号外!48守卒門第一号 ―編集は”終わりなき旅”ー

2022/02/05(土)11:33
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 48[守]卒門まで10日を切った2022年2月4日0:25、立春という春の始まりに相応しく最初の卒門者が誕生した。

2021年11月22日にスタートして2ヶ月と13日。

ぶっちぎりでゴールを駆け抜けたのは臨間オチョコ教室(速修コース)学衆の森田圭太郎である。

 

速修コースは、平日は毎日出題、翌日回答〆切という超過酷な稽古スケジュール。最初のうちは〆切厳守で回答していても、次第に未回答が溜まっていくのが普通である。
しかし、森田は〆切を意識し続け、38題中24題をトップ回答。師範代の西村慧からは、「快調に飛ばすから森田カイチョー」と名付けられた。

会社も個人も、変革が必要な時代、遊び心を大切にしながら取り組みたいと、空文字アワーもぷち番ボーも全力で参加。ミメロギア番ボーの回答&指南ラリーは19回を数えた。

 

卒門を決めた後の森田の一言は

  『知の編集術』に出てきたG・ルーカスの定番プロットに
  例えると、「編集術の彼方での闘争」を終えた後の
  「自分自身への帰還」なのかなという感じがします。

いつもいつも快調だったわけではない。ミメロギアでは悔し涙が流れた。それでも立ち上がり、全力を尽くしたからこそ出てきた言葉である。


森田圭太郎が最後のお題「編集カラオケ八段錦」で選んだ曲はMr.Childrenの『終わりなき旅』。

そうだ 編集の道に終わりはない。
英雄は帰還して、再び新たな旅に出ていくのである。

 

ここから先、森田圭太郎は何処を目指すのか。

 

英雄の凱旋を言祝ぎ、西村慧師範代は教室に宝船をしつらえた。七福神に七人の学衆を見立てたのである。座席がひとつ埋まった。残るは六席、全員卒門は想定内だと確信をもって語る。同日22:55、森田とデッドヒートを繰り広げていた池本滋郎がゴールに駆け込んだ。ワン・ツー・フィニッシュに臨間オチョコ教室に歓声が響く。二つ目の座席が埋まった!

 

48[守]学衆諸君、絶景とその先はもう目の前だ。

  • 中原洋子

    編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。