みちの途中に行き止まり―和泉佳奈子師範代のさしかかる山々 未知奥トポス巡りⅥ

2022/10/06(木)08:00
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 みちのくに縁のあるイシス編集学校メンバーの、記憶の最深部にあるトポスの物語を尋ねる「未知奥トポスめぐり」。今回は「編集学校の方法を知りたい」とこの秋に花伝所を放伝した、和泉佳奈子師範代のトポスを訪ねる。

 

 行き止まりが大好き。

 20年間松岡正剛の傍らで仕事をしてきた和泉佳奈子の言葉だ。2002年に松岡正剛事務所に入り、2020年にはあらゆる“あいだ”をネットワークする会社、百間を立ち上げた。現在は近江ARSのプロデューサーや、角川武蔵野ミュージアムの館長補佐などを担っている。

 千夜千冊1414夜に「ぼくのことをよく知っていて、艱難突破のエネルギーもある和泉佳奈子」と登場するイズミ。行き止まりこそ方法の使いどころ、方法によって絶対に打破できる、と言い切った。

 

 1414夜で取り上げられたのは、荒蝦夷という仙台の出版社による『東日本大震災』。イズミは仙台で生まれ育った。

 小児喘息の症状があり、幼稚園の出席シールを貼れないことも多く、運動会でも一周遅れでゴールする子どもだった。でも、全然悔しくなかった。なのに、負けず嫌いだという。おさなごころにも「勝ち方はいろいろある」と思っていた。

 

 

 サルに見方をひらかれて

 

 高校生の時、300以上の図形文字を覚えたり、ヒトの話し言葉をかなり正確に聞き取ることのできるカンジというボノボをテレビ番組で見て、宮城教育大学の伊沢絋生教授を訪ねた。98.7%の遺伝子がヒトと共通しているのに、対話ができたりできなかったりすることをふしぎに思ったのだ。

 伊沢教授のもとでニホンザルの研究をし、「ニホンザルにボス猿はいない」という見方を知った。動物園のようにサルが自由に動けない環境の中では、その中で食べ物を分け合う必要性からヒエラルキーが生まれる。けれど、どこまでも移動ができる自然の中では違う。観察領域によって、なにを「地」として見るかによって、「図」の見え方は変わる。はじめてそれを実感した。

 ある時、伊沢教授が『アニマ』という雑誌に載ったライオンの写真を見せて、イズミに問うた。「このライオンは、実像か虚像か。」ライオンそのものが写っているのだから実像だ、というイズミの答えに対し、先生は「カメラマンの主観によって切り取っているのだから、実像とは言い切れないだろう。とはいえ、もちろん完全な虚像でもない」と言った。実像と虚像のどちらでもなく、その「あいだ」だというのだ。そこには見方が入り込み、それによって像が現れる。

 

 

フィールドワークをしていた宮城県牡鹿半島沖の金華山(トップ画像)で、シカと共生するニホンザル

 

 

 「わたしからはこれが見えてないんですよね。」手にしていたボールペンのクリップをZOOM画面に近づけて、イズミは言った。「それがなにかわからないし、それを追体験することはできないけど、いつも“ほか”があると思ってるんです。」

 

 

 うつりゆく空間で思考する

 

 カンジをはじめて見たころ、高校の登山部の部長をしていた。登山口から森や林を進み、稜線に出ると見晴らしが開け、雲が切れたら光が射し、頂上に立てばさらに視野が広がる。地形図を見ながらこの景色の移り変わりをイメージして、天気や鳥の声、メンバーの息遣いや表情や動作に五感を開いて、次の一歩で応じていく。

 山のように前後のアプローチがあり、そこにさしかかった時にばっと変化を感じる場所を好むように、「空間的に思考するのが好きだ」とイズミは言う。距離を測り、遠近を感じ、奥を想像する。

 「すぐわかるものはイヤ」。それが長年松岡正剛のもとで仕事を続けてこられた秘訣かもしれない。自分の中にはなにもない。松岡の言っていることがわからない。「でも、ここには絶対になにかがある」。それだけは確信していた。

 

 

 本棚も風向きによって変わる

 

 松丸本舗にはじまり、近畿大学「アカデミックシアター」、角川武蔵野ミュージアム「エディットタウン」など、数々のブックウェアプロジェクトで松岡校長のもと陣頭指揮をとってきたイズミ。エディットタウンでは、選書設計で太田香保総匠(松岡正剛事務所)を筆頭に、編集工学の同志約60名の協力を得た。空間演出には、全体を統括する中村碧(百間)のもとクリエイター集団約60名が集った。松岡校長が監修する図書空間をつくる醍醐味は、関わる顔ぶれの多様さだ。その多様さが本の多彩になり、さらには思いもよらない発想へと連なる。

 「本はそれぞれにアドレスがある」と松岡校長は言うが、そのつながりは固定ではない。気分によって、天気によって、風向きによって、変わる。だからこそ関わるメンバーのバラエティが必要なのだと言う。

 

 

伝説の本屋・松丸本舗の本棚

 

 

漱石とキューブリックから『闇の奥』のジョセフ・コンラッドを知った棚

 

 

松丸 掛け軸

林のように連なった「本」という文字の松岡校長の書をどう掛け軸に仕立てるかはイズミの仕事だった

 

 

エディットタウンの本棚編集中

 

 

 本棚ではなく過去を整理するのは苦手で、イズミはどんどん先を見る方だ。イイと思うものを見つけては「もういっこ。これに合う鍵はなんだろう」と考える。ボールペンの向こう側のように、いつも見えない全体をイメージしている。

 考えるときは「モデル」を借りる。松岡校長モデル、太田香保モデル、藤本晴美モデルから、著名人、古今東西の著者まで、その数はまだまだ増殖中。最近、百間では、アインシュタインモデル、芭蕉モデル、シャネルモデル、柳宗悦モデル、岡潔モデルなどに取り組んでいるそうだ。

 思考のためのモデルは3つ組み合わせるのがイズミのポイント。3つの間の方法を探ることで、新たな見方が立てられる。新たな見方を言葉で表現して、取り出しやすいようにカスタマイズしておくと、アタマの中の工具となる。

 

 

 見えざる路を通って、ほかへ

 

 この誰かのモデルを借りて思考することがユニークネスを生み出しているのが、百間が開発しデモ段階にあるWebアプリ『KORO』だ。コウロとは、考える路すじ。キャッチコピーは「声と文字と意味と世界を相互につなげる」である。

 『KORO』は、内面に潜んでいるまだ言葉になっていない言葉を、本の力を借りて引き出すカルチュラルエンジンだ。いくつかの試みをした。1)松岡正剛の現場から学んだ「際」と「艶」と「奥」と「変」を、プロセスにわけて結び直した。2)日本語の動詞のマトリクスを作成し、古今東⻄数万冊の言葉のエッセンスを掛け合わせた。3)セイゴオAIを目指して研究開発してきた「HMHM 」(Hundred Metaphor Hundred Meme の略称)、通称「フムフム」を搭載した。4)松岡正剛監修のもと中村碧さん、富田拓朗さん、小坂真菜美さんらとともに超雑談を繰り広げてきた。いよいよ大和リースでプロトタイプが動き出す。

 松岡校長に「日本という方法」があるように、日本語にも「日本語という方法」があるのではないか。日本語を探求することで、今はまだ出会えていない“考えること”の可能性が見えてくるのではとイズミは思っている。

 

 

 

 

 “考路”は、松丸本舗やエディットタウン、いや松岡校長が構想した図書街を、ダイアログ・イン・ザ・ダークのようにモデルに手を引かれて、自分の思考方法を揺さぶられながら歩くようなもの。言葉の不意打ちに遇って、惑い、困り、追い込まれる。

 それは行き止まりではない。ボールペンのクリップが見えないけれどあるように、そこには“ほか”に向かう道すじが絶対にある。

 それがイズミの好きな場所、人を連れていきたい場所だ。


  • 林 愛

    編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。

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