井ノ上シーザーが「い・じ・り・み・よ」する。今回は世間を騒がせているこの事件を取り上げる。
文学的でもあるし、超現代的でもある。そう睨んだのはシーザーだけではないだろう。
●――電子計算機使用詐欺事件:
2022年4月8日、山口県阿武町がコロナ対策の給付金4630万円を、誤って同町在住無職男性(24)の銀行口座に振り込んだ。男は同日から11日間で34回に渡って出金して決済代行会社に振り込んだあげく「金は戻せない。罪は償う」と言明した。
5月18日、山口県警は、男を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕した。
(『読売新聞オンライン 22年5月19日の記事』を元に編集)
●――10万円×463世帯のはずが、4630万円×1世帯へ:
4月6日に同町の職員がコロナ給付金を1世帯10万円ずつ、計463世帯に振り込むところを、誤って1世帯に全額を振り込んだ。自分の銀行口座の大金に気づいた男は「カネは海外の数社のオンラインカジノ(”オンカジ”とも呼ばれる)で全部使った」と述べていた。
●――重なる偶然:
本件では、阿武町の事務処理手続きのミスに加え、そのカネが決して富裕ではないネットカジノ愛好者に渡った、という事態が重なった。常識的には、誤入金であれば返金をするものだろう。
●――シーザーが”オンカジ”してみた:
▲オンラインカジノの存在は知らなかったので、ネットで検索したら簡単に見つかった。しかも、日本語対応可である。
シーザーはギャンブラー気質ではないのだが、好奇心に駆られて参入。
カード決済で1500円を入金してスロットをしたら、3分ほどで消えてしまった…。銀行口座から簡単に送金できるのだが、このカジノの1回の最大入金金額は50万円であった。
なお、ルーレットのレートは、最低10円、最高7000円/回のレートまで選べる。
4630万円分を使うのは大変そうだ…。
”オンカジ”は全くもって手軽にできる。ラスベガスやマカオやシンガポールへ、わざわざ行く必要もない。
海外送金というのは国家の規制が厳しいものだと思っていたが、入金はいとも簡単にできた。いやはや、シーザーの国際ビジネス感覚も古臭いものだ、と反省。ネットで言われている通り、マネーロンダリングの手段にも使えそうだ。
●ーー”オンカジ”の論理と欲望と:
賭博場がこんなに身近にあるとは、まさしく「内なる辺境」である。
さらに、多々あるWEBサイトで”オンカジ”の高ペイアウト率(還元率)をうたっていることにも驚かされた。それは「プレイヤーがかけた金額のうち何%が手元に帰ってくるかという割合」で、”オンカジ”の場合は9割以上としている。
ん?ちょっと待て。
「1万円かけたら9千円以上戻ってくる」みたいな書き方をしているけど、おかしくないか?9千円が戻ることを前提とするギャンブルって、ありえないでしょう。
2人のプレイヤーが1万円ずつ賭けたとする。一人が千円を儲けたら(1万1千円)、もう一人は3千円損をする(7千円)という計算になる。還元率が9割ならば、総額2万円の掛け金に対し胴元が2千円をとり、あとの1万8千円を取り合うのが賭け事であろう。得する側になるか、損する側になるか。それを偶然と確率にゆだねるのがギャンブルではないか。
確率は「確実なこと」を決めるためのものというより、「不確かなこと」を確実だと見誤らないためのものであるからだ。
千夜千冊1340夜『確率論的思考』田渕直也/日本実業出版社より
また、射幸心という言葉がある。ギャンブルによって得られる幸福感であるが、日本のスロット業界ではあまりにも射幸性が高い台(「荒い台」と呼ばれる)は、メーカーとホールが共同して撤去する。
他方、”オンカジ”は行政の規制も、業界の自主規制も及ばない。法的にはグレーな世界でありレートの幅が大きい。レートが大きいほどに、射幸心のひりつきも大きくなる。
ギャンブルで破滅のキワに瀕した文筆家の末井昭さんの断言を紹介する。
<本日のキーブック>①
『生きる』(末井昭著/太田出版)
”ギャンブルは命のやり取りです。しかし毎回命を賭けていたら命がいくつあっても足りません。そのために命に近い物としてお金を賭けます。金額が大きくなればなるほど命に近くなり、その分シビれます”
カネには何かの価値を代替する機能があるけど、ギャンブルの世界では命の代わりになる!
たしかに賭ける額が大きくなるほど、命の削られる部分も大きくなりそうだ。
命≒カネを得るか、失うか。それが偶然にゆだねられる、同時に脳内では神経伝達物質であるドーパミンが過剰に分泌され、賭博者は恍惚状態と化す。
<本日のキーブック>②
『賭博者』(ドストエフスキー著/新潮社)
”どうか偶然なんてことをあてにしないで下さい。偶然のない人生というのもあるのですから”
▲賭博好きであったドストエフスキーの実体験がこもっている作品。賭博に熱中する様の描写はドストエフスキーらしく、ねちっこい。24歳の男が34回に渡ってカネを引き出していた時の表情に通じるものがあっただろうし、失ったカネを乾坤一擲に取り返そうとする、賭博者特有の心理も味わえる。
●――シーザーのアナロジーが去来する:
この青年は4630万円を元手に、”オンカジ”で得た利を差し引いて返却するつもりだったのではないか。
(最新の読売新聞の記事(22年5月24日)によると、決済代行会社から3590万円が返金され、さらに約710万円の返金のめどがついているという。)
結局、総額4300万円は、失われたのか、未使用で口座に残っていたのかは、明らかにされていない。
「罪は償う」と述べた青年は、4千万円強を出所後に手に入れようとしたのか。懲役の年数をどう想定していたかは知らないが、割に合うものでもない。
実をいうと、「濡れ手で粟」で手に入ったカネをギャンブルで増やす、という設定が面白く、映画にしたらさぞかし面白いだろう、と考えたのだ。
さらに、この男は”オンカジ”で滑り落ちたが、早々に弁護士に相談をしたりと妙に世間知があったりもする。
こういったちぐはぐは、最近よく見られるようになった。投資サロンの会費が、投資によるリターンよりはるかに大きい、といった風に、なにかの対策を目指した結果、食い物にされるような事態だ。
「食い物にされないための教育セミナー」といったニーズも出てきそうだが、それもまた「騙されたくない人を食い物に」しかねない、怖さがある。
けっきょく、知識や常識というのは自分で練り上げていくものなのか。シーザーは”リバースエンジニアリング””アブダクション””オーダー”といった編集技法が処方箋になると考えるので、そのうち取り上げよう。
それにしても、誤って入金されたカネを使うと、使った側が罪に問われるというのも恐ろしい。
気に入らない人間の銀行口座にこっそりと入金して、あとで「カネを使われた」と騒ぎ立てるのも可能になりそうだ。
口座への誤入金が、一人の人間の運命をかえる契機になってしまったとは、理不尽でもあり、もやるせなくもある。
ふと目についた言葉を記してしめくくる。
ギャンブルは、これをする人としない人がいる。それだけのことで別にギャンブルが強いからと言って、人生の何の役にも立たない。強いのはむしろ災いを生む。
ギャンブルは勝てると思うからやるのである。負けるとわかって打つ人は病人である(こういう人を私は愛するが)。
『続・大人の流儀 世の中には馬鹿もいたほうがよい』伊集院静/講談社
付記:今回は松岡正剛事務所の太田香保さんから「還元率」についてヒントを伺った。共読知に感謝!
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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