▲千夜千冊1500夜 大予想大会にて、松岡から米山へ贈られた記念の書
※前編【い】古文嫌いの少年時代 からのつづき
■なぜ書籍の企画を?
アイデアは『擬』のもどき
ーー風韻講座で連雀を務められるほどになって、米山さんご自身が歌に邁進していたとしても、だからといって本をつくろうとはふつう思い至らないですよね。どういう経緯で企画を立ちあげられたんでしょうか?
3つ理由があるんです。ひとつめは、2008年冬、第3座風韻講座 仄明書屋のときの校長の言葉です。ぽろっとおっしゃったんですよ、「僕は時間があったら、これ(歌)ばっかりやっていたいんだ」と。そのとき、校長が歌がお好きなんだということにはっきりと気づきました。
ふたつめは、2013年春、千夜千冊の1500夜の予想をあてたときです。1500夜は柿本人麻呂。そのとき「歌を切り口にした本はまだないんだ」と気づいたんですね。
企画へ至るもうひとつの理由は、書籍編集の方法を発見したことなんですよ。
ーー方法ですか。
『擬』(春秋社)が2017年に出たときに、「これだ!」と思ったんです。あの本の半分は、すでに書かれた千夜千冊の再編集ですよね。既存の情報も、テーマを立てて分類をしなおすことで、新しいものになるんだと気づいたんです。[守]の編集稽古のお題でもある「豆腐で役者を分ける」の実践ですね。俳優を絹、木綿、焼き豆腐、胡麻豆腐などで分類すると、まったく別の意味が立ち上がってくる。
これを見て、「歌」という分類軸で千夜や著作の文章を体系立てれば新しいものが作れると確信したんです。
▲[守]のお題。既存の情報も「わける」ことで、新たに「わかる」。「わける」と「わかる」はイシスの合言葉。
ーー本の編集を型で見ていたんですね。
最初は、『擬 MODOKI』の続編だから『KUDOKI』というタイトルを考えていました(笑)
ひとりで案を温めていたのですが、あるときイシス編集学校名古屋支所・曼名伽組の小島伸吾さんに伝えたら「おもしろい」と反応をもらって調子づきました。2018年1月、校長が名古屋にいらっしゃる機会があり、そのときに直接相談したんです。
▲名古屋城本丸御殿をおとずれ、地元の旦那衆と文化的密談を行った松岡正剛(写真提供:小島伸吾)
仕掛け人は小島。小島は名古屋城近くの老舗料亭八百彦本店の座敷を整え、松岡と米山と引き合わせた。
ーー小島さんによる面影座が結成されて、しばらくあとの時期ですね。校長はどんな反応を?
これといったリアクションはなかったですね(笑)しかし、しばらくしたら松岡正剛事務所の太田香保さんから電話をいただき、すぐに企画書を郵送しました。そのとき私が仮でつけていたのは『KUDOKI』や『玄月記』というタイトルでした。
ーー香保さんとはどんな相談をなさったんでしょうか。
香保さんには、『擬』同様に、半分が既存の千夜で、半分が書き下ろしの構成でどうかと相談したんです。すると「書き下ろしだと何年先になるかわかりませんよ」と微笑まれたので、完全なるリミックスになりました。編集については香保さんが、引用で織りなしていく『にほんとニッポン』(工作舎)のやりかたを参考にしてはどうでしょうかと当初からディレクションくださっていました。
■150万字の原稿を1冊へ
書籍編集の基本は、[守]にあった
ーー制作での困難は相当だったと聞き及んでいますが、行き詰まったときなどありましたか?
ひたすら原稿が膨大で、目の前が真っ暗になったのを覚えています(笑)
最初の作業としては、参考文献を開いては、手入力して原稿を集めることでした。1年弱、ずっとコンパイルしていたら、それだけでWordファイルで1500ページになりましてね。このテキストをどうすればいいんだろうと途方にくれましたね。
ーーすさまじい量ですよね。まず大量の原稿を集めて、その次はどんな編集作業をしたんでしょうか。
並び替えと分類ですね。『にほんとニッポン』同様に、テーマが年代順に並ぶように順序を整えて、同じテーマは同じカテゴリにまとめていきました。そのあとは、取捨選択です。何を残して、何を捨てるか。出来上がった本は約400ページなんですが、だいぶ減らしても1000ページにしかならなくて困りましたね。
ーーそれでも1000ページ(笑) この作業は、情報の収集から表現まで、[守]で学ぶ情報編集の4ステップ(情報の収集・関係づけ・構造化・演出)を地でいくプロセスですね。
最終的には、工作舎の編集者・米澤敬さんとの共同編集になっていったと思うのですが、どの段階まで米山さんが作業なさっていたんでしょうか。
とにかく一度完成原稿まで作りなさいと言われていたので、年代順に並べた原稿を完成させました。このときの書籍タイトルは『あやとうた』、章タイトルは「い・ろ・は」で考えていました。
▲米山がしたためていた幻の書籍案。章立ては「0. うたがカタ」で始まり、「117. はじまりでおわりの幼な心」で締めくくられる全572ページの超大作。
ーー『うたかたの国』の最終的な構成としては、章立てはクロニクルで、見出しや引用が入る。これは『にほんとニッポン』のフォーマットが下敷きなんですよね。この細部はどのように決まっていったんでしょうか。
僕がもともと作った原稿は、歌・テキスト・アフォリズムという3層で出来ていたんです。日本を見たとき、まずは歌が表層に浮かんでいて、その中層には
それを米澤さんがいまのフォーマットに置き換えてくださいました。そうするとクロニクルに収まりきらない「×」の話(p.67)や、漢詩の話(p.113)などの並べ方には非常なご苦労があったのではと思っています。
ーー僕も読んでいて、「漢詩を少々」と突然挟まれたのにはオッと驚きました。
じつはあの部分は、僕は一度省いた箇所でした。あまり漢詩を嗜む人っていないじゃないですか。そう思って打ち合わせのときに、「(問題は)漢詩をどうするかですよねえ」と言ったら、米澤さんが「そうだよ、漢詩を入れなきゃいけないんだよ!」と真逆のことをおっしゃったという(笑) そのときの米澤さんの言葉をよく覚えていますよ、「読者を舐めちゃいけない」と。
ーー米澤さんとはいろいろとやりとりしながら作っていったという感じなんですか。
この本に関しては、打ち合わせやメールで詳細につめるというよりは、お互いにゲラで応答しあうみたいな感じでした。米澤さんの出す答えは毎回ものすごく素晴らしくて、さすが工作舎さんと感動するばかりでした。
制作中に打ち合わせは3回あって、一回目は香保さんと、二回目は松岡校長と香保さん、三度目におふたりと米澤さんも交えて話しました。
■徹底した「七」へのこだわり
『うたかたの国』にひそむ編集技法とは
ーー校長からは、構成やスタイルなどに関してどんなディレクションがあったんでしょう?
章の見出しなどは突っ込まれましたね。やまとことばを多く使っていたら「もっとわかりやすく」と言われました。レトリックを効かせすぎるとよくない、と。その加減が難しいんです。
ーー読者が見ても、パッとわかるような言葉に変えたほうがいいということだったんですね。校長の見出しの付け方は、レトリック編集がきいているだけでなくて、読み手がどう受け止めるかも重要視されていることがわかります。
このような校長のディレクションや打ち合わせも経て、米山さんが原稿を完成させたんですよね。
そうです、いったんこちらで完成原稿を米澤さんにお送りしました。そこから長らく沈黙があって、1年後、突如PDFファイルが返ってきました。それは圧倒的な仕事でしたね。
ーー1年間も音沙汰がないと心配になられたかもしれませんが、返ってきた原稿は素晴らしかったわけですね。米澤さんの編集を「圧倒的」と表現されましたが、なにが優れていたんでしょうか。
米澤さんのエディットは、クロニクル構成なんだけれど物語になっているんです。大きなストーリーとしては、声から始まったものが文字になってゆき、近代が失ったものを歌はもっているという流れですよね。
もうひとつは、「七」へのこだわりです。七章立ての七というのは、五音と七音から成り立つ日本の定型詩に由来しています。また、真ん中の四章のところで「百月一首」という黒いページが入るんです。これはもちろん読者を飽きさせないようガラリとモードを変える役割ですが、「よ」に「夜」をかけて闇夜を演出している。さらには、章の最後(p.411)を締めくくるのは北斗七星の歌なんです。
▲北天に向かいし風の中にありて北辰の七点をまたたきもせず見つむ(玄月)
「玄月」とは言わずもがな、松岡正剛の俳号である。ある定例句会の満月の晩、雨が降って月が見えなくなったという。その見えない月に因んでつけられた号。
▲見開きが漆黒のページに、「百月一首 ーうたの幕間」の文字が月明かりに照らされる。
ーー米澤さんの編集がほどこされたあと、出版まではどんな流れだったんでしょうか。
こちらからの大きな要望はなかったんですが、香保さんからかなり突っ込んだリクエストがありました。
「和泉式部がないようですが、松岡が歌人として高く評価してます。絶対に必要です」と内容に関するものから、俳句についての構成がいまひとつ弱いというご指摘もいただきました。あわせて「千夜千冊エディション『ことば漬』の『省略の文学』『現代俳句表記辞典』あたりから引用を増やすと、俳句に関する骨格が組み立てやすいのではないか」など非常に具体的なアドバイスもくださり、再編集の大きな足がかりとなりました。
また、ゲラの文言は、松岡校長の本とウェブの千夜千冊などの出典といずれも一言一句すべて照合して校正しています。詩歌や歌論なども引用元とも可能なかぎり引き合わせをしていますので、おかげで西行や芭蕉はずいぶん勉強になりました。
ーー香保さんの「ないもの」を見つける手際はさすがのものですね。編集作業を作業に留めず、そこから学ぶ米山さんの姿も頼もしいです。米山さんがどうしても、とこだわったところはどこでしょうか。
松岡校長の書籍にも千夜千冊にも入っていない詩歌や文章を、じつはかなり入れています。詩歌の源や流れを感じられるようにしたり、登場人物の代表歌を足したりしているので、楽しんでもらえたらと思います。
たとえば、『古事記』の「あなにやし えをとこ あなにやし えをとめ」は最古の相聞といえますし、『詩経』の「黍離」は中国の無常だと感じます。本居宣長の「(歌とは)ただ心に思うことを言うほかないですよ」といった『排蘆小船』の一文も入れました。
どれも好きな文章を入れたんですが、しいていえば折口信夫、岡野弘彦さんは絶対に入れようと決めていましたね。あとは、古事記など千夜にも入っていないテキストは収録しようと意識しました。
出来上がってみて、入れたらよかったなあと思うのは白楽天ですね。漢詩だけれど、枕とか布団など身のまわりのモノを漢詩にしているんですよね。こういう漢詩は、政治家を失脚したあとの後半生につくられているんです。そしてそのフェチのおもしろさは、枕草子や源氏物語に引き継がれた。最近の千夜を読んでいてそんなことを思います。
そういえば、もうひとつ収録したかったものでいえば、松岡校長と岡野弘彦先生の対談という幻の企画もありましたよ。「入り切らない」という理由で即座に却下されましたが(笑)
▲松岡正剛が「母なる父」と敬愛する岡野弘彦氏。両者は2012年、シンポジウム「NARASIA2011 うた・こころ・物語 ~日本の源流と東アジアの風~」にて対談を行った(写真は千夜千冊1466夜『美しく愛しき日本』より)
つづく
[interview]『うたかたの国』編集者 米山拓矢に聞くうたの未来
【い】古文嫌いの少年時代(2021/5/8公開)
【ろ】『擬』もどいて、セイゴオくどく(2021/5/11公開)
【は】700年後の返歌待つ(2021/5/14公開)
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。
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