6月。田んぼの水がてらてらと光る。棚田の一つひとつに映り込む月を表す「田毎の月」は、うつろいとおもかげを宿す言葉だ。松岡校長の近著『日本文化の核心』では、田の神と共にあった稲作のプロセスを巡る生活文化に、日本のおおもとを見出し、私たちの祖先の深い祈りが込められているコメ信仰の奥行と広がりを説く。
神を迎える何もない空間、それが「座」の始まりだった。そこに人々は寄り集まり、歌や物語を通して情報を交換し、記憶と想起の編集を繰り返しながら、共同で文化を生み出していったのである。『日本数寄』で校長は、いにしえより日本の編集文化には「意味のふくみあい」を成立させる「場の構造」がひそんでいて、それが室町時代の会所や書院や茶室という「語りの場」に発展したのだと述べている。連歌会や茶寄合といった遊芸のサロンは、互いの「好み」をアワセ・カサネ・キソイ・ソロエといったプロセスで分かち合い、新しい相互価値を創発する装置となった。そうした「座」で、しつらい、ふるまい、もてなしの三位一体を取り仕切ったのが同朋衆だった。千夜千冊第520夜『武家文化と同朋衆』には、足利将軍のもと、三阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥)をはじめとする同朋衆が目利きのクリエイティブ・ディレクターとして活躍したことが書かれている。観阿弥や世阿弥を足利義満に引き合わせたのも、海老名南阿弥という同朋衆だったいう。文化の編集を引き受ける同朋衆は、「唐物から和物へ」というパラダイムシフトにも大きく関わっていた。
グローバル社会やネットの広がりの中でランキングやアクセス数といった評価システムが大きく問われている今、「好み」や「数寄」によって座が創発する新しい価値を牽引していた同朋衆が、あらためて注目されてきている。
日本文化を支えてきた「語りの場」や「意味の場」を、今月20周年を迎えたイシス編集学校は、アーキタイプである同朋衆に肖り、培ってきた。しつらえられた教室では、お題を通した相互編集が新しい関係性や別様の可能性の発露となり、座の文化を育む。
先日は、破の教室のコンクールである「知文術」のアワードの発表が、評匠をはじめとする選評委員による講評とともに発表された。方法の目利きである同朋衆――選評委員は、教室で師範代と学衆が交し合い、知文を磨いていったプロセスごと評価する。選評者たちは、アワセ・カサネ・キソイで「座」に芽生える新しい価値に光を当てながら、日本文化のおおもとを、そのつど展いていくのである。教室という苗代は、おもかげとうつろいの月を今宵も映し、稔りのときを待つ。
千夜千冊第520夜『武家文化と同朋衆』村井康彦
千夜千冊第1502夜『クラブとサロン』守屋毅・笠井潔・中条省平・高橋秀元ほか
丸洋子
編集的先達:ゲオルク・ジンメル。鳥たちの水浴びの音で目覚める。午後にはお庭で英国紅茶と手焼きのクッキー。その品の良さから、誰もが丸さんの子どもになりたいという憧れの存在。主婦のかたわら、翻訳も手がける。
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