【輪読座】21世紀にもつながる柳田國男の方法とは?(「柳田國男を読む」第一輪)

2021/05/09(日)08:00
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今日、国が潰れた。

もしもそんなことが起こったとしても、私たちは自らの力で生き残っていかなければならない。

 

「国が潰れようが、飢饉がこようが、家族が生き残れるのが常民だ」。

民は少なくとも農業技術は持っているべきなのだ、金を払えばなんでもできるという考えは人格としておかしい。柳田はそう考えた人物なのだとバジラ高橋は語る。

 

その土地に適した作物を育て、その土地ならではの文化や行事を執り行う。そうやって生活してきたのが「自立した日本人=常民」だ。近代経営の流れの中で日本の真価を示すには、単なる農作物の生産機能として農村を捉えるのではなくて、土地の資源や文化まで含めた体系で考えるべきなのだ。柳田は農村生活や地域文化を根幹に、自らの研究を「郷土研究」と称し、「日本民俗学」を標榜する。欧米流の「民俗学(フォークロア)」「民族学(エスノロジー)」を受け入れながら、江戸時代に確立された「国学」の流れを汲んで「新たなる国学」と位置付けた。

 

柳田の精神の原点にあるのは、江戸を生きた菅江真澄である。

 

菅江は1754年頃、豊橋に生を受けた。旅好きが講じ、30歳のころ、天明大飢饉の最中に遊歴へ出る。越後から出羽の鶴岡、鯵ヶ沢、五所川原、弘前へ抜けると、東北の山村を次々と巡る。土地の文人と交わり、祭りや生活、民俗、民話、方言、産業、を包括的に書き記した。

 

霜月十日大黒天の飾り物

鰰(はたはた)

正月の買い出し:秋田通町

 

 

菅江に遅れること1世紀強、柳田は1875年(明治8年)に誕生す。柳田は菅江が辿った信州・奥羽の辺境に日本の原郷を見た。衣食住を地勢の鉱物・産物が支え、正月の祝い事にも土地による個性がある。飢饉になったとしても変わらずに生活し、生きのびる様だ。常民の姿である。柳田は、菅江の跡を追うように東北・北海道を皮切りに、新潟さらには九州、木曽・越前への視察旅行を重ねていく。

 

さらに柳田の系譜を引き継ごうとしたのが20世紀を、昭和を生きた宮本常一だ。宮本は出身地である周防(山口県)の大島の調査報告を雑誌に投稿する。その内容が柳田の目に止まった、宮本は菅江真澄、柳田國男と同じように昭和14年から日本列島を歩きまわって、多くの常民たちの話を聞き取った。「日本をつくった忘れられた日本人」たちの話である。

 

 ***

 

日露、一次大戦、大東亜という柳田が生きた戦争経済の時代から半世紀以上。私たちは発展した技術を活用しつつも情報に翻弄されながら、一見整備された日本という国で生きている。我々は国が滅びたときに、社会システムに改革が起きたときに、持ちうる資源の価値を活かして生き残る共同体になれているだろうか。

 

 

輪読座では、柳田が伝承してきた日本民俗学、日本の文化風土史をたどりながら21世紀の社会や経済の在りようを掴み、これからの日本人像を追っていく。日本と日本民俗が失われていく焦りにかられて常民スタイルを追い求め続けた柳田國男。そして、「ぼくが輪読座をやっているのも、何かにかられているからだ」と、バジラは呟く。

 

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完全サテライトスタイルの輪読座「柳田國男を読む」は、今からでも受講可能!

(第一回目はアーカイブ視聴ができます)

お申し込みはこちらからどうぞ https://es.isis.ne.jp/course/rindokuza

  • 宮原由紀

    編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。