発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

3月13日、ジャイアンは本楼にいた。感門之盟に列するためだ。
卒門式では1分半で挨拶をせよ、という。本楼に向かう京急の中で挨拶文を考えながら、あることに気づいた。「何を喋ってもOK」という自由な時間――換言すれば時間編集を任されているのは、守破の師範代だけである。おそらくこれが、師範代を走り抜けたご褒美なのだろう。1分半の編集のキソイアイの機会をもらったのだ。
さて何を言葉に乗せるか。
ジャイアンの中で、前回、前々回の感門之盟が重なった。
ちょうど一年前、角山はZOOMから感門之盟を眺めていた。初めてのZOOM式典が始まった会だ。角山はイシスからのフェードアウトを決めていて、すでに仲間へのお別れも済ませていた。感門之盟に申し込んだのは、ZOOMの気軽さもあったように思う。
フェードアウトを決める前段、アザラシ師範代との濃厚なやりとりがあった。角山は師範代にこんな質問をぶつけていた。
「師範代は絶対にやりたくないけど、花伝所に進んでもいいものか」
師範代の答えは明確だった。
「強制的に師範代をさせられることはないけど、“師範代をやりたくない”と明言している人に、“それでもいいからとりあえず行ってみなよ!”とは言えないなあ」
師範代をやる自信がないということなら「行ってみなよ」と背中を押すが、「やりたくない」という人に行けとはいえないという。アザラシ師範代のド正論だった。
ではなぜ師範代をやりたくないのか。
角山の目に、イシスは上意下達のヒエラルキーの組織に映っていた。学歴主義ならぬイシス歴主義のようにも感じていた。師範代になると、学衆のリズムに左右され、場のペースを自分で完全にコントロールできないところも気にくわなかった。これまでどの組織にも属さず、誰にも師事せず、一匹狼でここまで来た。師範代になるということは、自分の人生を否定するような心持ちがしたのだ。
感門之盟でアザラシ師範代――もとい福田容子師範代の挨拶の番になった。
あろうことか師範代は、角山の言葉を引用しながら話を進めた。名前を出さずに、しかしこちらにはわかるように。角山は画面に向かって毒づいた。
感門之盟の翌日、アザラシ師範代からのメッセージが勧学会に届けられた。ひとりひとりへのお礼が綴られている。その中にこうあった。
昨日みんなには言いましたし、それを本人に言わないのもアレですから言いますが、私は角さんにはまあ少なくとも花伝所にはぜひ行ってほしいと秘かに願っているのです。言い古されたことだけれど、やらずに後悔するよりやって後悔。当たってダメなら砕けたらいいじゃないですか。このままにしてしまうのはもったいなさすぎる
またしても毒づいた。「行かない」とあれだけはっきり伝えたのに。これではまるで逃げ出すみたいじゃないか。
わたなべたかし師範や仲間からも背中をばんばん叩かれた。そのうちに、段々腹が立ってきた。自分にだ。
この部分が気にくわないから嫌だ、というのではガキではないか。おかしいと思うなら、自分で再編集すればいい。師範代はこうあるべきだ、と思い込んでいるのは他ならぬ自分だ。「正解のない稽古」とうたっているイシスなら、師範代のスタイルにも正解がないんじゃないか。だったら、新しいスタイルをつくってしまえばいい。
感門之盟の4日後、角山はイシス編集学校のページを開いていた。
「花伝所を出て師範代になる」のでは遅い。突出するためには、申し込んだその瞬間から師範代になるのだ。師範代として花に臨み、花で師範代のスキルを磨き、師範代として駆け抜けるのだ。
クリックしようとした瞬間、右手が震えだした。震えるまま、人差し指を押した。
33期花伝所を出た角山は、ジャイアンの名を与えられ、2020年の20周年感門之盟の場にいた。ジャイアンは挨拶でこう呼びかけた。
今日から伝説第二章が始まります。それぞれの立場で、共に新しいイシスをつくっていきましょう。
それから半年。ジャイアンは再び感門之盟で挨拶の機会を得た。
「新しい師範代のスタイルをつくる」だの「伝説をつくる」だの、そんなことはどうでもよくなっていた。ジャイアンにとって何よりも大切なのは、そんなことじゃない。目の前の9人の学衆だった。1分半で彼らとの交わし合いの日々なんて語れない。せめてもと、ジャイアンはひとりずつ、フルネームで呼びかけた。
あなたたちは最高です。これからも角道を開けて進んでいきましょう。
◇ ◆ ◇ ◆
46[守]新師範代登板記はこれで幕を閉じます。
最後にひと言だけ。
角道ジャイアン教室のみんなが好きです。46守が好きです。みんなありがとう。
▲教室に誕生したキャッチフレーズ「うねり胴鳴り九重山」に肖って、ジャイアンは感門之盟でうねりTシャツを身に纏った。
◆バックナンバー
ああ、それでもジャイアンは歌う――46[守]新師範代登板記 ♯1
ジャイアン、恋文を請い願う――46[守]新師範代登板記 ♯2
ジャイアンとコップ――46[守]新師範代登板記 ♯3
ジャイアンの教室名 ――46[守]新師範代登板記 ♯4
ジャイアンは教室とともに――46[守]新師範代登板記 ♯5
ジャイアンの1週間――46[守]新師範代登板記 ♯6
ジャイアン、祭の後――46[守]新師範代登板記 ♯7
ジャイアンの聞く力――46[守]新師範代登板記 ♯8
汁講ぞ、ジャイアン――46[守]新師範代登板記 ♯9
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
世の中はスコアに溢れている。 小学校に入れば「通知表」という名のスコアを渡される。スポーツも遊びもスコアがつきものだ。勤務評定もスコアなら、楽譜もスコア。健康診断記録や会議の発言録もスコアといえる。私たちのスマホやP […]
スイッチは押せばいい。誰もがわかっている真理だが、得てして内なるスイッチを探し出すのは難しい。結局、見当違いのところを押し続け、いたずらに時が流れる。 4月20日の43期[花伝所]ガイダンスは、いわば、入伝生たちへの […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!
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【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。