【三冊筋プレス】論・語・遊・読(三津田知子)

2020/04/18(土)10:02
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 2020年3月11日、WHOは新型コロナウィルスによる感染拡大を「パンデミック」と認定した。どのような基準で、どんな手続きを経て決定が下されたのか。情報を血肉化し、生きた知にしていく読みが問われている。

 

 『論語』はとても安心してよめるものではない、と白川はいう。孔子と弟子らの言行録は死後二千年の時を超え、語り継がれ読み継がれるなかでかなりの改変、誤記、補足がなされたとみる。漢字一つの訓読次第で解釈が異なるうえ、その漢字一つがもともとどのような字であったかだれにもわからない。原典などは存在しない。ただ想定するしかないものだ、と野口も口を揃える。曰く付きの書なのだ。これを伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と位置づけた。


 1627年京都の商家に生まれた仁斎は、11歳のとき『大学』を習い、儒者を志す。家督を弟に譲り、病を抱えてもっぱら隠居所で引きこもり同然の生活を送る。当初心酔したのは、朱子学だった。「格物致知」を実践すべく古典を精読するだけでなく心の修養につとめるが、やがて自らの読みに疑念が生じる。精神の遍歴に終止符を打ったのちは、36歳で有志と儒学を協同研究する場、同志会を主宰し、会読へ向きを変えた。

 

 会では師が弟子に教授するのではなく、メンバーが順々に論講し、問いをぶつける。その応答により新たな気づきや発見があれば、ノートに記し、本としてまとめる。『童子問』はこうした会読プロセスから生まれた。童子の質問に答える形式で仁斎の読みが説かれているが、読み方学び方への指南書としても読める。

 

◉今日初めて読むかのように発見的な読みを積み重ねなさい。

◉読めないと嘆くより読みたいと思える志を篤くしなさい。

◉対象に身を寄せ働きかけてくるものを受けとりなさい。

◉博学とは、一つのことを究めアナロジカルに十を知ることです。

◉朋友の良い点は称揚し行き過ぎた点は告げ、「一視同仁」の心をつくしなさい。

 

 イシス編集学校が、いまこの方法を確実に引き継いでいる。

 

 仁斎は言葉が本来秘めていたであろう意味をまっとうに読もうとするが、徂徠はむしろどのような状況で発せられ、どのような場面で筆録された言葉なのか、その歴史性を好んだ。徂徠は唐話が大好きで長崎の通事岡島冠山とも交流があり、儒学古典の漢文を日本語で読み下すのではなく、中国語で音読する読みを会読の方法とする。文字はそもそも声を伴っており、書物は声を出して読まれるものだった。意味を一旦切り離し、言葉を音の塊として受けとめる。枕詞の作用により、ヴァーチャル世界が眼前にあらわれてくるように、言葉の響きも情報になりえた。

 

 明代に発刊された李氏王氏の詩集を耽読し、柳沢吉保に仕え政治の機微にも精通していた徂徠のことである。言葉の道具的な機能だけでなく、玩具的な機能を察知し、『論語』の余白を読んだのであろう。


 長らく儒教の理想的人格として孔子像は形骸化されてきた。大田南畝の戯作研究が振り出しの野口は、孔子を茶化した狂詩を持ち出し、儒学セントラリズム的に出来上がった思想史を揺さぶる。野口の眼差しを借りると、徂徠の『政談』もシーンの屹立した戯作集とも読めるのだ。


 もと葬儀屋、アウトロー出身、みなしご、夢追い人、放浪の失敗者。『孔子伝』から立ち上がってくる孔子像は、世塵にまみれて人間臭い。春秋・戦国期のリアルタイムの感覚を取り戻し、中国古代思想像をパノラマにしてみせた白川の読みは、金文・甲骨文の古代文字を書き写し、體で覚えたものである。「人は所与の世界に生きるものであるが、所与はその圏外に去ることによって変わりうるものである」。

 

 亡命生活を送りながら人間精神を探求し続けた孔子の面影に、学界の少数派と批評されながら独学で前人未踏、孤高の道を歩み続けた白川の姿が重なる。孔子が求めたイデアの世界は、ノモス社会とは全く相容れぬものであった。ノモス的世界の巨大化とともに圏外の世界が失われつつあるいま、『論語』が、何とも形容しがたい本来のノスタルジアともいうべきものを掻き立てる。

 

 本から貰った衣裳と道具と言葉づかいとスタイルで、その本に暗示された遊びに熱中できたひと月であった。

 

 

●3冊の本:

 『童子問』伊藤仁斎/岩波書店
 『荻生徂徠』野口武彦/中央公論社
 『孔子伝』白川静中央公論社

 

●3冊の関係性(編集思考素):一種合成型


  • 三津田知子

    編集的先達:ルドルフ・シュタイナー。花伝入伝時に出家得度。感門之盟で密教僧の袈裟姿で登壇、衆目を集めた。離火元、花目付、古典輪読と研鑽を続ける編集求道者。道産子二頭の馬主でもある。姉は三津田恵子師範代。

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