すっぴんGallery 愚かな人間の映し鏡

2019/11/07(木)07:44
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 建築会社の設計部からキュレーターへ。

 転身のアイダからあふれてきた対角線を次々企画にする岡部三知代が、

 編集建築したギャラリーを通じて問いかけるコラム。


 

 藤元明は、対話や協働のプロセスを重んじるアーティストだ。編集学校では「情報はひとりではいられない」と言うが、アートも一人ではない。アートと社会の関わりによる次世代の社会変革の可能性を探る活動家ともいえる。

 

 その表現はメディアにとらわれない。モノではなく行為そのものをアートにしてきた。その彼に、SOCIAL GOODとは何か…と問いかけた。地球温暖化やエネルギー問題、不均衡な経済格差等の一歩も後に引けない社会現実の中で、人々の意識と行動とのギャップに、アートはどう働きかけることが出来るのか…。彼との対話の中で、海洋ごみの問題に目を向ける企画が生まれた。

 

 海洋ごみ(海ごみ)の問題は海にあるのではなく、陸の人間の「行動」によるものである。人々は、安い、軽い、便利という直近のメリットによりプラスチックを大量に消費し、図らずもそれがごみとなって海に流出している。論じられる海洋ごみの問題は、実態が数値に表れず、得体の知れないマイクロプラスチックの行方は目に見えない。海洋ごみに関する環境意識調査でも8割の人は海洋ごみ問題を意識しているが、自らの「行動」と海洋ごみの関連性に実感が伴わない。*1

 藤元はそれらの現実と社会意識のギャップを可視化し作品としてきた。

 

 今回の制作にあたり、藤元は海洋ごみが絶え間なく漂流する海岸線を歩き、ごみと向き合う人の声を拾い、ただ事実を集め、現実と向き合った。また科学的根拠を求めて、漂流する海流ごみのシミュレーションをアートにした。一見美しいイメージによるアプローチは感覚的に人の心を揺さぶり質感に訴える。

 

 しかし、すぐにもその感覚は絶望に代わり、愚かな人間の非力を映す鏡となる。社会に善意を尽くしたいと願う自分は、環境を破壊する欲望の猛者でもある。

 

 世界は戦争や震災により「破綻」と「復興」を繰り返し、そのたびに科学技術はイノベーションを起こしてきた。藤元ら70年代生まれの世代は、映画やアニメーションで繰り返される、その循環のイメージが刷り込まれ、最期に「希望」を見せる物語を受容してきた。しかし、環境問題が悪化するスピードは人類と生命の歩みを遥かに超え、再生の前にエネルギーは枯渇し、人類が滅亡するのではないのかとさえ思える。藤元はそれを、悪者のいない絶望だという。向き合う絶望の先にある答えは未来にしかない。

 

 この絶望にどう向き合うのか。誰にとっても他人事では無いはずである。社会生活にアートの関わりがなぜ必要とされるのか…。科学や政治、数学や経済だけでは解けない課題に対するアーティストからの真摯な「問い」に耳を澄ましたい。

 

*1日本財団 海洋ごみに関する意識調査(2018年11月実施)より

 

岡部三知代(ギャラリーエークワッド 副館長/主任学芸員)

 

 

展覧会  藤元 明 「陸の海ごみ」開催中(~2019.11.14)

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 岡部 三知代すっぴんロケット

    編集的先達:トーヴェ・ヤンソン。師範代時代は小さい子どもをかかえ、設計担当として建築現場をヘルメットをかぶりながら駆け巡り、編集稽古をポリロールした。ギャラリーの立ち上げをまかされ、奔走し、学芸員となって、メセナアワード2014を受賞。その企画運営は編集学校で学んだ編集力が遺憾なく発揮されている。

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。