54[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリス大賞 中山香里さん

2025/08/31(日)19:00 img
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物語編集術は[破]の稽古の華である。課題映画を読み解き、翻案の工夫で別様の物語として紡ぐ。今日紹介する物語アリス大賞は中山香里さん(うごめきDD教室)。

 

日本と韓国のクラブシーンを描き、音楽数奇の岡村評匠をして「群を抜いてリアルな質感、空気感を持つ」と唸らせた作品だ。葛飾柴又から梨泰院のクラブに場所を移し、ビートメイカーのタイガとラッパーのユリとして出会うところから物語は動き出す。

ビートの躍動を身体で感じよう。

 


54[破]≪アリスとテレス賞≫「物語編集術」


【アリス賞:大賞】

 

■中山香里(うごめきDD教室)

『フッドの向こう』            

原作:男はつらいよ

クマとタイガ

 8月の東京は狂ったように暑い。三茶の自宅から太子堂の商店街をだらだらと歩き、池尻に向かう。日は落ちてきたが、徒歩15分の道のりが寝不足の身体に堪える。クマの会社にラッパーのグッズ発注が入り、今日は奢ってくれるらしい。「最近どうよ?」「昨日サンクラにビート上げたけど、まずまず」と、卓上のベタついた調味料を並べ直しながら答える。「まだヘッズに届いてないんじゃね?」クマがニヤリとしてこちらを覗き込むので、わざと鬱陶しい顔でため息をついてみせる。テーブルの上のスマホが鳴る。後輩のヒロシからLINEだ。来月韓国のイベントで回すらしい。俺はあまり乗り気ではないが、クマはもう予定もブロックして、行く気満々。お待ちどうさまー、と店のおばちゃんがグツグツ音を立てるカムジャタンを運んでくる。ニンニクとエゴマの香りがたまらない。

 「じゃあ韓国は決まりな、あっちの銭湯寄ろう」。店を出るクマの足取りは軽い。歩きながら煙草に火を付ける。湿度の高い夜の空気が、吐いた煙にじっとりと絡みついてくる。

 

白虎と白百合

 梨泰院のクラブの入口で20,000ウォンを払い、地下フロアに降りると、DJブースの脇でヒロシが待っている。妹の美桜が来ないと知り、わかりやすく残念そうな顔をした。笑える。バーカンでKellyの小瓶を買い、照明で赤く染まったフロアを眺める。ミラーボールに反射する大小の光の隙間から、人々の表情が見え隠れする。

 狭い階段を上がり、入口付近でたむろしている若者たちを避けて煙草に火を付けた。「日本から来た?」後ろから声がして振り返ると、長い黒髪の女性がいる。驚いて小さく頷く。涼しげな瞳の奥に、憂いのようなものを感じた。日本語が少しだけわかるらしい。煙草を一本取り出し、吸う?とジェスチャーをしてみる。カムサハムニダ、と白く細い指で煙草を受け取る。彼女が煙を吐き出す。「私はユリ、あなたは?」タイガ、シライタイガ、と伝えると、ユリは「白いtiger?Coolだね」と笑う。「私はペク・ユリで、ペクは白の意味、同じだね」。首筋のタトゥーが白百合の花だと気付く。仕事を聞かれたので、ちょっと濁しながらビートを作っていることを伝えた。我ながらカッコ悪い返事だと思った。

 道の向こう側からユリを呼ぶ声が聞こえる。今度tigerのビートを送ってよ、と言いながら、ユリは手を振って横断歩道を駆けていった。クマに話すと、ユリが前にSMTMに出場したラッパーだと教えてくれた。クマは韓国のアングラシーンにも精通している。俺にヒップホップを教えてくれたのもクマだ。ラッパーが厳しい境遇を乗り越えて成功する姿に、自分を重ね合わせているらしい。それはいつの間にか 人並みな俺にとっても生きる指針になっていた。煙草の火を踏み消し、遠ざかるユリの姿を見送った。

 

リスナーとプレイヤー

 美桜が遅れて居酒屋の席についた。先輩の常子さんも一緒だ。頼まれていた韓国コスメを手渡す。酒が入った二人は、推しのトレカのためにCDを何枚積むかを熱心に相談している。肝心の曲にはさほど興味がないらしい。適当に相槌を打ちながら、飲み終えたウーロンハイの水滴を拭った。二人を見送り、イヤホンをして246沿いを三宿方向に歩く。あれからK-HIPHOPのプレイリストも聴くようになった。たまにYuriの曲も流れてくるが、リリックから彼女の日常を覗き見しているようで、なんだかむず痒い。

 「SOOP」のネオンが光る重たいドアを押すと、マスターの森さんがレコードに針を落とすところだった。韓国に行っていたことを伝えて酒を頼む。ヒロシの活躍を聞いて、森さんも嬉しそうだった。曲間を滑る針がチリチリと音を立て、数秒だけ店内が静まる。「ねえ、Yuriの新譜聴いた?」奥に座る男女の会話が耳に入る。聴いたよ、俺は前の方が好きかなー、わかる、最近変わり映えしないっていうかさ、と批評が続いた。グラスに残ったジントニックをゴクリと飲み込む。曲を作る立場になってから、プレイヤーの苦悩が手に取るようにわかる。それなのに、俺は土俵にすら上がれていない。森さんまたです、と小さく告げ、代金を置いて足早に席を立つ。 「これウォン札じゃんー 」と呆れた森さんの声が聞こえた。

 

狭小と無限

 起動した大きなモニターの灯りが、煌々と自分の顔を照らし出す。熱いよもぎ茶を一口飲み、Ableton Liveを開く。黒い背景の上にドラムループを敷いてから、ベースのクリップを追加。小さな音の欠片を左右にドラッグし、細かくタイミングを調整する。MPCの鍵盤を叩いてメロディーラインを模索しながら、静かに目を閉じた。

 六畳の部屋が透明の立方体に切り取られ、だだっ広い暗闇に放たれた。遠くにうっすらと聴こえる音を手繰り寄せる。くぐもった音が梨泰院のクラブのフロアを思い出させた。気付くと吸いかけの煙草はすっかり燃え尽きていた。ビートを再生すると、ユリの乾いた声と流れるようなフロウが脳裏に浮かぶ。

 instagramでYuriのプロフィールを開き、曲のURLを貼って送信ボタンを押す。すぐに既読が付く。「tiger?」YESのスタンプを送る。トーク画面に「入力中」の表示。「今はちょっと元気がなくて、少し時間がかかる」「でもカッコいいビート、challengeしてみるよ」。ほっとして椅子にもたれかかる。思えば、誰かのことを考えて曲を作ったのは初めてかもしれない。

 

有形と無形

 Yuriが表紙を飾るHIPHOP専門誌を手に取る。黒い背景と黒い花に囲まれ、首筋に入った白百合のタトゥーが映えている。

 

 ー最新曲「white」はどのようにして作りましたか?

Yuri:前作はトラップに強めのリリックを乗せるスタイルだったのですが、リスナーの反応を見てかなり落ちていました。そんな時にいつもと違うビートに出会って。必死にリリックを書き上げて録音しました。

 ―日本の新進気鋭のビートメイカーTIGRのメロウなトラックを採用しましたね。

Yuri:はい。彼のシンプルなビートを聴いて、私ももっと自然体でいいんじゃないかって思って。けど、いつも自分の気持ちを確認しないと、まだ不安に押しつぶされそうになります。

 

 ユリが秋にリリースした曲が評価され、俺のビートも注目されるようになった。ユリとは楽曲制作が終わってから連絡を取っていない。あの曲を最後に、自らこの世を去ったからだ。完璧主義で自分にプレッシャーをかけすぎていたと、後に彼女の事務所から聞かされた。味わう隙もないくらい、出会いも別れも呆気なかった。

 韓国の音楽事務所から依頼があったと美桜に伝えると、驚きのあまり硬直していた。推しが所属しているらしい。まだわかんないけどなーと、ついすかして言ったが、トレカじゃなくて曲を聴いてくれるなら引き受けるべきか。三人でいつものカムジャタンを平らげて店を出る。「寒いし銭湯寄るかあ」。クマが肩をすくめながら歩き出す。「韓国行ってよかったよなー」「まあね」「冷たっ」「感謝してるよ、やっと人間になれそうだわ」「人間?それは大げさだろ」と、クマが笑い出す。銭湯に入り、クマが素っ裸で大浴場に向

かう。鏡に映る自分の腕には、白い虎のタトゥーが光っている。

 

◆講評◆

 サンクラ:SoundCloud / SMTM:SHOW ME THE MONEY / Ableton Live ……

 HIPHOPの楽曲製作や韓国の流行に詳しくなければ目にすることのない用語が無造作に放り込まれ、時として略されます。また、冒頭では三茶~太子堂~池尻という街並み、その距離感や入った店の雰囲気、べたついた調味料やカムジャタンの香りが描かれます。今回の53本の中では群を抜いてリアルな質感、空気感を持った、その物語世界の中で生きて呼吸しているような作品でした。

 ワールドモデルを設定するというとき、何百年か先の未来や過去がどうなっているかを考える方が難しいと思う人がいるかもしれません。また、現実よりも架空の世界の方が決めごとが多いと思う人もいるかもしれません。しかし、実際にはどのようなワールドモデルであれ、整合性をもってイキイキとした世界観を作るというのはおしなべて労力のかかるものです。

 中山さんの作品も好きなもの、よく知るものをただ並べただけではなく、その場面を象徴するものが選び抜かれていました。そこから生まれた、メロウなHIPHOPを聴くかのような文章の流れにも心地よいものがありました。

 寅さん:タイガとリリー:ユリの人生がほんのひととき交差して、それぞれのその後に決して小さくはない影響を及ぼす。その切ない出会いと別れ。『男はつらいよ』に準じたストーリー展開も見事でした。

講評=評匠:岡村豊彦

 

 

54[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!

アリストテレス大賞 高橋杏奈さん
アリス大賞 中山香里さん
テレス大賞 Coming soon

  • 戸田由香

    編集的先達:バルザック。ビジネス編集ワークからイシスに入門するも、物語講座ではSMを題材に描き、官能派で自称・ヘンタイストの本領を発揮。中学時はバンカラに憧れ、下駄で通学したという精神のアンドロギュノス。