松本大洋② 失われた夢の記憶を求めて【マンガのスコア LEGEND49】

2022/05/16(月)08:44
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(LEGEND49松本大洋①)

 

■体育会系の青年

 

 もともと松本大洋という人は、十代の頃は典型的なスポーツ少年で、アート好きの文系男子とは程遠いキャラだったそうです。マンガを本格的に描くようになったのも大学に入ってからのことでした。

 大学時代の先輩で、のちに『竹光侍』でタッグを組むことになる永福一成氏によると、新入生の頃の松本大洋氏は、バリバリの体育会系で、サブカルっぽいものも全く知らず、映画といえば、ジャッキー・チェンとスタローンぐらいしか観たことがなかったそうです(ホントかよ)。

 高校時代はサッカー部のキャプテンをしており、プロサッカー選手に憧れていたという大洋氏ですが、やがてプロの壁の厚さを知り挫折。「自分にできることは何か」とあらためて考えた結果、従兄弟の井上三太氏(『TOKYO TRIBE』『隣人13号』で知られるマンガ家)の影響もあり、マンガ家を志すようになったそうです。

 大学漫研の部室に現れた大洋氏は、開口一番「練習はいつやるんですか」と真顔で聞いてきたとは永福氏の証言です。ガチの体育会系だった大洋氏は、漫研というところに行けば、マンガの描き方を、みっちりと特訓してもらえると思っていたそうです。

 そんな大洋氏ですが、19歳の時、初めて描いて投稿したマンガが、いきなり新人賞で入選(この連載やってると、このパターンよく聞きますね。イヤになってきます(笑)。)。さっさと大学を中退し、マンガ家への道を歩み始めます。

 デビューしたのは講談社で、最初の頃は「アフタヌーン」や「モーニング」の増刊などで短篇を発表しつつ、編集者からビシバシ鍛えられていたようです。

 

■メジャー誌での格闘

 

 そんな松本大洋に早くから目をつけていたのが、小学館の編集者・堀靖樹氏でした。この人こそが、松本大洋を見出し育て上げた立役者と言ってもいい人です。

 講談社で今ひとつ芽が出ず、くすぶっていた松本大洋にアクロバティックな奇策を弄して接触に成功(ネットのない時代、他社の作家を引き抜くための情報入手は、なかなか難しいものでした)。幸か不幸か松本大洋は当時全然売れっ子でなかったおかげで移籍は円満に行われます。「今度、小学館で描くことになりまして。」担当編集者に挨拶した大洋氏に対して、「おう、よかったじゃん」と快く送り出してくれたそうです。

 こうして小学館に移籍した松本大洋は、その才能を開花させ、講談社を見返すことになる…となればドラマチックなのですが、そう簡単に行くわけもなく、相変わらず人気の面では低空飛行を続けていました。

 のちに映画化されることにもなる短篇「しあわせなら手をたたこう」で小学館デビューした松本大洋は、1990年秋から「ビッグコミックスピリッツ」誌上にボクシングマンガ『ZERO』の連載をスタートさせます。

 ふつうのボクシングマンガは、無名でハングリーな若者が少しずつ成長していく物語ですが、この作品の主人公は登場時点でいきなり無敵の世界チャンピオンという設定でした。いわばホセ・メントーサの側から見た「あしたのジョー」とでもいうのでしょうか。

 主人公の五島雅は、顔の造形からして、およそ主人公らしさからはほど遠く、どちらかというと悪役、ことによるとラスボス的な雰囲気さえ漂わせた男です。そしてこの男が、ほとんど狂気ともいえる情念に駆られて破滅の淵に向かって突き進むさまを残酷に描いて見せたのが本作でした。

 まあ人気が出ないのは無理もないのですが、ボクシングマンガのある一つの極点を描いた傑作と言えるでしょう。

 

(松本大洋『ZERO』上下・小学館)

 

 つづく『花男』では、一転して底抜けに明るくユーモラスな作品に挑戦してみせます。松本大洋作品を特徴づける独特のセリフ回しや、掛け合いの面白さが完成されたのもこの作品からでしょう。しかし、この作品もイマイチ人気が出ず、前作同様一年に満たない期間で連載終了。

 

■それでも攻めていく

 

 そんな逆風の中、次にぶつけてきたのが『鉄コン筋クリート』でした。

 架空の町「宝町」を舞台に、シロとクロと呼ばれる二人の少年の相克と和解を通して、無垢の魂が隠し持つ光と闇の本源に迫るダークファンタジーとなった本作は、間違いなくこの時点での松本大洋の持てる力の全てをぶつけた本気モードの作品でした。しかし前作・前々作以上に受けそうもない題材で、よくぞこんなものを始めようと思ったものです。

 蓋を開けてみると案の定、連載第一回目から悲惨なアンケート結果に。

 編集部では、ただちに打ち切りが検討されたと言いますが、担当の堀靖樹氏が全力で防波堤となって連載を続けさせ、なんとか全3巻の作品に結実しました。

 今や、この作品が不世出の傑作であることを疑う者はいませんが、いや当時だって作品としては評価されていたのですが、とにかく読者人気がものをいう大手出版社の大手雑誌で、よくぞこんな作品を掲載させ続けたものだと思います(まあ、それだけ当時の「スピリッツ」は勢いがあったということですが)。

 

(松本大洋『鉄コン筋クリート』全3巻・小学館)

 

 すでにこの時点で松本大洋は、その特異な作風で各方面からの注目を浴び、独自の地位を築きつつあったのですが、人気からは程遠いポジションにいました。

 そこで次の連載を獲得するためには、ある程度王道路線を採用しないと企画が通らないということで、堀氏と大洋氏の出した結論がスポーツマンガ。しかし、その種目は、よりにもよって卓球でした。

 こうして始まったのが連載第四作目の『ピンポン』です。

 当時の感覚ではどう料理しても様になりそうに見えなかったこのスポーツを、松本大洋は、みごとにダイナミックな活劇に昇華させてしまったのです。

 友情・努力・勝利のポイントもきっちり押さえた王道の熱血マンガであると同時に、松本大洋印の独特のセリフ回しもますます冴えわたりました。「アツがナツいぜっ!!」っていうよく聞くセリフの元ネタは、この作品です。

 この作品、のちに映画版が大ヒットしたこともあり、『鉄コン筋クリート』と並んで今も読み継がれるロングセラー作品となりました。

 

■転換点

 

 さて、90年代を通して「スピリッツ」作家だった松本大洋も、さすがに週刊連載のせわしない世界からいったん離れてみたいと考えるようになります。締め切りやアンケート結果などを気にせず、自分のペースで好きなように描ける「描き下ろし」作品に挑戦しようとしたのです。海外のコンベンションなどにも顔を出す機会が多くなり、向こうのBD作家などのスタイルが羨ましくも見えたようです。

 こうして三年の歳月をかけて作り上げたのが2000年刊行の描き下ろし単行本『GOGOモンスター』でした。

 廃校になった小学校から転校してきた少年マコトは、「あっちの世界」が見えるという少年ユキに強く惹かれることになります。

 これまでの作品でも松本大洋がよく使ってきた二人の少年の葛藤と和解のモチーフがここでも現れてくるのですが、『鉄コン筋クリート』では、幾分か抽象化されファンタジックな形象として提示されていたテーマが、より前景化した形で深掘りされていくことになりました。

 

 

(松本大洋『GOGOモンスター』小学館)

 

■松本大洋を支える人

 

 松本大洋は極めて特異なスタイルで我が道を行くような作家と見られていますが、そのテーマは、いつも普遍的で根源的なものです。

 そして長らく自らのフィールドとしてきた媒体の性格もありますが、その制作スタイルも常に開かれたものでした。ご本人もインタビューなどでしばしば発言しているように「ひとりで好き勝手に描けるタイプ」ではないのです。

 事実、マンガ家松本大洋誕生の背景には何人かの強力な理解者、協力者の存在を無視するわけにいきません。

 大学時代に大洋氏になにくれとなくマンガの描き方をアドバイスし、デビュー後は初代アシスタントとなり、のちに『竹光侍』で原作者としてタッグを組むことになる永福一成、デビュー前から自らの指針としてきた従兄弟の井上三太、そして松本を見出した小学館の編集者・堀靖樹、また松本大洋夫人でもあるマンガ家の冬野さほ。

 特に、実作において重要なパートナーとなっているのが冬野氏です。

 すべての大洋作品の初稿ネームを冬野氏がチェックし、そのあと二人でネームを詰めていくという工程で作業を進めているそうです。単行本巻末のクレジットに冬野氏の名が出てくるのは『ピンポン』(1996~)からですが、基本的にその頃から御夫婦の二人三脚で描かれているようですね。冬野氏の、やわらかなタッチが、絶妙な加減で松本大洋のスタイルの中に流れ込み、いい方向での化学反応を起こしているようです。

『ルーヴルの猫』(2016~17)なんて、すごくいいですね。この作品、大島弓子のひそみにならい擬人化した猫の登場する「猫マンガ」なのですが、設定だけじゃなく物語の展開も、まるで全盛時代の大島弓子が憑依したかのようなクオリティで、ラストは本気で泣かされます。

 

(松本大洋『ルーヴルの猫』上下・小学館)

 

 そして堀靖樹氏と並んで、松本大洋に注目していたもう一人の編集者が江上英樹氏です。

 江上氏といえば、かつて担当としてついた江口寿史を、「落とす人」としてキャラ化してショーアップした張本人であり、相原コージと竹熊健太郎という異色の組み合わせで『サルまん』を仕掛け、吉田戦車を見出して『伝染るんです。』を立ち上げた伝説の編集者でした。

 彼が中心になって2000年に立ち上げた雑誌が、小学館の「月刊IKKI」です。この雑誌、以前丸尾末広の回で触れた「コミックビーム」や、「ガロ」の後継誌である「アックス」などと並んで、オルタナティブ系の先端的な作品の発表媒体として、ゼロ年代以降のマンガシーンに重要な役割を果たすことになります(LEGEND作家でいえば、いがらしみきお「I(アイ)」の連載がここです)。

『GOGOモンスター』の担当となった江上氏は、描き下ろしであることをいいことに延々と描き直し続ける大洋氏を上手く言いくるめて、なんとか刊行にこぎつけるという剛腕を発揮した後、新創刊する「月刊IKKI」では、彼を雑誌の顔となる看板作家として全面的にフィーチャーしました。こうしてスタートしたのが『ナンバー吾(ファイブ)』です。

 この作品は松本大洋が少年期に親しんだ石森章太郎や大友克洋のエッセンスを取り入れつつ、自身のこよなく愛するバンド・デシネ風のテイストで描いた近未来冒険活劇でした。

 

 そして2010年からいよいよ『Sunny』の連載をスタート。これはデビュー当初から大洋氏が「いずれ描いてみたい」と温めていた児童養護施設を舞台にした物語です。実は大洋氏自身、小学生から中学生にかけて養護施設で暮らしていた経験を持っているのです。

 多分に自伝的要素の強いフィクションとして、この作品は、松本大洋の新しい地平を切り拓くものとなりました。

 

(松本大洋『ナンバー吾』①『Sunny』①小学館)

 

 また、『ナンバー吾』と『Sunny』のあいだには古巣のスピリッツに戻って連載した『竹光侍』(2006~2010)があります。大洋氏の大学の先輩かつ元アシスタントかつマンガ家でもある永福一成氏の原作による初の本格時代劇。現時点における松本大洋の最長連載作です(全8巻)。

 真剣を質屋に売り飛ばして竹光を手挟んでいるひょうきんな男を主人公に、彼を取り巻く長屋の住人や寺小屋の子供たちとの悲喜こもごもの日々をしみじみと描く……と聞くと「なんか地味な話?」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。

 実はこの男、凄腕の剣の達人であるのに、自らの裡に巣くう闇を抑え込むために、あえて真剣を手放しているのです。それにもかかわらず、この男の周りには、やがてじわじわと闇が押し寄せてきます。

 最後の決闘に向かうまでの終盤の盛り上がりは、さすがにメジャー誌で場数を踏んできた物語作家・松本大洋の面目躍如たるものがあります。

 杉浦日向子ファンのみなさまにも、平田弘史ファンのみなさまにも、ともに満足していただける一品でしょう。

 

(松本大洋『竹光侍』①④⑥⑧小学館)

 

 最新作は、2019年より「ビッグコミックオリジナル増刊」で連載が開始された『東京ヒゴロ』。

「マンガ家マンガにハズレなし」という南信長氏の名言がありますが、このジャンルについに松本大洋が乗り込みました!

 昨年8月に刊行された単行本第1巻は話題を呼び、年末の『THE BEST MANGA 2022 このマンガを読め!』(フリースタイル)では、みごとに第一位を獲得。早くも傑作の呼び声が高まっています。

「最新作が常に最高傑作」である松本大洋ですが、『Sunny』により、ついにキワキワの最高傑作を完成させてしまったのか…と思いきや、『東京ヒゴロ』で、またもや、とんでもないものが生み出されそうな予感がします。

 

(松本大洋『東京ヒゴロ』①小学館)

 

LEGEND49松本大洋①

LEGEND49松本大洋②

 

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  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。