病理医右筆のおしゃべり 重版出来

2019/09/15(日)22:17
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 卓上に並べられた、十種の葉物野菜。八百屋ではなく、病理学の授業だ。病理診断には、病態から「らしさ」をつかみ取ることと、病状の進行を判断する「物差し」を持つことが欠かせない。

 

 高校生向けの出前授業で、がん細胞を顕微鏡で観察する前の準備運動として、葉物野菜の分類系統樹を作る編集ワークを大盤振る舞いしているのが、イシス編集学校師範の小倉加奈子だ。父親も夫も息子も娘も編集学校に入れた、ハイパー・エディトリアル・マザーでもある。

 

 その小倉が2019年6月に上梓した『おしゃべりながんの図鑑 病理学から見たわかりやすいがんの話』(小倉加奈子、CCCメディアハウス)の第3刷、3,000部重版が決まった。9月15日には、読売新聞の書評欄でも取り上げられ、今や「話題の一冊」と言っても過言ではないだろう。

 

 なんと言っても、平明で親しみやすい語り口とイラストが目を引く。それでいて専門語を無理に易しい言葉に解体せず、誠実に本格的な病理学を語る一冊だ。

 

 装丁は寄藤文平氏によるものだが、氏のイラストは、この本では見られない。この方針は、小倉の手によるがん細胞などのイラスト原稿を寄藤氏が見た際に決まったという。

 

 病巣のイラストなどおどろおどろしそうなものだが、迷いのない線で描かれた一つひとつのイラストには、マンガチックな愛嬌すら感じる。おしゃべりでネアカな小倉の「らしさ」は、本の細部にまで宿っているのである。

 

著者の小倉加奈子右筆

 

 この本のもう一つの見所は、成毛眞氏が主宰する書評サイト「HONZ」のレビュアーの一人でもある、大阪大学医学部の仲野徹氏との「なかのぐら対談」だ。脱線上等で来し方行く末を語りまくる二人のおしゃべりは留まるところを知らず、このたびNewsweek日本版のウェブサイトにまで飛び火してしまった。

 

 「毎日毎日、喜びを感じているような奴は大成しない」と喝破する仲野氏にたじろぐ小倉。日々の生活に様々な悦びを見いだしている小倉にとって、大先達のこのストイックな一言は、なかなかにショッキングだったようだ。

 

 しかし小倉は現在、編集学校の中でももっともストイックな講座[離]の右筆として20人になんなんとする離学衆の学びを煽り続けている。診断も執筆も出前授業も[離]も子育ても、小倉の欲深い好奇心は絶対に手放さない。

 

 八面六臂の日々の中で顕微鏡越しに細胞に語り掛けつつ、がん細胞すらプリティに描いてしまう小倉の編集力は、すでに自身を唯一無二の編集病理医に仕立てあげているのだ。

 

【外部リンク】

がん診断に欠かせない病理医とは? 病理学を知るとどんなメリットが?

  • 川野貴志

    編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。

コメント

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山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025