【ISIS短編小説】一瞬の皹・日々の一旬 読み切り第四回 ギターの渇き

2020/04/26(日)13:35
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あの男(ひと)は毎日毎日14時間もアタシに触ってきて、びんっと張り詰めたアタシの大切なところを弾いてくるくせに、翌朝になると、「貴方のような楽器に初めて会いました、どうしよう、僕はどうしたらいいですか」と言わんばかりのダラシのない顔をして、ギグバックのベッドから寝ぼけ眼のワタシを抱き起こし、くびれたところから頭のてっぺんまで視線を這わせてくる。それが終わると今度は急にまじめな顔になって、大切なところをちょいちょいと弾いて頭のペグをグイグイ締めたり緩めたりする。たまに締めがキツすぎて、アタシはへんな声をあげちゃうんだけれど、あの男はブサイクな顔にしかめっ面を上乗せして、ペグを緩めて弾き続けた。そうして一通りの前戯が終わると、あとはもう14時間ぶっ通し、決してアタシを離さなかった。

顔に似合わず、あの男の指は細長くて美しく、爪も綺麗に整っていた。その美しい人差指で優しくセーハ、中指から薬指、小指をピンと繰り返し立ててくるんだけど、それが気持ちよくてウットリする。まるでアタシが、あの男の指を弾いているような気分。そう、アタシがいないと、あの男はあの男じゃいられなくなる。あの男はアタシに夢中。アタシがその気なら、いつでもほかの楽器(オトコ)に替えられるんだけど、可哀そうだから、あの男をアタシが弾いてあげてるの。たまに、ケバケバしい化粧した若いのと遊んでいたけれど、最後はワタシのところに帰ってくる。あの男はアタシの楽器、そう信じていた。

 

あの日が来ることは、実はワタシ、うすうす感じていたの。あの男は認めたくなかったのでしょうけど、アタシは前戯ではっきりと指の異変を感じていた。あの男の美しい人差し指のウーハでウットリしなくなった。節々が太くなっていて、いつものように滑らかに動かないようだった。中指も薬指もこわばっていて、小指はいつもの薬指ぐらいの太さになっていた。ワタシに触れる時間も3時間くらいに減って、毎日ではなくなって、ギグバックのベッドで待ちぼうけすることが多くなった。

あの日、バック越しにあの男は、ワタシに語りかけてきた。「薬を飲んでいるけど、もう指は元通りにならない。べつのプロの方にキミを譲ることにする。僕よりずっと上手く扱えるはずだ。今までつきあってくれてありがとう」

ワタシは、大切なところを震わせて返事しようとしたけれど、ワタシは自力では何もできないことを、今さらながら感じていた。やっぱり楽器はワタシだった。いなくなってダメになるのは、アタシのほうだった。久しぶりにバックが開かれ、ワタシはあの男の顔を見た。妙に清々しかった。でも、ワタシのくびれに触れた指は膨れたままだった。ワタシはバックから抱き起されず、そのままバックは閉じられた。

 

もう一度だけ、その指で弾いてほしかった。

 

 

~型に拠れば~

 

本棚の脇に佇むギターを注意のカーソルで捉えた。要素は、弦とボディのくびれ。意味単位のネットワークで、弦は「琴線、繊細、敏感さ」、ボディのくびれは「女性、腰つき」へと展開し、ギターを女性に喩えることを考えたとき、ギターをガールフレンドに喩えたマイケル・シェンカーのコメントが脳裏に浮かんだ。マイケルは、「ありとあらゆる種類のギターを試してみたいと思ったことは?」と訊かれ、「100人のガールフレンドはいらない、愛する女はひとりで充分」と応えたらしい。マイケルのコメントから「男女関係というにギター・ギタリストという」が新しいねじれ(第二回参照)として立ち上がり、これをトリガーとした。

男女関係である以上、ギタリストとギターの親密さはただならぬものであり、それを表現する機能として、「毎日14時間の練習」が思い浮かんだ。14時間の練習をするからには、ギタリストの属性はプロのミュージシャンであろう。前述のねじれを強化するため、ギタリストの機能である調律を「前戯」、要素であるギグバックを「ベッド」と言い換えた。さらに、ギタリストには「毎日14時間の練習」とは逆の「翌朝には初対面のような(初恋のような)気分で接する」という機能を付与し、属性に基づく主従関係(演奏者が主・楽器が従)もにすることで、ねじれをさらに強化し、特異性を高めた。ギタリストの要素として、醜い顔・美しい指という一対を想定し、ギターに「美しい指によるセーハ(=ギタリストの要素に関連する機能)に依存する」という機能を付与し、ギターによるギタリストへの依存の理由付けとした。

物語を動かすためには、ギタリストとギターは原郷に在ったが、何らかの理由により双方が重要な要素を喪失し、原郷からの旅立ちを余儀なくされるという流れを創る必要がある。

原郷とは、「毎日14時間の練習」が繰り返される両者の蜜月関係であろう。ギタリストにおける重要な要素とは、プロの技術を支える「美しい指」である。それがリウマチなどの炎症性疾患により腫れあがるなどして永久に失われれば、ギタリストは原郷から旅立たなくてはならない。ここでギターに注意のカーソルを移して考えると、原郷は同じであり、重要な要素はギタリストそのものである。ギターは、愛の園からの旅立ちを余儀なくされ、寂しさとの闘争に苛まれることとなる。ギターは、ギタリストとの特異な主従関係(演奏者が従・楽器が主)が幻想であることに気づき、「自らを従とする新しい愛の発見」を目的として察知するが、闘争は一方的に打ち切られ、ギタリストへの帰還を果たすことができぬまま終局を迎える。

このように、ギタリストではなくギターを主人公としたほうが物語マザーに沿うばかりでなく、ギターを女性に喩えるというを明確化し、より地と図のねじれ強調できるというメリットがあると判断し、今回はオムニプレゼントな視点でギターの意識の変化を描出する物語とした。

 

 


  • 宮前鉄也

    編集的先達:古井由吉。グロテスクな美とエロチックな死。それらを編集工学で分析して、作品に昇華する異才を持つ物語王子。稽古一つ一つの濃密さと激しさから「龍」と称される。病院薬剤師を辞め、医療用医薬品のコピーライターに転職。