千悩千冊0015夜★「年輩者の爆音くしゃみに悩んでいます」30代男性より

2021/03/01(月)12:50
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こう見えて繊細さん(30代男性)のご相談:
長年気になっていましたことをここで打ち明けます。それは、年配の男性のくしゃみについてです。「ぶああっくしょっっ」と文字にもしがたい声で、かつ特大の音量で吐き出すのは、なぜなのか。高齢化による身体の相転移によるものなのか、モラルの決壊なのか…
もうすぐ自分もおじさんの仲間入りをする年齢になってきており、あのようにはなりたくない、でもこれはあらがえない運命なのか、と悩んでおります。それに、この状況下の電車の車中では、いっそう気になって仕方がありません。
ゴジ、、サッショー、シーザーさま助言をお願いします。

 

サッショー・ミヤコがお応えします

重箱の隅をつつきますが、もしもゴジラがくしゃみをしたら、影響はどのぐらいの範囲に及ぶんだろうと妄想してしまいました。出るのは鼻水? それとも放射線? そういえば、もう一年前になりますが、ダイヤモンド・プリンセス号からの感染者受け入れの際、住民説明会で「ゴジラのような大きな咳をする人がいなければ大丈夫」と言って厳重注意された厚労省のお役人がいました。それって、「ゴジラに失礼よ」ということで注意されたのでしょうか? 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と似たようなものかしら?

実は、森会長の発言と同じような感触を、高齢化による「身体の相転移」とか「モラルの決壊」という言い回しから受けて、ちょっとイラっとしました。おそらく「こう見えて」さんは、老化から死に至る道筋を「固体→液体→気体」のような変化ととらえ、液状化を激しく恐れていらっしゃるのではないでしょうか。森会長はやや手遅れかもしれませんが、30代の「こう見えて」さんは意識を一新しましょう。老化って、樹木が外側にどんどん層を重ね、結果的に年輪を残すのと同じです。表皮はボロボロになったりしますが、死ぬまで成長は止まりません。見た目恐ろしいひひじーさんや意地悪ばーさんのなかにも赤ちゃんからの記憶が重なって人格になっていると考えると、ちょっと気楽に年が取れるでしょうか。

 

千悩千冊0015夜

内田百間(ケンは門に月)
『百鬼園随筆』旺文社(現在は新潮社)

 

 

苦沙味先生こと漱石門下の百鬼園先生(「門構えに月」は早く人名漢字入りさせてほしい)こそ、日本文芸史上一番「ぶああっくしょっっ」の嚏の似合う方だと確信して、ご紹介しました。本書には、ズバリ「嚏」という短章や名作と評判の高い「間抜けの実在に関する文献」など、さまざまな文章が収められています。サッショーが好きなのは、たとえば「飛行機がいくら危険でも、布団の上で人が死ぬのに比べれば、遥かに安全である。」てな強がりだったり、「私と云ふのは、文章上の私です。筆者自身の事ではありません。」の前置きで始まる「ものの裏表へのこだわり(「私」は日本銀行を襲撃して大金庫内の紙幣の裏表と向きを全部揃える夢想に及ぶのです)」だったりです。早く「イヤダカラ、イヤダ」と言える老人になりたいものです。

 

◉井ノ上シーザー DUST EYE

わたしも五十路をこえて、くしゃみの音やしぐさが大きくなりました。加齢の宿命ですね。“こう見えて繊細さん”にも、おじさんのくしゃみをかわしつつ、受け入れる術を身につけて欲しいと思います。くしゃみおじさんの表情は、ピアノを弾くグレン・グールドの恍惚状態に似てませんか。松岡校長は、グールドの演奏を「見られるのは、至福に近いものがある」と述べています。グールドの手や足の動きも独特ですが、同様にくしゃみをするおじさんの手や足の動きに着目すると、そこに芸術的な感動をおぼえられるかもしれません。

 

 

▲千夜千冊980夜『グレン・グールド著作集』より。
グレン・グールドの表情としぐさは、くしゃみおじさんを思わせる。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。