影のような観念
今年のノーベル文学賞を受賞したのは1940年生まれのフランスの作家アニー・エルノーだった。1901年の創設から、女性の文学賞受賞者としては17人目だ。
受賞をきっかけに一時品切れになり、まず、図書館にあった『凍りついた女』を読んだ。
1981年、エルノー41歳の時に出版された第3作目にあたる。主人公は「わたし」、少女期から新婚時代までの一人称体の回想記だが、読み進めるほどに驚いた。「編集かあさん」が、ふだん考えているけれども書いてこなかったことが、つぶさにテクストになっていたからだ。
『凍りついた女』早川書房
「私の子供時代に、少なくともある種の観念、つまり、女の子はやさしくてか弱くて男の子より劣った存在なのだ、男と女の役割にはいろいろ差があるのだ、というあの観念が影のように忍び寄ってきたことはなかった」。
この文章は「なかった」で終わっている。「わたし」が育った原風景は、ある性だからといって、なにかを強いられるということがなかった世界なのだ。
エルノーの両親は労働者階層の中で生きていた。小さな食品雑貨屋兼カフェを営み、母が帳簿つけなどの店の切り盛りの采配をふるい、父が仕入れ、皿洗いや料理などなんでもこなす役割だった。エルノーは女の子だからと言って、家事を手伝わされたりすることはなかった。
「わたし」と私
しかし学校で「教育を受ける」うちに、両親の暮らし方は世間からズレているのではないかと思い始める。決定打は、家にきた友人の「ムッシューがジャガイモの皮むきをなさるなんて!」という言葉だった。
知識を得て、いい職業につけば、自由に生きられるというのが「わたし」の母親の口癖だった。「わたし」の成績が良いことを両親は喜び、その地域ではめずらしく大学進学を果たす。
違うけれど、似ている。当時、私の母は主婦であることにうんざりしていて、とにかく勉強しなさいというのが口癖だった。都会で会社勤めしていた時はいかに楽しかったかをよく聞かされた。
「わたし」は、卒業間近のころ同級生と結婚し、知識階級としての暮らしを始める。待っていたのは慣れない家事に追われる日々だった。男は知的でない作業はしない。それが知識階級のジョーシキだったのである。夫が『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる横で、目玉焼きを作ったり、洗面台にちらばった髭を掃除したりするのは耐えがたいことだった。
「対等」なはずなのに、どうしてこうなったのだろう。「わたし」は子育ての合間をぬって上級中等教員免状の資格をとり、勤めを始める。家事、子育て、仕事にきりきり舞いの毎日。夫は「すべて君が選択したことだろう」と冷たかった。
私も夫とは大学の同級生という関係である。なんど構想したかわからないこんなシーンを、エルノーが40年も前に完璧に言葉にしていた。
ひとまとまりのテクスト
『凍りついた女』は、仕事と家庭の両立に疲れた「わたし」がピルを飲むのをやめて第二子を産んだ二十代後半で終わっている。
この作品は、当初「自伝的小説」として世に出た。しかし、のちにエルノー自身がそれは自分が軟弱だからであって、一部始終自分のことなのだから、フィクションの体裁をとるべきではなかったと語っている。起こったことをただ言葉にした「ひとまとまりの文章」としか呼びえないものであるとし、第4作以降ははっきりと、小説とは呼ばないことを表明するようになった。
次に、増刷されたての、「ノーベル文学賞受賞」という帯が巻かれた『シンプルな情熱』を手に取った。
『シンプルな情熱』ハヤカワ文庫
1992年の著作で、「わたし」はもう50歳近くになっていた。早くに離婚していたらしい。赤ちゃんだった子ども達はもう成人していた。そして外国人の年下の恋人との逢瀬だけを心待ちにする生活を送っていた。教師という仕事も機械的にはこなしているが、彼のために新しい洋服や下着を買ったりすることのほうがずっと関心事だ。相手は妻子持ちで、会えるのは男から電話がかかってきた時だけ。 これまでの人生で、子供も持ったし、いろいろな試験にも合格したけれど、「昼下がりに、この人とベッドにいること以上に重要なことは何ひとつ体験しなかった」。
なんという変貌ぶり。「女性の愚かさ」を曝け出すようなものではないか。あっけにとられた。けれども、それは読み手である私の問題で、欠けたピースを見つければ、理解できるような気がした。
父を描く
三冊目として、父の死と半生を綴った『場所』を読んで、すべてが腑に落ちた。1984年刊、『凍りついた女』の次に出された本である。
『場所』早川書房
エルノーの父は、「最底辺」の農夫から工場労働者、そして雑貨屋兼カフェの店主として少しだけ「上」にあがったものの、最後まで労働者階層の中で生きた。『場所』というタイトルには、テキストつまり知識人の世界に父の「場所」を作りたかったという思いが込められている。これまで労働者階層の振る舞いや言葉づかいは「無いもの」として扱われるか、きわめて戯画化されて描かれるに留まっていた。
「私はごく自然に、なんの変てつもない文体、かつて両親に近況をかいつまんで知らせるときに用いていたのと同じ文体で書く」。詩情を醸し出す回想や愉快な嘲笑といったフランス文学の伝統的手法は使わないと、冒頭でエルノーは静かに宣言している。
その企みは成功した。『場所』は、フランスの著名な文学賞・ルノードー賞を受賞し、エルノーの名は一有名になったのだった。
二つの言葉の間で
エルノーの母語は労働者階層の言葉だった。結婚後はそれを離れ、知識人の言葉を使わなければならなかった。2つの言葉の狭間にいた苦しみを夫と分かち合え、2つの言葉が混ざり合った新たな言葉をつくっていくことができていたら、離婚しなかったかもしれない。異なる文化的背景を持った二者が生活をともにするというのはそれぐらい能動的な編集力が必要とされることなのである。
子どものころにに憧れたのは毛皮のコートと別荘。次に、知識人としての生活。『シンプルな情熱』に至り、アニー・エルノーは気がついた。ひとりの女、ひとりの男へのパッション(情熱)を生きられることこそ贅沢ではないか。
遠い記憶がよみがえる。かつて近所には午後になると好きな男を引き入れる女たちがいた。男とベッドで過ごしながらその光景を思い起こし、「わたし」は、深い満足感を覚える。「肉体の恋」「恋のための恋」は、エルノーを引き裂いていた二つの世界をつなぐ経験でもあった。
大写しにする
『シンプルな情熱』の冒頭は、初めてポルノ映画を見た時に感じたことから始まる。勃起したものが柔らかく湿った女性器に押し込まれる。その様子を大写しにしたものを見ると、人は一瞬戸惑い、言葉を失う。人類はそうして何百世代も交代してきたにもかかわらず。
書くことは、それに似ていて、道徳的判断が一時停止になる状態にまで向かうべきなのだ。これが、「二年間にわたるあるできごと」を、書き終えたエルノーの到達地点だった。
ノーベル文学賞の選考委員のコメントは「勇気と客観的な鋭さで階級や屈辱、嫉妬、あるいは自分が何者かを見ることができないといった苦悩を明らかにし、将来にわたって称賛に値する功績を成し遂げた」というものだった。
さらに加えるなら、なぜ書くのか、どう書くのか、どこにむかうべきなのかを、書きながら絶え間なく問い続けていることが、エルノーの文学的な姿勢の際だった点だといえるだろう。
文体編集という方法
『場所』の冒頭には、ジャン・ジュネの言葉が掲げられている。
「書くのは、裏切ってしまったときの最後の手段なのさ」。
父母の階層をエルノーが教育によって脱出してしまったように、新しい居場所を求めることは、恩恵を受けた場所を裏切ることになることもある。
裏切っていい。裏切ったら、書けばいい。書けば「そのこと」に、多様な意味を見いだすことができる。
秘められたものを表出することは、自分の経験をちがう目でみることにつながる。
経験を他者と分かち合う時に鍵になるのは文体編集である。『シンプルな情熱』の文章のトーンは徹頭徹尾、見たこと、起こったこと、感じたことをそのまま言葉にしていくスタイルで、隠喩はひとつも使われなかった。エルノーが著作を出すたびに、読者からは「自分の体験に言葉を与えてくれたことに感謝する」という手紙が多数届くという。
アニー・エルノーの文学は、読み手に直接、「あのこと」に意味を見いだし、自分の「場所」に立ち戻る方法を提示する、きわめて実践的な営みである。
注目した編集技法:文体編集
「文体」とは、文章のスタイルやモードのこと。
「文体」は、さまざまな編集術の組み合わせによって生まれる。
段落の切り方、センテンスの長さ、句読点の入れ方、メタファーや言葉の加飾、繰り返しや対句や入れ換え、さらには寓意化やデフォルメなど、表現する内容や受け手に応じて技法を組み合わせ、コントロールしていくことによって、「文体」が成立する。
イシス編集学校では破(応用コース)の最初に稽古する。
関連千夜千冊サイト レーモン・クノー『文体練習』
info
◆邦訳されているアニー・エルノーの著作リスト
『シンプルな情熱』堀茂樹訳、早川書房、1993年(ハヤカワ文庫、2002年)
『場所』堀茂樹訳、早川書房、1993年
『ある女』堀茂樹訳、早川書房、1993年
『凍りついた女』堀茂樹訳、早川書房、1995年
『戸外の日記』堀茂樹訳、早川書房、1996年
『嫉妬』堀茂樹訳、早川書房、2004年(『嫉妬/事件』ハヤカワ文庫、2022年)
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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