■「後手に回る」問題
後手に回る人間は、必ず後手に回る。それはひとつの心的傾向なのである。
思想家の内田樹は、『コロナ後の世界』(文藝春秋)の中でそう断言する。日本社会はとくにそのような心的傾向の涵養に熱心で、総理大臣がその見事な見本になっているのだという。情勢が好調であるときに先手を取る行動ができるかというと決してそうではない。なかなか変わることのできない心的傾向なのである。
内田樹『コロナ後の世界』(文藝春秋)
コロナ後のブログ記事などに大幅に加筆した論考集。Ⅰコロナ後の世界 Ⅱゆらぐ国際社会 Ⅲ反知性主義と時間 Ⅳ共同体と死者からなる4章立て。
内田は続ける。
「後手に回る」というのは、まず「問い」が与えられ、それに対して適切な「答え」をすることが求められているというスキーマでものごとをとらえる習慣のことである。
最たるものが学校教育である。学校では教師の出した問いに正解することが教え込まれ、正解すれば〇がつき、誤答すると×になる。これが延々小中高大と、間にはさまる受験戦争を含めて繰り返されるのである。
そういった訓練を受けてきた人間がいきなり社会人になって、イノベーティブになりなさいと言われたってなれっこない。上司のつまらない問いに従順に答えていれば評価が上がるという職場であればなおさらである。
現在、STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」を開発しているが、日本における「後手に回る問題」の指摘は、教材開発においても最重要ポイントであると思う。
どうしても教材というのは、その性質上、テーマ設定型になりがちである。「災害時にどうするか」「医療破綻が起こらないためには?」「貧富の格差を是正する方法」などなど、SDGsっぽさも孕んでくるわけだが、こういったテーマ設定型の教材は、学習者のアウトプットがどうしても予定調和的になる。子ども達は、ものすごく敏感に「空気を読む」。そして、ネットやテレビで見聞きした「みんな」が言ってそうな無難な回答をするか、実現が可能かどうかは別として、至極まっとうな理想論を述べることになる。そのように正解っぽい道筋に学習者を誘導してしまい、結局、後手に回る人材を育成していくことになりかねない。
■「空気を読む」問題
空気を読む、ということと、後手に回ることはかなり近い。編集でいうところの、INPUTとOUTPUTの関係にほかならない。つまり、「空気を読んで、後手に回る」という関係になっている。
社会学者の大澤真幸は、『憎悪と愛の哲学』(角川書店)の中で、次のように指摘する。
神を信じていない(つもりの)日本人も、「空気」には関心がある。「空気を読めない」ということは、日本人にとっては、一神教徒が神との契約を守らないことと同じくらい悪いことであり、このことは、かつても、そして、今も変わらない。私は、講義の中で、「空気を読む」というメカニズムと神への信仰との間に、はっきりとしたつながり、ある類似性があることを示すことになるだろう。
「講義」の内容が気になる方はぜひ、本書を手に取ってもらいたいが、大澤は、さらに日本の資本主義化が比較的順調なのは、ただ上手に「地球の空気を読んでいた」結果であると看破している。資本主義の空気を読んだだけで、結果的に禁欲的プロテスタントのように行動したことになる。
我々の経験と行動は、いわば重力をもっていて、思考が遠く深く向かうのを阻んで、浅くて近いところに着地させようとするということも指摘する。「空気を読む」ことは、今、どうすることが無難であるか、というターゲットを設定させ、浅くて近いところに考察をとどめるということだ。そうなると、SDGsの課題に対する取り組みも空気を読んだ結果、資本主義という地のもとに後手に回る対策をするということにならないだろうか。「空気を読んで、後手に回る問題」は、とことん根深い。
大澤真幸『憎悪と愛の哲学』角川書店
多読ジムSP「大澤真幸を読む」は、大澤さんのライフワークでもある『<世界史>の哲学』を読み解くコースであるが、その関連図書として読んだ一冊。帯には「愛する人を憎め。日本人には、憎悪が足りない。」とある。ここから加藤典洋の『戦後入門』にも手が伸びた。
■「わくわく」の先の「もやもや」
経済産業省からは、わくわくする学習者視点の教材開発が求められている。「学習者視点」と「わくわく」がキーワードなのだが、MEdit Labチームとしてはこれをもっとシソーラス豊かに言い替えないといけない。
学習者視点というのは、開発チームもそれを活用しようとする教員も学習者になることにほかならない。教員や教材開発者の「地」を捨てきれずに学習者視点に立つというのは無意識に上から目線になる。こういうのを子ども達は喜ぶだろう、という発想自体を捨てる必要があり、なんといってもその教材を“自分自身”が楽しみつくす気概が学習者視点にほかならない。つまり、学び手のプロを目指すべきなのだ。
そして、わくわくだけでは足りない。問題はその先である。もやもやしたい。もやもやさせたい。「わくわくプラスもやもや」これを目指したい。
イシス編集学校が求めているのも同じであろう。編集稽古において正解はない。正しい答えではなく、たくさんの問いをはらむもやもやとした「仮りの答え」が出るかどうかだ。AnswerではなくAbductionぶくみのEditなのである。いくつもの問いを生み出す別様の可能性だ。だから本当は、もやもやせずに、つるりとした回答が出たら、それは編集稽古においてはあえて不正解といってもいい。もっと回答は、もやもや(あるいは、けばけばでも良い)していてほしい。師範代は、問いや連想が次々枝葉を伸ばしていくように、もやもややけばけばを刺激してあげたい。そのためには編集の学び手の先達として、受容-評価-問いの指南プロセスの中においても、もっと「評価」と「問い」の力をつけないといけない。相手がアブダクティブになるためのアブダクティブな評価や問いを出し、それを共有できてこそ、編集のコーチであろう。
STEAMライブラリー事業の委員である広尾学園の木村健太先生主導の事業者ミーティングでは、「わくわくはもちろん、もやもやする教材をつくりたいです」と思い切って口にした。「もやもや~!むっちゃ良いですね!」と言ってくださった笑顔の木村先生をみて、“空気を読まずに、先手を打つ”教材開発を心に誓った。
小倉加奈子
編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。
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