山田風太郎『人間臨終図巻』をふと手に取ってみる。
「八十歳で死んだ人々」のところを覗いてみると、釈迦、プラトン、世阿弥にカント・・・と、なかなかに強力なラインナップである。
ついに、この並びの末尾にあの人が列聖されることになったのか・・・。
山田風太郎「人間臨終図巻 Ⅲ」(徳間文庫)目次
ともあれ、松岡正剛の偉大さは、どれだけ強調してもしすぎることはないだろう
…と思うのは、あまりにも編集学校にどっぷり浸かってしまった者の身びいきなのだろうか。
たしかに赤の他人に「松岡正剛とはこんな人」と簡潔に説明するのは難しい。
ついつい、こちらの思いが溢れて、アヤシゲな宗教の勧誘みたいになってしまい、「しまった」と歯がみした者も少なくないだろう。
とにかく、曰く言いがたいのである。
本好きの間では、それなりに知名度があるが、一般的には、そんなに有名な人ではない(と思う)。ちょっとマニアックな立ち位置の人ではあった。
とりわけ70年代から80年代にかけての頃は、サブカル的にトンガッた人たちのあいだで隠然とした影響力を持つ圧倒的なカリスマであった。
もちろん求めに応じて、公共的な仕事も手広くやっていたし、既存メディアも活用していた。テレビ出演なども固辞するタイプではなかった。
しかし、不特定多数のインフルエンサーになることには、全くと言っていいほど興味を示さなかった。「少数なれど熟したり」という言葉を好んだ。
既存のレールの上での業界内のパイ取りゲームなどにはまるで頓着せず、とにかく自前のメディアを作ることにこだわり続けた。
そこが最高にかっこよかった。
生粋の本の虫でありつつ、現場のリアルを好んだ。天性のオーガナイザーで、とにかく他人をどんどん巻き込んでいった。膨大な文章を残したが、実は辻説法の人だった。低音のバリトン・ボイスで、高速に連想ワードを並べていく独特の話法は、まったく他に類例を見ない、松岡正剛だけになしえる独擅場だった。
思えば、あの言葉の飛び移り方は、なんというかちょっとヘンだった。この人の頭の中はどうなっているのだろうと思った。松岡さんは、それをこともなげに他人に伝授しようとしたが、誰も真似することはできなかった。
私が編集学校と出会ったきっかけは、おそらく最もありふれたパターンだろう。
なにか気になる本を検索するたびに頻繁に遭遇する「千夜千冊」というWEBサイト。何度も訪れるうちに、いやでも目につく「イシス編集学校」のバナー。気になってちょっと覗いてみると、なにやら面白そうだ。そんなことを繰り返していたある日、ほんの出来心から、ポチッと申し込みボタンをクリックしてしまった・・・そんなところだったと思う。
以前にも書いたことがあるが、私はネットに積極的にアクセスしたり、書き込んだりすることに対して異常なほど警戒心の強い人間だった。最初は本当に、おっかなびっくりだったのだ。しかし、そんな状態は最初のほんのわずかな間だけだった。上手く乗せられたというか、あっという間に適応してしまったのである。
やがて守・破・離と進み、バジラ高橋先生の輪読座で宿題レポートの代わりに描いたマンガがちょっとウケて、それを機縁に2019年「遊刊エディスト」の創刊メンバーに加えてもらった。そして、いつの間にかイシス内では「マンガ担当」の立ち位置の人になってしまっている…という経緯である。
松岡正剛という人の脳内に私の存在が認知されたのは、おそらく2014年の10離受講のときが最初だったはずだ。このときの私は、かなりイタいキャラで悪目立ちしていたので、校長はなんとなく面白がってくれていたようなのだ。
10離退院間もない頃だったと思うが、何かのイベントで校長をお見かけしたときのことである。校長に話しかけることなど、とてもできず、遠巻きに眺めていたら、いきなり「おお、ホリエ!」と言いながら、ズンズン近づいてきて、肩をグッと組まれたときには、うれしいというより、完全に泡を食ってパニックになってしまった。
もうこのへんの、天然の人たらしぶりには全く太刀打ちする術はない。
もちろん、校長が単に人がいいだけの人物でないことは言うまでもない。
私自身は校長と特に近しく接する位置にはいなかったこともあり、いつもにこやかな表情でお話しになっている姿しか知らないのだが、プロジェクトに深く係わった人たちからは、校長のシビアで苛烈なディレクションに、身の引き締まる思いをした者も多いと聞く。
私自身、『情報の歴史21』のプロジェクトに係わったときには、ちょっとだけ冷や汗の出る思いをした。
資料収集の中間報告で校長ディレクションがあったのだが、このときの私の収集物は全然出来上がっていなかった。
校長からは矢継ぎ早に不足の指摘が出され、ついにはこんな言葉が口をついて出てきた。
「これは堀江くん一人にやってもらうのは無理なんじゃないの?」
そこへすかさず吉村林頭が合の手を入れる
「いずれはこの方面に詳しい〇〇さんや△△君にも入ってもらうつもりですが…、もうちょっと早めに入ってもらった方がいいですか」
校長「…そうだね。」
ううっ、つらい・・・。
そんなこともあり、作業の後半戦はかなり頑張った。校長にご満足いただける内容だったかはわからない。
もうひとつ私が関わった校長関連の大きな仕事といえば「千夜千冊」1792夜のアイキャッチ画像作成だ。
次回の千夜千冊で、橋本治を取り上げることになったので、アイキャッチを作成してほしい、とのオーダーを編集長の寺平さんからいただいたのは2022年1月のことだった。
イシス編集学校と並ぶ、今世紀・松岡正剛の最大プロジェクト「千夜千冊」の本丸に関わるというのだから一世一代の大役だ。しかも橋本治には個人的にも思い入れがあるので俄然張り切った。
とはいえオーダーの内容は決まっていた。
橋本治の、あの有名な東大駒場祭ポスターのパロディをやって欲しいと言うのだ。
それなら楽勝だと思った。自分で一から考えなくていいと聞いて正直ホッとしたことも告白しておこう。
しかし私の考えは甘かった。
いよいよ最新千夜アップ前日の晩あたりから、怒濤の修正ラッシュが始まったのである。
出しても出しても、修正の指示が返ってくる。
ヤバイ。このまま徹夜で夜が明けるのか?
と、しがないカタギの勤め人は明日の仕事の心配をし始めるのであった。
とにかく、その時、いろいろ細かい指示があったのだが、なかでも、いちばん受け入れがたかったのは、次のような指摘だった。
「肩幅に対して顔が小さすぎます。もっと大きくしましょう。それから首をもっと短く、もう首がないぐらいにしてください」
ええっ!?と思った。せっかくの校長のスマートなシルエットが壊れてしまうではないか。
修正前のイラスト。小顔でスマートな校長
私は多少の抵抗は示しつつも、適度に妥協して修正していった。
しかし、まだまだだ、と言う。
「もっと顔をデカく!」
そのときは、寺平さんもなかなか頑固な人だなと、やや辟易していたのだが、あとで冷静になって考えてみると、これには当然、校長のディレクションも入っていたのである。
そもそも「小顔であるほど良い」などというのは西洋近代的な美意識であって、昔の歌舞伎役者など、顔が大きいことが、色男の要件であった。役者絵なども極端に顔を大きく描いた。今回のイラストの引用元である橋本治のポスターの絵にしたところで、古式にのっとったデカ顔の男の後ろ姿だったのである。
とはいえ、現代的な感覚でいえば、自らブサイクになっていく方向に、ためらいなくディレクションしていく校長も校長である。
私の遠慮がちな修正に業を煮やした寺平氏は、ついには自ら手を入れたものを送ってきた。
「こんな感じにしてみましたがどうでしょう」
いい加減疲れていたし、明日の仕事にも差し支えると思った私は
「バッチリです!!」
などと適当な返事をしてOKしてしまった。そしてさっさと床に就いてしまったのである。そのあと、どれぐらいの工程があったのか私は知らない。
完成したアイキャッチ画像
最後はデザイナーさんがみごとにレイアウトを
組んでくれてフィニッシュ
それにしても、千夜千冊をアップするたびに、毎回こんなことをやっているのか…。
アイキャッチ画像など、我々読者の身にしてみれば、ほんの一瞬チラ見して終わりだが、その裏には毎回、大変な修羅場があったのだ。私などはその全貌のごく一部を垣間見たに過ぎない。さらには図版作成チーム”センセン隊”のみなさんなど、さぞかし大変な現場なのだろうと、今更ながら気づかざるを得ないのであった。
私と校長との直接的(とも言えないほどの)接触はこんなものである。あとは、たまに何かのイベントで恐る恐る声をかけて、愛想よく返事をしてもらう、という程度であった。
これはズルいのである。
ひとつひとつの些細なやり取りがかけがえのない瞬間として輝いてしまっているのである。
もはや、それを毀損するような出来事が、今後起こる心配もない。
それが少し寂しくもある。
10離・道然院 堀江純一
2021年12月、近江ARSのキックオフイベントにて。
周りに、けしかけられて、ようやく勇気をもって
話しかけたときのスナップ。後藤由加里カメラマンが
すかさずシャッターを切ってくれていた。
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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