「我々に認知されない世界は空。しかし空は存在する」。
南方曼荼羅と呼ばれる熊楠による図の点と線をバジラは独自に解読してみせる。バジラは、巷の解説者たちがすっかり有名になった萃点ばかりを重要視することの愚かさを厳しく指摘した。萃点は情報の波動がたまたま多く交差することで我々が認知し、予測しやすい状態になっているもの。西洋科学はそのわかりやすい萃点だけをみて因果を解読するものに留まっているというのが熊楠の見方だ。
熊楠の意図の本来は萃点の強調ではなく、情報世界の全体像の描出にあった。南方曼荼羅のヌ線は認知の限界線を示し、ル線は日常認知世界の境界線を示す。ル以上は認知を超えた未知宇宙を示す。変形螺旋状に描かれた線は下降しながら世界の場を形成している。区切られたそれぞれの場は華厳の認識構造に基づいた、物不思議(ヌとルの間)、事不思議、心不思議、理不思議、大不思議を現す。「不思議」というのは謎、未知。よくわかっていないことと思ってもらうといいだろう。その不思議が物質にも、事象にも、心理にも、筋道にも、すべてにもある。それが世界と見ることが前提だ。
5時間に渡る解読と輪読のあと、輪読座「南方熊楠を読む」を修了した輪読衆には、ひとりずつバジラ高橋が作成した「読み切り感状」が贈られた。次回は10月から半年に渡って、輪読座「熊沢蕃山『三輪物語』を読む」がスタートする。日本陽明学がいかに確立し、明治維新の精神基盤となっていったのかを解読する最初で最後の機会になる。