その知文は何に向かうべきか hyo-syoちゃんねるvol.3

2022/11/13(日)14:20
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「破」はただの学校ではない。

 

「破」の方法にこそ、

編集を世界に開く力が秘められている。

 

そう信じてやまない破評匠ふたりが、

教室のウチとソトのあいだで

社会を「破」に、「破」を社会につなぐ編集の秘蔵輯綴。


 

評匠Nは思い出す。

 

いきなりクライマックスを迎えた49破「セイゴオ知文術」は今日の午後6時がエントリーの締め切りだ。ひとまず書き上げた学衆、なんとまだこれからという学衆、稽古模様はさまざまである。

最後の数時間で何ができるか。ここで、学衆が書く800字の文章が「稽古」にとどまるか、表象に向かうかが変わってくる。これも毎期々々、相貌を変えながら繰り返される光景だ。

 

そしてこのタイミングで思い出す言葉がある。47破にバンキシャとして伴走したUMEKO女史は、伝習座でこう言い放った。

 

「読者は、あなたの文章に興味はありません」

 

師範・師範代と学衆の間では、回答と指南を交わすという約束がある。だからどんな文章を書いても、師範代も師範も読んでくれることが確約されている。それゆえに、教室で密な編集稽古ができるわけでもあるが、稽古という枠組みの外の読者は見ず知らずの人が書いた800字の文章を読む義理はない。評匠は、片方の足を「枠組みの外の読者」という場に乗せて創文を読むことになる。

 

読む義理のない読者に、どうやって読ませるか。どうすれば、教室の内側にありながら、外にも通じる文章になっていくのか。

 


評匠Nは「事件」を読みたいのである。

 

どういう文章であれば、「枠組みの外の読者」にも読ませられるのか。それを一言で言えば、読者は「事件」が読みたいのである。

 

題材として何かの事件や出来事を読みたいという意味ではない。その本が書かれたことが「事件」であり、著者の存在が「事件」であり、学衆がその本を手に取った偶然が「事件」であり、そして800字の創文にしたことが「事件」である。そう読める文章がほしい。

 

稽古も佳境に入った指南では、よく「三角形」という言葉が飛ぶ。「本」「著者」「自分」の三角形だ。vol.1で書いた「地と図」を使って言えば、あまたある似たようなテーマを扱った本という「地」に対してその本はどんな「図」なのか、著者が他にも書いたさまざまな本という「地」に対してその本はどんな「図」なのか、そして他の人が読んで創文してもよさそうな「地」に対して”あなた”が書いたという「図」はなんなのか。それらが書けていればまずまずの成果だとはいえる。

 

だが、教室や稽古の外に通じるかといえばそれだけではまだ足りない。評匠が本当に読みたいのは、「地」から「図」が立ち上がってくるいわば瞬間を捉えた創文なのだ。その瞬間が「事件」であり、その「事件」を捉えた創文が書かれることも「事件」として見たいのだ。

 

たとえば私の編集的先達は末尾のプロフィールにあるように司馬遼太郎である。司馬は一応歴史小説家という範疇だが、歴史描写の中にアカデミックな蘊蓄が混ざる彼のスタイルはとても正統派の歴史小説とはいえない。同じ歴史大河的なものであっても、山岡荘八や吉川英二らのものとは全く別だ。

 

いまとなっては司馬遼太郎に誰も何のひっかかりも感じないが、彼が登場したときそのスタイルは見たこともない「図」だったのである。もちろん凄まじい批判と軽侮にもさらされた。だが、司馬はそのスタイルを変えなかった。そのスタイルでしか、彼のメッセージは書けなかった。よく知られているが、たやすく撃ち抜かれそうな装甲で砲弾もロクにない戦車の一兵として、いずれ上陸してくる米軍を待ち構えながら終戦を迎えた司馬青年は、そのようにしか書けなかったのだ。その、時代小説という「地」から司馬遼太郎が「図」として立ち上がった瞬間に、”編集的方法”がある。

 

その方法が横溢するために、5つのカメラもモード編集もインタビュー編集もあるのだ。どの課題本も著者も、それぞれの切実を抱えた方法が立ち上がったときには毀誉褒貶があった。それでも時代を超えて読まれ続けているのは、それぞれの切実を研ぎ澄まされた方法で提示し続けたからである。ならば書く人間も、自分の「図」が立ち上がったときの方法に注意のカーソルを向けたほうがいい。

 

本と著者への敬意は、必然の結果ではなく、偶然の「事件」として受け止めることで示すのが破の編集である。そしてそもそも読む義理もない次なる読み手にメッセージにして手渡すことで示すのが破の編集である。それがあれば、創文を読む読者にとっての「事件」を引き出し、文章に惹きつけることができる。

 

残り数時間、もういちど自分の文章を読み直せばみえることがあるはずだ。本を分析的に扱い、自分が言いたいことの手段にしていないか。「だろうか」「かもしれない」などの言葉は本にあてどなく踵を返していないか。言い切るべき大事なところを言い淀んで著者から顔を背けていないか。何より、自分の経験など読みに際して持ち出した情報が、本や著者の「事件」へ、「地」から「図」を生み出した瞬間の方法に向かっているか。「事件」である本や著者に見合う、自分の「事件」あるいは切実を持ち出さなければ、読者に響く文章にはならない。

 

それこそが、ハイパーさに、「破の破」に向かう道である。そしてまだ、十分時間はある。評匠Nはそう考えるのだった。

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

 

【hyo-syoちゃんねる】

49破は「アリスとテレス賞」へと向かう〜hyo-syoちゃんねるvol.1〜

新しい世界の見え方をつくる~hyo-syoちゃんねる vol.2 ~

その知文は何に向かうべきか hyo-syoちゃんねるvol.3

  • 中村羯磨

    編集的先達:司馬遼太郎。破師範、評匠として、ハイパープランニングのお題改編に尽力。その博学と編集知、現場と組織双方のマネジメント経験を活かし、講
    座のディレクションも手がける。学生時代は芝居に熱中、50代は手習のピアノに夢中。

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