編集用語辞典 03 [先達文庫]

2020/09/29(火)13:09
img

 明け方、朝顔の蕾が開く。極薄の花弁の深い青は、日の光を浴びて夕暮れの空のうつろいのように徐々に紫がかった色へと変化していく。京橋で古美術を商う高校時代の友人から初夏に届いた朝顔のたねは、白洲正子から川瀬敏郎を経て、坂村岳志へと渡ったものだという。産霊(むすび)の力が詰まった小さな固い粒を見つめているうちに、二千年の長い眠りから覚め、花を咲かせた蓮のことを思った。たねは、時の流れを超えて蘇る情報のうつわと捉えれば、書物のようでもある。

 

 今月の21日と22日の両日に、イシス編集学校20周年を祝うオンライン感門之盟が開催された。毎期、この晴れの場で労いと感謝をこめて師範代に渡される松岡校長からの格別の贈り物、それが先達文庫である。歴代の師範代に贈られてきた先達文庫のリストは、イシス編集学校にかかわるすべての人にとって、有難い、貴重な知と情のアーカイブだ。「文庫」は、和語の「ふみぐら」に当てた漢字で、もともと大切な書物を保管する倉庫のことを指したという。中世の金沢北条氏の金沢文庫や、足利学校の足利文庫など、和漢の書を収めた蔵は、図書館のアーキタイプといえるかもしれない。

 

 漢字学者の白川静によれば、「書」という文字は、地中から何かが出てくるときの様相をあらわしているとも、何かが埋まっていることを明かしているのだとも、校長著『花鳥風月の科学』には書かれている。師範代一人ひとりのために校長が選び抜いた先達文庫は、時空の彼方から届く編集的先達の声が刻まれた、手のひらに乗る愛らしいミニチュアのうつわ。ここへ校長の真心のこもったメッセージが書き込まれて産霊の力を得、世界にたった一つのたねへと生まれ変わる。やがてそれは師範代のなかで芽を吹き、蕾をつけ、花開き、実を結んでいく。

 いにしえの人々が歌に想いを託したように本を贈り合うイシスの文化は、この先達文庫から始まった。

 

  • 丸洋子

    編集的先達:ゲオルク・ジンメル。鳥たちの水浴びの音で目覚める。午後にはお庭で英国紅茶と手焼きのクッキー。その品の良さから、誰もが丸さんの子どもになりたいという憧れの存在。主婦のかたわら、翻訳も手がける。

  • 編集用語辞典 18[勧学会(かんがくえ)]

    公園の池に浮かぶ蓮の蕾の先端が薄紅色に染まり、ふっくらと丸みを帯びている。その姿は咲く日へ向けて、何かを一心に祈っているようにも見える。 先日、大和や河内や近江から集めた蓮の糸で編まれたという曼陀羅を「法然と極楽浄土展」 […]

  • 編集用語辞典 17 [編集思考素]

    千夜千冊『グノーシス 異端と近代』(1846夜)には「欠けた世界を、別様に仕立てる方法の謎」という心惹かれる帯がついている。中を開くと、グノーシスを簡潔に言い表す次の一文が現われる。   グノーシスとは「原理的 […]

  • 編集用語辞典 16 [物語編集力]

    木漏れ日の揺らめく中を静かに踊る人影がある。虚空へと手を伸ばすその人は、目に見えない何かに促されているようにも見える。踊り終わると、公園のベンチに座る一人の男とふと目が合い、かすかに頷きあう。踊っていた人の姿は、その男に […]

  • 編集用語辞典 15 [アブダクション]

    デーモンとゴーストの長年にわたる秘密の対話が、ずっしりと持ち重りのする新書となって、名残の月の美しい季節に書店へと舞い降りた。数理科学者の津田一郎氏と編集工学研究所の松岡正剛が、それぞれの専門性の際をインタースコアした対 […]

  • 編集用語辞典 14 [インタースコア]

    名月や池をめぐりて夜もすがら   『月の裏側』という美しい本がある。著者のクロード・レヴィ=ストロースは幼い頃、父親にもらった歌川広重の版画にすっかり心を奪われ、遠い東の国に恋をしたという。何度めかの日本訪問の […]