楳図かずお 戦慄の迷宮【マンガのスコア LEGEND16】

2020/10/30(金)16:46
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 今でも忘れることのできない光景があります。

 小学五、六年生の頃だったでしょうか。あるとき教室で、数人の女子達が、なにやらマンガを読んでいました。通りすがりにちらっと見たそのマンガの絵に、私はとてつもないショックを受けてしまいます。可憐な美少女が手術台に縛られ、むき出しの脳みそに太い針が何本も突き立てられていたのです。

「ぎゃっ」

 あまりの衝撃に私はしばらくの間、立ち直れませんでした。その日の給食が麻婆豆腐だったことも、はっきり覚えています。大好物の麻婆豆腐に、その日は口をつけることができませんでした。

 それにしても驚くべきは、マンガのえげつなさ以上に、それを読んでる女子達の嬉々とした表情でした。なにが楽しくて、そんな気持ち悪いマンガを読んでいるのだ。私には全く理解の外でした。

 そのマンガのタイトルが楳図かずおの『洗礼』(小学館)であったことを知るのは、ずっと後のことになります。

(楳図かずお『洗礼』③小学館)

 

■少女マンガ家・楳図かずお

 

 楳図かずおが、まぎれもない少女マンガ家であった事実を忘れてはなりません。

 70年代以降、『漂流教室』『まことちゃん』(ともに小学館)などで少年誌に軸足を移すまで、楳図作品の多くは少女マンガ誌に掲載されていました。貸本時代の作品も、その読者の多くは女性だったといいます<1>。

 怪奇ものやホラーマンガの主要な読者層が女性であるのは面白い現象です。

 これはマンガに限った話ではありません。「リング」や「呪怨」のヒットにより、ゼロ年代に一躍ブームとなったJホラーですが、アメリカなどの洋画ホラーとの著しい違いの一つは観客の多くが女子であることですね。

 まさかりやチェーンソーを振り回す狂人がビキニ美女を追いまわしたりする洋画ホラーは、男性的なマチズモが濃厚に感じられますが、日本のいわゆる心霊ホラーは、どちらかというと恐怖に遭う女性目線なのですね。そして、それを受容する観客の多くも女性です。「ハロウィン」のようなホラーマンガ誌も心霊実話読み物も、なぜか読者の大多数が女性で占められています。日本の女子たちは、なんでこんなにホラーが大好きなんでしょう。

 

 楳図かずおも、長らく多くの女性読者から支持されてきました。

 楳図の好む恐怖というのは、スプラッター映画のような即物的な恐怖というより、あくまで心理的な恐怖です。それはどこまでエゲツなくオドロオドロしい意匠を伴っていても変わることがありません。上記の『洗礼』にしても、確かに絵ヅラもショッキングなのですが、眼目はそこにあるのではなく、具現化された母子密着の恐怖にこそあるのですね。

 さて今回は、その『洗礼』から、楳図かずおらしさの溢れたシーンを模写してみました。

楳図かずお「洗礼」模写

(出典:楳図かずお『洗礼①』小学館)

 

 楳図先生と言えば、とにかく黒々とした密な画面という印象があります。ところが一本一本の線は、すごく細いのですね。丸ペンや【カブラペン】で、あまり入り抜きのない細い線を、たくさん重ねていくことで、真っ黒に塗りつぶしていく感じです。

 一方、コマ構成の方を見てみますと、四段×三コマという、とても【小さなコマ割り】です。これは昭和三十年代までの月刊誌に見られる一般的なコマの割り方なのですが、楳図かずおは後年に至るまで、コマは、とても小さく使っていました。

【タチキリ】もほとんど使いません。禁欲的なほどコマは小さく使うのに、それでいて【絵の密度】はとても高く、家具調度や壁紙の模様、動きを表す集中線などは過剰なぐらい描き込みます。小さなスペースにギッチリ詰め込んでしまうのですね。

 コマのテンポも独特です。とにかくヘンなタイミングの【中割りカット】が過剰に盛り込まれていて、楳図マンガに特有のリズムを刻んでいます。最後の三コマなんて特にそうですね。恐怖に顔をゆがめた少女のカットに続けて、口だけのクローズアップが二コマ連続して現れています。そして少女の口に深く刻みこまれた【楳図ジワ】が印象的です。楳図パロディなどをやると必ず出てくるやつですね。

 とにかく楳図かずおのコマ構成は、全てが定石破りなのですが、それが作品の効果を削ぐことなく、かえって独特の迫力を生み出しているのが面白いところです。

 

■楳図かずおはこれを読め

 

 楳図かずおは、押しも押されぬキング・オブ・ホラーとして、これまで何度も作品集やアンソロジーが編まれてきました。あまりにたくさんありすぎて何から読んでいいのか、わからなくなりますよね。

 とりあえず最初の入門の一冊としてオススメしたいのは、綾辻行人の編集による『楳図かずお怪奇幻想館』(ちくま文庫)でしょうか。文庫版なのでサイズが小さいのが玉にキズですが、稀代の楳図マニアによる厳選された一冊本ということで、これは買いです。

 また、今回模写で取り上げた『洗礼』も、楳図作品中、一、二を争う傑作であることは間違いありません。人間の欲望の極限状態を描いた問題作。「この世に知恵と希望があるかぎり、人はいつも罪深い」という作中のセリフは、まさにこの作品世界を象徴する名フレーズです。

『おろち』『アゲイン』『漂流教室』などのサンデー作品も粒ぞろいですし、大ヒットしたギャグマンガ『まことちゃん』も忘れてはなりませんね。

『イアラ』は、楳図版「火の鳥」ともいうべき大作で、これもハズせません<2>。

(楳図かずお『怪奇幻想館』『おろち』『イアラ』『漂流教室』)

 

 そして楳図マンガの最高傑作と個人的に思っているのは『わたしは真悟』(小学館)です。これだけは何も言わないから是非読んでください!と強調したいところです。

 

 こうやって挙げていくとキリがないわけですし、識者アンケートの類いを見ても、ほんとに人によって取り上げるベスト作品がバラバラなんですね。ホラーという特殊ジャンルに特化された作品歴にもかわらず、こんなにも多面的で様々な顔を見せてくれる作家も珍しいですね。

 

■貸本マンガ家として

 

 楳図かずおのデビューは1955年。一時は「少女ブック」などの大手誌の仕事をしていたこともありますが、基本的には貸本マンガの世界で活躍していました。

 怪奇ものは貸本マンガの主力ジャンルの一つでしたが、その中でも楳図かずおは、その表現力において突出したものを持っていました。当時の貸本マンガ界において、楳図かずおと水木しげるは、このジャンルにおける両巨頭と言えるでしょう。

 水木の怪奇マンガが異界への招待だとすると、楳図のそれは、日常と地続きの「恐怖そのもの」でした。たぐいまれなる描写力に支えられた、そのリアリティは、当時の子どもたちに底なしのトラウマを与えたといいます。

 

■中央大手への進出

 

 60年代半ば頃から、「少年マガジン」を中心に、貸本劇画作家の一本釣りが始まったことは以前にも書きましたが、楳図かずおも同じ講談社の「少女フレンド」に精力的に執筆するようになります。「ねこ目の少女」「百本めの針」「ママがこわい!」などの最恐のホラーの数々は、当時の少女たちを恐怖と絶望の淵に叩き落としました。60年代末を舞台にした高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」にも「楳図かずおのマンガにおびえたこと…」というセリフが出てきますね。

(楳図かずお『少女フレンド/少年マガジン オリジナル版作品集』①③⑦講談社)

 

 人気作家として超多忙だった楳図先生は、肩こりからくる不眠症に長年悩まされ、過労で倒れると静養先にまで編集者が押しかけてきて、病床で執筆を続けるなど、無茶苦茶な生活を続けていました。

 最終的に1970年頃を境に、乱脈な生産体制を整理し、発表の舞台を小学館に絞ることになります<3>。そしてそれ以後は、だいたい一作品描いては、終わると次の連載に移る、という体制になりました。こうして1970年から1995年にかけて、「少年サンデー」に『アゲイン』『漂流教室』『まことちゃん』、「少女コミック」に『洗礼』、「ビッグコミックスピリッツ」に『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』(ともに小学館)が、ほぼ途切れ目なしに連載されることになります。

 

■綾辻先生のお見立て

 

 京都山科にある古民家・春秋山荘でかつて今野裕一氏による様々なイベントが行われていましたが、その中でも個人的に忘れがたいのが、福田容子さんも関わっていた、綾辻行人氏を招いてのトークイベントでした。楳図かずおの『わたしは真吾』について徹底的に語り尽くすという、とてもニッチな企画で、参加者も数名程度。綾辻さん、今野さんという雲の上のような人と間近に囲炉裏を囲んで語り合うという贅沢きわまりない経験をさせてもらいました。

(左:春秋山荘/右:トークイベント『わたしは真悟』とわたし)

 

 そういえば、そのとき何かのはずみで『洗礼』の話になり、私が、あの結末のどんでん返しは、楳図先生が途中で思いついたものではないかと疑問をもらしたところ、綾辻先生が、間髪入れず「いや、そんなことはない。あれは絶対、最初から考えていたはずだ」とおっしゃっていたのを覚えています。新本格の教祖に、そこまできっぱり断言されてしまうと、そうかなという気もしますね。楳図先生ご本人も、とあるインタビューで「あれはちゃんと考えていた」と答えています<4>。

 しかし楳図かずおの作品には、本人がどこまで計算しているのか、よくわからないようなあやしさがあります。『わたしは真悟』にしても、どう見ても行き当たりばったりとしか思えない展開に見えるのですが、そうかと思うと、途中でとんでもない伏線回収が現れたりして驚かされます。そもそもタイトルである「わたしは真悟」にしたところで、連載からなんと二年近く経つまで、その意味が明らかになりませんでした。

 物語前半の最大のヤマ場である東京タワーのシーンなど、雑誌連載中、そうとう話題になったと言います。掲載誌の最新号が出るたびに、マンガファンたちは、寄ると触ると、このあとの展開を予想し合ったとか<5>。確かにこのあたりの展開の予想のつかなさ加減はただごとではなく、その上むやみと盛り上がっていくので、さぞかしワクワクしただろうなと、当時のリアルタイムの読者たちをうらやましく思います。

 そして、この物語は、後半に至ってそれを凌駕するようなウルトラ級のクライマックスが用意されていて、きれいな大団円を迎えるのです。

この作品は、楳図かずおの全作品の中でも突出した傑作ではないかと個人的には思っています。

(楳図かずお『わたしは真悟』⑥小学館)

 

■究極の問題作『14歳』

 

 楳図は、このあと『神の左手悪魔の右手』という異形のインテルメッツォを挟んで、1990年より、いよいよ最大の問題作である『14歳』の執筆に取りかかります。 

 この『14歳』という作品、連載スタート時から、なにやらただならぬ雰囲気が漂っていました。楳図先生ご自身も「この作品で、もう一度『わたしは真悟』の奇跡を。いや、それを超える何か凄いものを」と本気モードになっているのが、ひしひしと伝わってきたものです。リアルタイムの『わたしは真悟』体験に間に合わなかった者としては、まさに「キター!!!」って感じでした。今度こそあの、めくるめくような奇跡の現場に伴走できるのか。期待はいやがうえにも高まりました。

 

 しかし、その期待は残念ながら裏切られることになります。最初の方こそ、期待を持たせるいい感じで話が進んでいたのですが、いつまでたっても物語が動き出す気配がない。鬼面人を驚かすような、とてつもないビジョンが次々と繰り出されて、さすがは楳図先生、とは思うのですが、お話が発散したままなんですね。そうこうするうちに『わたしは真悟』(全10巻)のボリュームはとうの昔に超えてしまい、ついに20巻目まで来てしまいます。

 終盤になるともう、作者もフロシキたたむのは完全に放棄したようで、ヤケクソの剛速球(暴投)を投げまくります。やがて、エヴァQも裸足で逃げ出す「シッチャカメッチャカな状況」(byマリ)になり、最後は、宇宙の果てはどうなっているか調べるために、宇宙船団を仕立てて旅に出る展開に…。

 ラストは楳図先生ならではの、ちょっと面白いオチのつけ方をしていましたが・・・。

・・・う~む・・・

これは・・・・ひょっとして・・・失敗作?

 ともあれこれは、どんなマンガにも似ていない異形の作品であることは確かです。一読の価値は十分ありと言っていいでしょう。

(楳図かずお『14歳』15小学館)

 

 楳図先生は、長年の過労による腱鞘炎が悪化して、執筆を続けることが困難になり、『14歳』を最後に実質的な引退をしています。もう再開するつもりは、あんまりないようですね。もはや四半世紀近く新作がないわけですが、残された膨大な傑作群は、何度読み返しても飽きることはありません。

 

◆◇◆楳図かずおのhoriスコア◆◇◆

 

【カブラペン】62hori

楳図先生は基本的にカブラペンを使うそうです。Gペンの荒っぽい線は、どうしても好きになれず、使えないと言っています。

 

【小さなコマ割り】74 hori

コマが小さいだけでなく、セリフも多いので、人物が隠れてしまうことも珍しくありません。

 

【タチキリ】69 hori

「岡崎京子」のhoriスコアを参照。80年代に入り、『わたしは真悟』の頃になると、ようやくタチキリを多用するようになります。

 

【絵の密度】85 hori

特に60年代末頃を境にして楳図かずおの画風は劇画の影響で大きく変質するのですが、描き込みの密度が尋常でないレベルになるのはこの頃からです。

 

【中割りカット】81 hori

楳図かずおのカットの割り方は非常に独特で、ここぞという見せ場になると、ものごくグルーヴし始めます。『わたしは真悟』の東京タワーのシーンなど、その最たるものでした。過剰な描き込み線と、極端なアングル操作に加えて、細かくたたみかけていくコマ割りが、いやがうえにも緊迫感を盛り上げていましたね。

 

【楳図ジワ】79 hori

楳図ジワの出現時期をちゃんと特定できていないのですが、「少女フレンド」時代はまだありませんね。小学館時代に入ってから徐々に現れはじめた感じでしょうか。

 

●◎●ホリエの蛇足●◎●

 

<1>貸本マンガというと、男っぽいイメージを持たれるかもしれませんが、実は少女向けの貸本誌はたくさんありました。楳図かずおは「虹」や「花」といった少女向け貸本誌を舞台に活躍していました。

 

<2>『イアラ』という一つの作品のタイトルのもとに、七つの連作短編からなる「イアラ」本編と、それとは無関係な短篇群が入っています。最初の単行本であるゴールデンコミックス版がそういう形態をとったせいで、ややこしいことになってしまったのですが、ここで楳図版「火の鳥」と言ったのは本編の方。時空を超えた一組の男女が、謎の叫び声「イアラ」をめぐって、古代から未来にかけて輪廻を繰り返す大ドラマです。

 

<3>「少女フレンド」では楳図マンガの人気が大爆発し、雑誌の部数を大きく引き上げることになります。しかしそのことがかえって教育関係者の目を引くことになり、悪書糾弾の矢面に立たされる羽目になりました。非難の声に抗しきれなかった講談社は楳図作品の打ち切りを決定してしまいます。こうした経緯が、のちの小学館一本化の背景に影響しているかもしれません。

 

<4>「ああいうのはやっぱり最後までぴしりと考えて描きます。途中でおかしくなるとあとにつなげられませんのでね。」(『楳図かずお大研究』(別冊宝島675)p23)

 

<5>岡崎京子先生も、何かのマンガで「あたし東京タワーのてっぺんに登るっ」「わたしは真悟かよ」みたいなパロディをやってましたが、どのマンガか忘れてしまいました。(ところで楳図かずおの、岡崎京子への影響は、つとに指摘されているところです。『ヘルタースケルター』なんて典型的ですね)

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:楳図かずお『鬼姫』秋田書店


  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。