イシス編集学校20周年の節目に開座した多読ジムで、現在はスタジオゆいゆいの冊師として、日々の編集力、読書力の鍛錬に余念がない。イスラームにも関心を深めているという。10周年から20周年、そしてその先へ。世界の境界、社会の境界を凝視しつづけている。

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

われわれは、たえず「負」と「不足」を内包し、それらを外属させながら進むしかありません。あの震災直後、別院に届いた松岡校長の言葉。4月に延期せざるを得なかった感門之盟は、語りたい、伝えたい、生きた証を残したい、冨澤学匠のおもいが溢れていた。

 

>これからメッセージ>

動き続け変わり続け、さらにラディカルに。編集の風を吹かせまくってください。

 

月猫熊猫教室   渡會 眞澄

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

〇グローバリズムを反転するとアナキズムが光る
1388夜:鈴木謙介 <反転>するグローバリゼーション
…2010年10月23日

◎ガンディーの「ナイー・タリム」とイシスの[離]
1393夜:アジット・K・ダースグプタ『ガンディーの経済学』
…2010年12月04日

⦿千夜の名づけ、肖りはこの物語。
1400夜:前嶋信次・池田修[訳]『アラビアン・ナイト』
…2011年02月04日

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  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。