[週刊花目付#011]「生きているもの」を「生きたまま」扱う技能

2021/05/14(金)14:18
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週刊花目付

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2021.05.09(土) 35[花]入伝式

 

 35[花]を準備するプロセスを通して、「私たちはなぜ学ぶのか?」ということをあらためて渾々と考え続けていた。

 

 イシス編集学校は「」によって「」を学ぶ。
 だが、待てよ。私自身のイシス歴を振り返れば、始めから「型」を学ぶつもりで入門した訳ではなかった。学ぶことを通して型に気づいていったのだ。気づくまでには長い時間が必要だった。なんだ私たちの全ては型のなかにあるのだ、と。
 ならば、なぜ型を学ぶのか? なぜ型によって学ぶのか? そもそも型とは何なのか? そうした問いが入伝式のプログラムへとコーディングされていった。

 

 編集稽古は、たんに知識やメソッドをインストールする作業とは全く異なる体験だ。世界観を更新するプロセスなのだと思う。世界についての見方が変われば、自ずと関わり方も変化する。
 学びで得た知見は既知の領域を拡大させる。けれど、既知が蓄積するほどに、未知がますます「わたし」を包摂していく。
 私たちは未知と出会った時、およそ2方向のアフォーダンスを受けるだろう。未知を怖れて頑なに既知に留まるか、好奇心が発動して既知からの旅立ちを促すか。未知はまるで私たちの「環世界間移動能力」を試そうとしている。

 

 

 

 入伝式恒例の指導陣による編集工学講義は、『インタースコア』が上梓された25[花]以降「インタースコア編集力」を巡る3本の講義(エディティング・モデルの交換/リバースエンジニアリング/イメージメント・マネージメント)が定番だったが、今期は「」を語る3つのスコープへRe:アレンジされた。

 

◇「略図的原型」は、情報を丸掴みしようとするとき動く型である。そのプロセスを錬成師範山田細香が身をもって体現した。手描きのシェーマは、前期の校長講義「型」のハコビを何度もトレースして準備した。
 見えているものに象徴される概念やイメージと、その奥に潜在する面影とには、連想と要約が往還する階層構造がある。そのことを山田は松岡校長の言葉を引きながら「面影の逆襲」なのだと結んだ。

 

◇「3A」は、誰もが意識せずとも動かしている。それを自覚し能動的に仕掛けることで動的な編集が起こる。そのレッスンが編集稽古であり、それを手助けするのが師範代である。
 錬成師範加藤めぐみは、意外にもこれが初めての講義登壇だった。周到なコンパイルと、視認性の高いプレゼンテーションが躍如する語り口だった。

 

◇「守破離」は、学びのプロセスを三間連結でステージングしている。イシスのカリキュラムは守破離に肖って構成されているのだが、これを林頭吉村堅樹は「編集道」のそれとキッパリ分節してみせた。
 「理より入るは上達はやく、技より入るは上達おそし
 [守]の38題は世界のINDEXであり、そこには全てを代入可能である。そして「破執」(執着を破る)を経て編集的自己へ向かい、やがて「離垢」の境地へ至る。師範代プロジェクトは、編集的突破への筋道なのだ

 

 

 35[花]の入伝生は、未知についてフラジャイルな感覚を持つ者が多いように見える。

 花伝所では入伝に際して3週間ほどのプレワークを課しているが、直近5期と比して、今期はその回答内容の濃度に反して応答速度が群を抜いて鈍かった。良くも悪くも丁寧過ぎるのだ。

 その発言傾向から察するに、自身の内に宿るこわれやすい種と誠実に向き合おうとする切実さが垣間見える。型によって変わりゆく「わたし」に半信半疑なのかも知れない。あるいは、道半ばのもどかしい不完全さを受け容れられないのだろうか。

 

 ワカルカワルは表裏一体なのだから、ワカルを体験しようとするならカワルを受容する必要がある。
 その出来事は「自己編集化」と呼ぶことができるだろう。動的で非線形な複雑系における自己組織化のプロセスだ。当事者の有り様は、場や環境と関係しあっており、気分や感覚、流れやタイミングなど、ありとあらゆる変数が予測不能の作用を及ぼす。
 そうだとすれば、人の自己編集化を促す設営や技能にはどういうものが求められるのか? どうすれば「生きたもの」を「生きたまま」扱うことができるのか? そもそも「生き生きしている」(「生きている」ではなく)とはどういう状態なのか?

 

 入伝式のクライマックス《別紙口傳》の講義で、安藤昭子専務は方法日本と編集工学の相似率を「生命」をブリッジにしながら描出した。
 「生きている」ものは必ず動きや変化とともにある。その「面影」や「うつろい」を扱う技能に日本は長けていた。世阿弥は面影からを抽出し、「面影インターフェイス」とも呼ぶべき装置を仕立て、型を稽古によって身体化するメソッドをつくりあげた。
 その方法日本と編集工学が、ISIS花伝所において一種合成されている。花伝所は、生きているものを生きたまま編集する技能を研鑽する場であり、その方法論をアップデートし続けている。

 

 

 

「波はバケツで運べない」
 あるとき波間で遊ぶ幼な子が、バケツの中を覗いてはガッカリした顔をしていた。何故かと問うと「波をつかまえたい」のだと言う。波をバケツで汲んだ瞬間に、「ただの海の水」に還ってしまうことが幼な子には悲しかったのだ。
 安藤が披露したエピソードは《別紙口傳》のハイライトだった。

(撮影:後藤由加里)

 

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