編集かあさんvol.12 ゾウの名前

2020/09/14(月)16:11
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「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。


 

ゾウが来た

 特別定額給付金がきっかけで、夫がゾウのぬいぐるみを二頭買った。7歳の子が腕を広げてやっと抱えられるほどの大きなゾウである。一頭は立ち姿、もう一頭は伏せのポーズで、しっぽをあげている。
 名前をつけなければならない。我が家のぬいぐるみには、すべからく名前や生年月日などのさまざまな属性を設定することになっている。
 ふだんは、鳴き声のオノマトペや色から名前を作ることが多い。ライオンならば草原ガオ子、にわとりなら庭コケ子、ノガモなら庭ピヨ子。ネズミの兄弟は、白ちゃん、グレーちゃん、黒くん、ブラウンくんといったぐあいだ。
 そんななか、ゾウは別格である。
 21年前にやってきた、もっとも長老のゾウはエセルバート。中世初期のイギリス七王国時代の王の名前に肖っている。
 2019年に来たきょうだいゾウはカエサルとクレオパトラ。ゾウ好きがまわりに知られるようになってプレゼントされた、子どもが座れるぐらいがっしりしたゾウはアレキサンドロス。言わずと知れたマケドニアの大王である。伏し目がちで、どこかアンニュイな雰囲気を漂わせている。
 
偉人・神話・宇宙フィルター

 新しく来たペアはどんな名前がよいだろう。
 立っているほうをオス、伏せているほうをメスと仮留めして、話し合いを始めた。
 「フィリッポス」が、オスゾウの名前の第一案として出てきた。アレキサンドロスの父王の名前から。ほかに古代の偉人フィルターでは浮かんだのはアウグストゥス。八月の語源となった人名だが、長男(12)が「大きいほうに子どもの名前をつけるのはおかしい」という。高さを測ってみるとカエサルは27センチで、新しく来たのは55センチほどもある。
 伏せているほうの案がなかなか上がってこない。ギリシア神話に出てくる女神にちなんでアルテミスは? 
「うーん、アルテミスは月のイメージが強すぎると思う」
 それまで黙っていた長女(7)が「わたし、すずちゃんがいい」と突然、これまでの流れと違う和風の名前を主張しはじめた。
 長男はにべもなく却下しようとするが、まあまあ、候補として残しておこうよと諭す。
 アリストテレスからアリスとテレス? アリスちゃんなら長女も気に入るかもと提案してみるが、やはり「すずちゃんがいい」という。
 ギリシア神話をもう一度あれこれ思い出して、イオという名前が浮かぶ。イオから「みお」を連想した。今、航行中の水星探査機である。
 みおちゃん、和風のかわいい響きである。宇宙関係で「みお」につりあうものはあるだろうか。
「となると、ドーンかな。ボイジャーやパイオニアは探査機イメージが強すぎるから」と長男。
 ドーンは、2007年、火星と木星の間にある小惑星帯にある準惑星ケレスの探査を目的に旅立った探査機である。
 「ドーン君・みおちゃん」が、ペア候補として浮上してきた。
 他の衛星や小惑星はどうだろう。カリストもいいけど、そうだ、エリスは? 
 スイキンチカモクドッテンカイエリのエリス。冥王星を惑星の座から降ろすきっかけになった準惑星である。調べてみるとギリシア神話の争いの女神の名前に由来しているらしい。争いの女神というのはちょっと悩むところだが、響きはいいし呼びやすそうだ。

 似た小惑星にセドナがあるが、エスキモー神話の女神なので「暖かい地方に住むゾウの名前としてはそぐわないかも」。長男も素早く検索しながら言う。
 アリスをアレンジしてもエリスになる。いろんな案が出たけど、末尾が「ス」で揃う「フィリッポスとエリス」が一番しっくりくるんじゃないかと話が固まりかける。
 すると、長女が「男の子はエベレスト君がいい」と言い出した。「だって大きくて立派だから」。こちらも流れとは違うが、エベレストの「らしさ」を掴んでいることには拍手だ。

 「ほんと」と「つもり」

 最終的には「どうぶつマンションの社長」という肩書を持つメンドリの庭コケ子さんに報告して「名づけ」が完了する。
 新しく来たゾウ、立っているほうはフィリッポス、伏せているほうはエリスと決定した。ニックネームとしてエベレスト君、すずちゃんという名前も持っていて、どちらで呼んでもいいということになる。今までで初めてのケースになった。
 
 ぬいぐるみに名前をつける。このことで、「ほんと」と「つもり」が一気にまじりあいはじめる。


 


〇〇編集かあさんの本棚



『ゾウの時間、ネズミの時間』本川達雄著、中公新書



『絵とき ゾウの時間とネズミの時間』本川達雄著 あべ弘士絵、福音館書店


ゾウとネズミのぬいぐるみを並べてみて連想したのが生物学的文明論で知られる本川達雄さんの本です。
絵本版は小学3年生ぐらいから。あべ弘士さんの絵がとてもオーガニックでコンヴィヴィアルです。

  • 松井 路代

    編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。