●スタジオネーム「たわし」
読書の秘訣は着替えにあり。
多読ジムでは、季ごとに自分好みの“スタジオネーム(ニックネーム)”に着替えてトレーニングをする人が多い。だれがどんな名前で稽古をするのか、スタジオ内でちょっとした注目の的にもなる。
「ふふふ、イタンでもサタンでもハタンでもなくワタンです。」
そう声をあげたのは、スタジオ「ゆむかちゅん」を切り盛りする冊師・渡會眞澄(わたらいますみ)。沖縄からの心地よい風と共に、軽快なコメントを届けてくれることで知られる。場を率いる冊師として、真っ先にみずからのスタジオネームを「ワタン」に決め、読衆からの名乗りを楽しげに促した。
渡會のリズムに乗せられて、初日から続々とセルフプロフィール回答が届くなか、さっそく目を引く自己紹介を展開したのが、読衆・福澤美穂子である。福澤は[守]番匠を歴任し、現在も物語講座の師範を担っている。そう、他講座の指導陣が読衆として紛れ込んでいるのもジムの魅力なのだ。
そんな福澤が「なんの根拠もないですが。笑」とはにかみつつ、今回繰り出したスタジオネームは、
「たわし」
である。
たわし?
命名の背景に耳を傾けてみよう。
「ワタン冊師を『ワタシ』に空目してしまい、それなら、と引っくり返して『たわし』でいこうかと。磨いていきます♪」
さすがはこれまで猛獣シーザーを翻弄してきた福澤である。スタジオネームも一筋縄ではいかない。「空目」というアクシデントを編集の起点とするのみならず、くるりとオーダーを転回することでネーミングを発案したのだ。
「福澤さんの類い希なセンスに、ひっくり返りました・笑」 イシスでの福澤との付き合いもすでに10年以上となる渡會も、今回ばかりは動揺を隠せない。《「ワタシ」の反対は「シタワ」なのでは…?》というツッコミも脳裏に浮かんだはずだが、そんな無粋なことを渡會は言わない。それに、物語好きな福澤のことである。かつて劇作家の唐十郎が作中で使用した「ワタシ→タワシ」の音韻転換を踏まえての名乗りである可能性もなくはない。
そこで渡會は視点をズラし、「『磨く』を掛けて、編集ワザも決められましたね」とコメントを返した。最後のひとこと「磨いていきます♪」にカーソルを当て、福澤が《新年→気分一新→きれいに掃除→たわし!》というシソーラスを意識した(?)のだろうという、アブダクティブな見立てをもって応じたのだ。ベテラン同士のやりとり、誠に含蓄に富んでいる。
●先達はゲーテ、なのだが…
だが、これだけでは終わらない。相手に隙を見せたうえで、いきなり重厚な編集観を突き付けてくるのが福澤だ。
実際、「たわし」の名乗りの直後、今季の「編集的先達」として福澤が挙げたのは、ドイツの大文豪「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」である。ビシッとフルネームで書いてくるあたり、新年にふさわしい迫力と気合を感じさせる。
手前ではたじろいでいた渡會も、これには納得だった。
いや、納得するはずだった。
ゲーテを選んだ理由が、また躓きの石となった。
「毎回悩ましい編集的先達。年始なので、おみくじ感覚で『遊学』をパッと開き、出た人物にしようと偶然に委ねました」
これを読んだときの渡會のズッコケぶりが、目に浮かぶ。
いやいやしかし、千夜千冊にはマラルメの骰子(さいころ)もある。なんといっても編集工学の骨法は“偶然の必然化”だ。福澤がたずさわる物語講座のお題「トリガークエスト」も、去年のリニューアルで、偶然性の関与する度合いをグッと引き上げたというではないか。
渡會はすばやく頭を切り替えて、「なるほど、偶然を引き寄せて必然に変える手がありましたか!『遊学』というのがポイントですね。次は真似したいです」と、ここでも柔軟に応じたのだった。
とはいえ、それでも福澤美穂子は、渡會の応接の手を簡単にすりぬけていく。
偶然や直感に身をゆだねる姿勢を明確にした福澤が、回答末尾に書き残していった「今年の読書目標」が、以下である。
「何となくや直感ではなく、意図をもってやってみたい。」
かくのごとき“プチ有事”を孕みながら、多読な日常が今日も愉快につづいてゆく。
バニー蔵之助
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[破]は、松岡正剛の仕事術を“お題”として取り出したとっておきの講座である。だから回答と指南の応酬も一筋縄にはいかない。しかしそのぶん、[破]の師範代を経験すれば、どんなことにも編集的に立ち向かえるように […]
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