<多読ジム>Season10・春の三冊筋のテーマは「男と女の三冊」。今季のCASTは中原洋子、小路千広、松井路代、若林信克、増岡麻子、細田陽子の面々だ。男と女といえば、やはり物語。ギリシア神話、シェイクスピア、メリメ、ドストエフスキー、ポール・ボウルズ、アレクシエーヴィチ、『とりかへばや物語』に漱石に有島に春樹に村田沙耶香までが語られる。さらに話は、戦争や民俗学や生物学やフェミニズムやブルシット・ジョブにも展開していく。
○○人間
男と女が出会う。子どもが生まれる。その子どもが、「少し奇妙な子」だった場合、どうしたらいいのだろう。“文明社会”の今もなお、難問であり続けている。
村田沙耶香の小説『コンビニ人間』を一気に読み終えて感じたのは、私は「○○人間」をつくらなかったかもしれないということだ。それがよかったのかどうなのかはわからない。
主人公は36才になっても恋愛や結婚をしないまま(それって、ヘン?)、コンビニバイトとしていきいきと働き続けていることで周囲から奇異の眼で見られている古倉恵子である。
冒頭で恵子の子ども時代の、いささか眼を引くいくつかのエピソードが語られる。
公園で死んでいた小鳥を見つけた時は、焼き鳥が好きな親のため「焼いて食べよう」と提案した。学校でケンカが起こった時は、止めようとしてクラスメイトの頭をスコップで殴った。職員会議になった。
摩擦がなくなる?
自分の振る舞いや言葉が母親をうろたえさせ、困らせると知ってからは、徹底して「人の真似をすること」「与えられた指示に従うこと」だけを行動の基準とするようになる。必要事項以外は一切話さなくなった。
すると、周囲との目立った摩擦は起こらなくなった。
高学年になると、今度はおとなしすぎることや友達ができないことが問題視され、父親の車で遠くの街のカウンセリングに連れていかれる。
「どうすれば『治る』のかしらね」。
専門家のアドバイスは「とにかく愛情をそそいで、ゆっくり見守りましょう」というものだった。父と母はその通りにする。
恵子が「コンビニ人間」になったのは、ここが結節点だったと思う。「ゆっくり見守る」以外の道もあったはずなのだ。
「あちら側」と「こちら側」
子どもの言葉や振る舞いは「図」であり、背景には「地」(世界観)があるということが本気でわかったのは、長男が小学校で「問題児」になった時だったと思う。
「奇妙な行動」に対して、周囲の「正しい」人々はきびしい。正常化しようとして、内面に土足で踏み込んでくる。それがかなわなければ排除にかかる。物理的に、あるいは心理的に「あちら側」扱いする。恵子の“奇妙な”言動は、「地」の世界観が他の子どもたちと少し違うということのあらわれだったが、恵子は生き延びるために、自分の世界観を守りながら、言動という「図」だけを変えるという戦略をとった。
「地」を耕す
しかし、背景である世界観(地)を変えることなく、行動(図)だけを変えても長続きしない。「地」のズレ、つまり周囲の人との世界観のギャップがますます広がってくる。それが、物語の後半の、白羽を「飼う」シーンにつながっていく。
長男は「図」だけを変えることをしなかった。「地」から自然に発する言葉や振る舞いを隠さなかった。「不審な行動」にもすべて長男の世界観のなかでは理があるということが見えたあとは、うろたえなくなった。
「○○してはいけません」という叱り方をやめ、「地」を耕すことから始めた。コツは、子どもの世界モデルの縁に腰掛ける感覚で話すことだ。会話というインタースコアで長男は少しずつ変わっていった。
コンビニはクソ仕事?
恵子は18歳の時にコンビニのアルバイトを始め、「完璧なマニュアル」があることに救いを見出す。けれど、「フツーの人」にとっては、コンビニバイトは体力的にキツく、社会的地位は低い「クソ仕事」なのだ。
いつまでも恋愛や結婚をしようとしない恵子に世間の風当たりがどんどん強くなってくる。みんなにとってマニュアルに従って動くだけの 「クソ仕事」というのは、人類学者のデイヴィッド・グレーバーが、現代のオフィスワークに蔓延する「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」や医療や介護などケアに関わるエッセンシャル・ワークと区別して言った言葉だ。
生活に必要不可欠なのにもかかわらず、クソ仕事やエッセンシャル・ワークへの報酬は低く抑えられがちだ。不思議なことにクソどうでもいい仕事ほど給与が高く、社会的地位も高いが、マトモな精神の持ち主なら心身がすり減っていく。苛立ちが、近くにいる「あちら側」の人への攻撃につながっていく。
「治る」と「治す」
恵子は、自分を見下しながら寄生しようとする白羽を、メタな視点から見下し返す。白羽に出す食事をエサと呼ぶ。
その様子を見て、妹は「いつになったら治るの」と泣く。
「治る」という言葉は、小説全体で20回近く出てくるキーフレーズだ。
待っていても治らないのだと、小説の中に飛び込んでいって言いたくなった。
「治る」ではなく「治す」。「正常」にするということではなく、「あちら側」と「こちら側」を地続きにする。そのときは「治す」側の世界の見方も揺さぶられる。物語の中でその役割を担おうとする人はいなかった。
「ヘン」への過敏性
1980年代後半に大ベストセラーとなった村上春樹の『ノルウェイの森』でも周囲と調和できない人々が出てくる。物語の舞台は1968年。仕事が少しずつブルシット・ジョブ化しつつある時代だ。語り手はそれを予見している大学生・ワタナベである。
誰もが軽薄な消費者になっていく世界になじめない人々は『コンビニ人間』とは対照的に、美しく繊細に描かれる。主人公の親友・キズキは高校生の間に、まっさきに自死する。キズキの恋人で、キズキの死後、ワタナベが恋に落ちる直子は心を病む。周囲の勧めで、世間から隔絶された「治る」ための山奥の精神医療コミュニティに身を置く。しかし、キズキ同様に自死を選ぶ。
2016年の『コンビニ人間』では、奇妙な言動の持ち主自身がメインキャラクターになっている。彼らは「普通の人」から「迷惑だから繁殖しないでください」と言われてもへこたれない。そんな小説が326万部も売れた。
コンビニに大量に配本するなど常識はずれのプロモーションがうまかったということもあるが、村上春樹が先鞭をつけた、「大きな物語」に距離を置くという空気にマッチしたのだろう。
さらに、ブルシットジョブ向きの均質的な教育がいきわたったことで「ヘンさ」に敏感な時代になっているというのが大きいのではないだろうか。
本と交際する
村田沙耶香は、作家仲間に「クレイジーさやか」と呼ばれているらしいけれど、恵子ほどヘンではない。
書評エッセイをまとめた『私が食べた本』で、学校の図書室が大好きな場所だったこと、一番衝撃を受けたキャラクターはルナールの「にんじん」であること、作家の中では特に山田詠美が熱烈に好きであると知った。
小さい時から猛烈にインタースコアしてきたのだ。本でいい。いや、本だからよかったのだと思う。
人間は内側に土足で入ってくるけれど、本は奥ゆかしい。人となんか付き合わなくても、本とのインタースコアで、十分、他者と地続きの世界観はつくれる。そして今、村田沙耶香には作家友達がたくさんいる。
『私が食べた本』村田沙耶香/朝日文庫
価値の源泉はズレにある
ズレている人が「書く」力を手に入れて、ユニークな身体感覚で集めた情報を発信すると、そこに「価値」が生まれる。
長男も書き始めた。「こちら側」と「あちら側」の境界がだんだんあいまいになってきつつある。
古倉家でも可能性はある。なにより恵子は最初、家族が「好き」だからという理由で、焼き鳥にしようと提案したのだから。「ありがとう」と受け取ったあとで、なぜ焼き鳥にするわけにはいかないかを、恵子の世界観の端っこに座って説明するところから始めたらよかったのだ。そうすればコンビニ人間は生まれなかった。
それは、もしかしたら物語の流産を意味しているかもしれない。けれど「ヘンな人」を消費することは断固としてダメなのだ。『コンビニ人間』を買った326万人の人に、このことをなんとしても伝えたかった。
info
『コンビニ人間』村田沙耶香/文春文庫
『ノルウェイの森』村上春樹/講談社文庫
『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』酒井隆史/講談社現代新書
◆多読ジム Season10・春◆
∈選本テーマ:男と女の三冊
∈スタジオゆむかちゅん(渡會眞澄冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐
『ノルウェイの森』
『ブルシット・ジョブの謎』<
『コンビニ人間』
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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