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「イシスの至宝」。川野のことをそう名づけたのは守学匠の冨澤陽一郎である。師範代を務めあげた後、守破師範、番匠を休みなく歴任し、ISIS FESTAではゲストと堂々渡り合い、現在は近畿大学やAIDA、子ども編集学校といったプロジェクトを引き受ける川野のことを「至宝」と呼ぶことに異論を挟むものはいないだろう。なんせ妻にも「この至宝〜(笑)」といじられているらしい。世界知、方法知、実践知を兼ね備え、器量、胆力、評価眼をもち、書いてよし語ってよし。何よりロールを引き受けると、周囲の期待以上をもって応えるのが川野の真骨頂なのである。
6離を小坂とのツートップで典離した後に、意気揚々と14期花伝所に入伝。その時点ですでに師範が舌を巻くくらい指南が書けており、アブダクティブなアプローチにまで踏みこんでいた。当時の指導陣が出来すぎていて驚嘆したという逸話が残っている。万端に師範代スタンバイした川野であったが、311による学衆激減で守の教室を減らさざるを得なくなった。その時、自ら身を引いて一期待機することを名乗り出た。侠気もあれば、茶目っ気もある男。何から何まで出来すぎなのだ。
川野の弱点はないのか?あえて言えば、それは家族かもしれない。川野は子煩悩なのだ。家からZoomで打ち合わせをするときには、寝た子を起こさないようにモニターを消して、発言をするとき以外はミュートをしてこっそり参加をする。それでも発言するときには、いつも寸鉄のコメントで存在感を発揮することを忘れない。やはり川野は川野だった。
川野がイシスに関わって10年。10周年から20周年までをトップランナーとして引っ張り続けてきた。これからの10年も、また至宝がイシスの道を照らしてくれるはずである。