「どろろ」や「リボンの騎士」など、ジェンダーを越境するテーマを好んで描いてきた手塚治虫が、ド直球で挑んだのが「MW(ムウ)」という作品。妖艶な美青年が悪逆の限りを尽くすピカレスクロマン。このときの手塚先生は完全にどうかしていて、リミッターの外れたどす黒い展開に、こちらの頭もクラクラしてきます。

◆ある婦人のポートレート
忘れられない写真がある。16歳の夏に新聞の連載記事でみた、内藤泰子さんのポートレートだ。内藤さんはカンボジア人元外交官の妻として、内戦状態のカンボジアに留まり、革命と混乱のポル・ポト政権下を生き延び、政権崩壊後の1979年7月に帰国した。帰国直後の内藤さんは、白髪まじりの蓬髪に歯は欠け、眼鏡にはヒビが入り、まるで老婆のようだった。苛酷な4年間が偲ばれる写真である。
内戦状態にあったカンボジアで、クメール・ルージュが首都プノンペンを制圧し、解放を宣言したのは1975年4月17日である。時を同じくして、南べトナムの首都サイゴンには、北・解放政府軍が入城し4月30日、南北ベトナムの統一をみる。こうしてカンボジア、ベトナムは共産主義の支配下に入た。内藤さんがポル・ポト政権の大下放政策により、プノンペンから強制退去させられ「死の街道」をさまよっている間、近藤記者はサイゴン陥落を現地で取材していた。この顛末は『サイゴンのいちばん長い日』に克明に綴られている。近藤は、サイゴン陥落から四年後、タイ政府に保護された内藤さんの帰国便に同乗し取材を試みる。これがカンボジアでの体験を綴った『私は生き残った』(サンケイ新聞連載)となり、その後『戦火と混迷の日々』として出版された。
◆共産主義の蹉跌
ポル・ポト政権は、原始共産主義的な超重農主義体制をめざしていた。国の礎は米作であるとの考えから、貨幣経済を廃止し、すべての国民を農業に従事させようとした。この構想から、三百万人のプノンペン市民を市内から総退去させ、灼熱の街道と亜熱帯のジャングルに着の身着のまま追いやるという暴挙にでたのである。ポル・ポト時代の二百万人に及ぶ死者は、革命後の粛清や処刑、虐殺だけでなく、ジャングルでの開拓生活によるマラリアや栄養失調、衰弱による死者がその多くを占めていた。内藤さんは慣れない開墾と流浪の生活の中で、夫と子供達、家族全員を失った。ポル・ポト時代のわずか四年足らずの間に、実に国民の四人に一人が犠牲となったのである。
南北統一後のベトナム新政府の経済政策も、ポル・ポト政権と軌を一にするものだった。一貫した基本方針は、非生産人口を生産人口に変えていくことであり、その具体的柱が「新経済区政策」である。荒廃した国土を再開発し、整備し直すために、各地に「新経済区」と呼ばれる開拓村を設け、都市部に集中していた住民の効率的再配分をはかる。ハノイの論理は、非生産人口である都市住民にクワを握らせ、生産人口に改造しなければ、ベトナムは貧困と不平等から抜け出せない、というものであった。しかしこの「新経済区政策」は、初手から躓く。
近藤は、誤算の要因を理論のおごりから生じたと分析する。南ベトナムの首都サイゴンの繁栄を、ハノイ政府は「腐敗した資本主義の風潮」と断じたが、たとえ腐敗、堕落していようと、それもひとつの文化であり、人々の生活や思考を律する規範だった。共産主義の理論の力で、まったく次元を異にする、文化そのものを一挙に変革できると錯覚してしまった、と近藤は考察する。
◆二枚めの写真
内藤さんの過酷な経験もさることながら、最も印象に残ったのは連載最後に掲載された、二枚めのポートレートだった。日本に戻って数ヶ月を経た内藤さんは、最初の姿から一転、髪を美しく整え、欠けていた歯は綺麗に揃い、化粧を施した姿で微笑む上品な中年女性へと変わっていた。
個人が、たまたま身を置いた国家の体制の違いで、これほどまでに変わってしまうということ。その背後に横たわる彼我の環境の違いと、社会主義国家であるカンボジアが向かっている未来の姿に、当時の私は衝撃を受け、言い知れぬ恐ろしさとを感じた。老婆かと見紛う内藤さんの写真は、社会主義国家の目指す「平等」という理念の実現のために、あらゆる「自由」を奪われた個人の束縛のポートレートだったのだ。
◆自由か、平等か
近代社会は伝統社会にはなかった二つの価値を見出した。個人の「自由」と、個人の間の「平等」である。この価値のどちらを優先させるかで、二つの政治イデオロギーが生まれた。自由を優先させるリベラリズムと、平等を優先させ、平等のために自由の制限を許容する社会主義とである。このイデオロギーの対立が、20世紀の冷戦を生み出した。資本主義と社会主義の戦わない戦争だ。確かに米ソの熱戦はなかったが、世界中で代理戦争が繰り広げられた。その結果ベトナム、カンボジアでは社会主義に軍配が上がったのだ。
しかし21世紀に生きる我々が、1989年のベルリンの壁崩壊から得た教訓は、自由の原理の優越である。大規模な現実の武力衝突を経ることなく、勝敗を決定した要因は、少なくとも理念の上では自由を第一義とするシステムが、他方のシステムより魅力的だったという以外にない。内藤さんの二枚の写真は、社会主義国家のもとで生きる困難と、自由主義の繁栄の未来を暗示していた。
だが、今では自由主義を手放しで喜んではいられない。主要な自由が獲得されたはずの社会において、なぜか息苦しさを感じることが増えている。この閉塞感、不自由感は一体どこから生じるのか。大澤は『自由という牢獄』で、現代の閉塞感を「第三者の審級の不在」を鍵として紐解く。
◆神なき世の不自由
伝統社会は「神が存在するがゆえに、(いくつかのことが)禁止されている」状態であった。これに対して神なき現代は「神が存在しなければ、すべては許される」状態にある。しかし、これによって人は自由を謳歌できるわけではない。むしろ人は「自由の牢獄」に閉じ込められている。無数の選択肢の中でどれもが「終極的な目的が有する輝き」を失うこと、これを「自由の蒸発」と呼ぶ。
なぜ、数ある選択肢が魅力的に見えないのか。そこには、資本主義に内在する「形式への欲望」がある。資本主義は、特定の目的よりも普遍的な手段(貨幣=形式)に魅力があるようにみせるシステムだ。これにより主客の逆転が生じ、手段でしかなかったものに目的たちが仕えるようになる。それ自体で価値のあるものは、貨幣の前ではかつての輝きを失う。資本主義のもとでは、貨幣的インセンティブが概して優位になるのだ。
ここで大澤は、神=第三者の審級の不在をとなえる。選択肢に終極的な目的としての価値を与えるのは、第三者審級の承認、呼びかけだという。第三者の審級に求められていると想定できる時、その選択肢は初めてそれ自体として意味を持って立ち現れてくる。それがない状態では、選択に値する魅力的な可能性は与えられないのだ。
これがリベラリズムに準拠する資本主義社会の袋小路であり、私たちが囚われの身となった自由という牢獄なのだ。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈左上:『戦火と混迷の日々』近藤紘一/文春文庫
∈左下:『サイゴンのいちばん長い日』近藤紘一/文春文庫
∈右:『自由という牢獄』大澤真幸/岩波現代文庫
⊕多読ジム Season03・夏⊕
∈選本テーマ:幼な心へ
∈スタジオゆいゆい(渡會眞澄冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成型
『戦火と混迷の日々』+『サイゴンのいちばん長い日』
↓
『自由という牢獄』
戸田由香
編集的先達:バルザック。ビジネス編集ワークからイシスに入門するも、物語講座ではSMを題材に描き、官能派で自称・ヘンタイストの本領を発揮。中学時はバンカラに憧れ、下駄で通学したという精神のアンドロギュノス。
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2025-08-26
コナラの葉に集う乳白色の惑星たち。
昆虫の働きかけによって植物にできる虫こぶの一種で、見えない奥ではタマバチの幼虫がこっそり育っている。
因みに、私は大阪育ちなのに、子供の頃から黄色い地球大好き人間です。