〈社会学者〉〈作家で元外務省主任分析官〉〈元大学総長で江戸文化研究者〉〈メディア美学者〉〈デジタル庁のキーマンにして情報工学者〉〈文筆家であり編集者であり卓球コーチ〉。こう聞いて、どんな顔ぶれが浮かぶだろうか。さらには、〈現代芸術家〉〈発達心理学者〉〈米文学者であり翻訳者〉〈神経科学者〉〈メディアアーティスト〉〈脳外科医〉。実に多彩、実に異才。これぞ2023年10月スタートの Hyper-Editing Platform[AIDA] Season4「意識と情報のAIDA」が誇るボードメンバーとゲスト陣だ。座長松岡正剛が「このプラットフォームは編集工学研究所の看板だ」という[AIDA]は、時代を切り拓かんとするリーダーたちが各界の達人や哲人、そして座長松岡とともに”間(あいだ)”を巡って対話と思索を深め、あらたな「編集的社会像」を構想していく比類なき場である。
2023年8月8日(火)、世田谷豪徳寺の本楼は超満員の賑わいを見せた。[AIDA]を一夜限り一般公開する「AIDA OP(アイダオープン)」が開かれたのだ。すでに受講経験のある座衆のほか、[AIDA]未体験の面々がこの日を待ってましたとばかりに詰めかた。
▲[AIDA]が看板だという意味は「最前線と最深部を両方一緒にやる」ことだという松岡座長。「コンピューターはたくさんデータを集めなければいけないが、なにが突端で零れ落ちそうになっているかはビッグデータではわからない。でも深いものもをひとつかふたつか見ればわかる。源氏を見ればわかるし、愚管抄を見ればわかるし、ダンテの神曲やパスカルを読めばわかる。ただ、深部を満々とたたえた状態にしておくためにはコツがある。それが編集です」さらに編集のヒントも明かされた。「大谷翔平をつかまえることや大谷翔平であろうとすることは不可能だが、コンバージョン、トランジットすればいい。大谷を射影する下敷きというか印画紙、編集工学研究所はその印画紙をつくっている。[AIDA]のプラットフォームにさまざまな人がかかわり、自らが射影物となって、そこに影を落としていただきたい」
なぜ[AIDA]なのか。発端を尋ねられた松岡座長は、いまから45年前、フランスのパリで開かれたある展覧会を振り返った。著書『日本流』にも当時の様子が記されている。
一九七八年の秋、磯崎新と武満徹さんが『日本の時空間―「間」MA』というルーブル装飾美術館での展覧会をプロデュースしました。連日満員で、「ル・モンド」をはじめ新聞も大いにとりあげた。私もそれにかかわったので褒めるのは変なのですが、この企画構成はすばらしかった。「間」という「見えない日本」をなんとか視覚化し、また音像化したのです。私もいろいろ学びましたし、当時これを見た若きオギュスタン・ベルクもこれを機に日本を研究するようになったといいます。
構成は磯崎さんによるもので、敬称は詳細も略しますが、アプローチを入ると広重とともに篠山紀信・山田修二・二川幸夫の写真が並ぶ「寂」と「現身」があり、倉俣史朗や宮脇愛子や高松次郎の作品による「橋」「道行」「移」のコースが控えます。これを進んでいくと宮大工の中村外二による「数寄」「神籬」が待っている。
そこをくぐるとアルミニウムによる未来的な能舞台「闇」があって、武満さんが選んだ地唄の富山清琴、薩摩琵琶の鶴田錦史、尺八の横山勝也らの邦楽演奏と、白石加代子(鈴木忠志演出)・芦川羊子(土方巽演出)・田中泯・小杉武久・鈴木明男らのパフォーマンスが日替わりで演じられていて、能舞台を仕切る壁にむかっては三宅一生の衣裳を着た四谷シモン制作の九体の雲水人形が黙想しているというものです。
私は「間」についての文章を書いたり、パンフレットを編集構成しました。 パンフレットやポスターのデザインは杉浦康平でした。
この展覧会はその後、世界各地を巡回して多くの反響をまきおこします。「間」というコンセプトもある程度は理解された。私もその後は刺激が続き、レオ・レオーニというアスペン会議の議長で童話作家でもあるイタリアのデザイナーと『間の本』という対談本を出すことになった。やはり、こういう試みは必要なのです。
松岡正剛『日本流』ちくま文芸文庫 p.318
「間(ま)」でいくことが決まり、武満氏らと展覧会の内容を詰めていたとき、松岡座長は子供時代によく見た光景の話をした。呉服屋だった実家にはちょっとした座敷があり、いつも座布団が置いてあった。誰かがやってくると「やあ吉田はん、よう来たよう来た、どうぞどうぞ」と言ってそれまで家族で坐っていた座布団を裏返して場所を譲る。わたしたちは「席」や「座」というものを保有しているわけではなく、つねに「仮」の空間というものをセットして一旦伏せた席を開けていく。日本の「間」は伏せたり開けたりするものだ。そんな話を展覧会のパンフレットにも綴った。すると、あのレヴィ=ストロースが非常におもしろがり「間」について新聞に寄稿。なんとも喜ばしい事態だ。だが、レヴィ=ストロースの鮮やかな文化人類学的説明に触れた松岡座長は、逆にショックを受ける。「間」というものを考え直さないといけない。そう決意して調べはじめたとき、次のことが分かってきたという。
日本にはもともと一という概念がなく「二」からはじまっている。「間」に近い。それより先は片割れ。片と片で割れたものなんです。いまでも片方とか片一方という言い方をするが、片という未完成なものを一と見ている。
それから間(あいだ)を考えるようになった、「間」MA展はその起源だった、と松岡座長は[AIDA]のはじまりを語った。
▲右上が1978年にパリで開かれた『「間」日本の時空間』(MA Escpace-Temps du Japon)展のカタログ。その左隣は、2000年に東京藝術大学大学美術館で開かれた『「間」20年後の帰還」展のもの。右下はパリでの間展のあとに出版された松岡座長とレオ・レオーニの対談本『間の本』(工作舎)。左下にある木村敏さんの『あいだ』(弘文堂)は千夜千冊も要チェック。
なぜ[AIDA]なのか?[AIDA]とはなんなのか?という問いは、日本の知性を代表するAIDAボードメンバーにも向けられた。
◎武邑光裕氏「間とは何かと何かのあいだであると同時に経路である」
7年ほどベルリンに滞在した経験のある武邑氏は、ヨーロッパから見るからこそ気づいた日本の「間」の独自性をとりあげた。
長谷川等伯の「松林図屛風」には松の木以外なにも描かれてはいないが、なにもない空間が描かれているとも言える。一方、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ」のように隙間なくすべての空間を埋め尽くすのがヨーロッパの絵画。余白や間はほとんど存在しません。日本の「間(ま)」は「六畳間」や「間が悪い」など空間も時間も含有しているが、そうした概念もヨーロッパにはまったくないんですね。しかし、日本語では山(やま)、浜(はま)などに「間(ま)」という言葉がもつウルランゲージ(言葉以前のしるし)が流れている。暇(ひま)、熊(くま)といった言葉にも間がついています。なぜこんなにも日本人は「間」というものに囲まれているのか。
京都の圓通寺の庭から比叡山が見え、その先には何がつながっているのか?という話に触れたあと、武邑氏はこんな見方を示した。
「間(ま、あいだ)」は何かと何かのあいだであると同時に、経路である。ひとつの場所から何を見て、その先に何があるのかを問うアプローチが間ではないでしょうか。
◎田中優子氏「揺らぎ、変化し、動きのあるものが間という言葉で浮かび上がってくる」
江戸文化研究者の田中氏は、江戸の社会と重ねて「間」を語る。
日本の「世」にはいろいろな意味があって、男女関係のことも世という。2人以上集まっているものはぜんぶ世なんですね。コミュニティという言葉は生産共同体とか○○共同体など、非常に固定されたものを含んでいるが、世というのは少人数で、揺らいでいて、いつなくなるか分からない。でもクリエイティブに創ってしまえる。この人やこの人とは話があうから連なってなにかやろうといってできていくのが江戸の「連」であり、それもひとつの世なんです。世が集まってある程度の規模になると「世間」になる。
さらに、抽象的な社会という言葉では捉えられないイメージが「世間」にはあることを強調した。
「世間」というのは世と世の「間(あいだ)」です。間がつながったり分かれたりしながら、全体がある。この感覚だと思います。画一化された社会ではなく、多様な価値観や考え方や感性が息づくのがわたしが持っている江戸のイメージですが、そこには隙間があって、かかわりが揺ぎ、変化する。そういう動きのある全体像というものが「間」という言葉で浮かび上がってくるのではないでしょうか。
◎大澤真幸氏「他者と私のあいだが現れる、それこそが最も行うに値すること」
社会学者で著書も多い大澤氏は「書く」ことを切り口に「間」に向かう。
僕たちがどうしても語りたいことっていうのはね、概して語りにくいことなんですよね。簡単に語れることはだいたい大したことがない。語りえないことが語るに値する、という構造がある。それが人間の苦しいところです。ただ必死に語ろうとしていると、ときどき思わぬことを思いついたりする。僕にとっては特に「書く」という体験でそうしたことがあります。僕はあらかじめ構想を練ってから書く方ですが、予定したことをそのまま文字にするだけなら書きません。書いているうちに、あれ?自分が書きたいことはこれだったのか!ということが遠くから飛んでくることがある。私の外から飛んでくる。この感じです。自分から離れた他者の言葉のような気がするけれど、それが一番自分の内面の真実だと思える瞬間がある。この、他者と私のあいだそのものがここに現れているとき、人間は最も行うに値することをやっている感じがします。
最後に編集工学をひと言で射抜いた。
松岡さんの編集工学とは、あいだをいかに方法化するかという技術です。
こうして話を聞くと[AIDA]を熟知しているように思えるボードメンバーだが、田中氏は[AIDA]に困らされているという。
【○○と○○のAIDA】というテーマで一見比較ができないようなことがたくさん出てくる。毎回、困ったなと思っているが、まったく関係のないように思える二つの概念を目の前にしたときに、私たちがなにも考えることができないのかというと、そうではない。考えることができる。だとすると、私たちには分断ではなく「つなげていく」という能力があるはずだ、ということを[AIDA]で実感してきた。無関係に見えることをつなげて考えることによって、新しいものが立ち現れてくるんです。
ボードメンバーすら困り、悩み、迷いながら、容易に語りえない「未知」のあいだに切り込んでいく。深い霧の中に敢えて踏み込み「ちょっと先が見える」ところまで進むことを繰り返すことに、あらたな編集的社会像の構想をもくろむ[AIDA]の秘密がありそうだ。
ますます熱気を帯びる本楼のスクリーンに、過去季の講義の映像が連打された。2005年にスタートしたHyper-Corporate University[AIDA]、そして2020年に仕立てを刷新して再始動したHyper-Editing Platform[AIDA]の通算18年の記録から、いくつかピックアップしてご紹介する。いつかの講義では「この面子はキセキですよ。みなさんも本気で臨むように」と言って松岡座長も高揚するほどの多彩なゲスト陣に注目いただきたい。
▲2006年 Hyper-Corporate University[AIDA]第2期「日本の内と外のAIDA」/第5講 日本の[こころ]をめぐるAIDA/ゲスト:安田登(能楽師)/千夜千冊1176夜『ワキから見る能世界』安田登にこの日の様子が詳しく綴られている。「ひとつには鎌倉八幡宮に安田登を呼んだというそのことが、あらためて〈負の方法〉を確信させた。もうひとつには、ぼくが組み立てにくかった日本の真相についての説明の仕方を思いつかせたのだ」
▲2007年 Hyper-Corporate University[AIDA]第3期 「イメージとマネージのAIDA」/第2講 [イメージ]と[マネージ]のAIDA/ゲスト:前田日明(元格闘家・リングス代表)/「ぼくは長らく前田日明一辺倒で(いまもこれは変わりないが)、そのぶん他のレスラーやボクサーや武道家を見続けるということをあまりしなかった」。それほどまでに松岡座長がゾッコンの前田氏は、イメージとマネージを巡る講義で知の投げ技や蹴りや関節技を極めた。
▲2008年 Hyper-Corporate University[AIDA]第4期 「金融危機と情報のAIDA」/第4講 密教の方法と日本人の身体文化/ゲスト:松永有慶(高野山真言宗管長)、中村明一(作曲家、尺八演奏家)/「金融危機と情報のAIDA」というテーマで高野山金剛峰寺で合宿をし、密教の方法に分け入る。この縦横無尽なつなげ方こそ[AIDA]だ。
▲2016年 Hyper-Corporate University[AIDA]第12期 「名人と達人と職人のAIDA」/第2講 デザインとアートでクリエイティブを語る/ゲスト:深澤直人(プロダクトデザイナー)・舘鼻則孝(アーティスト)/写真に写るのはレディ・ガガが履いた靴の作り手として世界的に有名になった舘鼻氏。大学の卒業制作で花魁の高下駄をメタファーにした踵のない靴を作った。その靴の情報を世界中の出版社やファッション業界に向けてメールで送ったところ3通だけ返事が届き、そのうちの1通がレディ・ガガのスタイリストだったという。この日、本楼にずらりと並べられた作品の前で、ご自身の制作を日本文化に絡めて語った。
▲2020年 Hyper-Editing Platform[AIDA]Season1 「生命と文明のAIDA」/第3講 大いなる文明と小さきものの文化/ゲスト:隈研吾(建築家)、荒俣宏(博物学学者、小説家)/夜の海に潜り深海生物と出会ったことで感得した荒俣氏の「穴」論から、モダンデザインと闘ってきた隈氏の「編み物」や「膜」の建築、そして松岡座長の「膜」の編集的世界観まで、角川武蔵野ミュージアムの構想を共に練り上げた三氏による圧巻の講義や対談・鼎談が行われた。
▲2020年 Hyper-Editing Platform[AIDA]Season2 「市場とメディアのAIDA」/第3講 わたしと世界のあいだの「事件!」/ゲスト:宇川直宏(現在美術家)/宇川直宏氏率いるライブストリーミングチャンネル「DOMMUNE」に[AIDA]一座が『情報の歴史21』をもって乗り込み、2日間・計15時間以上にわたって番組をジャック。座衆が用意した自分史クロニクルをもとに宇川氏が個人と世界のあいだに潜む「事件!」を掘り起こしていく様子を全世界にライブ配信し、約8000人に視聴されるという[AIDA]史に残る事件となった。
▲2022年 Hyper-Editing Platform[AIDA]Season3 「日本語としるしのAIDA」/第3講 日本語としるしの「あらわれ」/ゲスト:安彦良和(マンガ家)、安藤礼二(文芸評論家)/2日間の[AIDA]合宿が行われた近畿大学のビブリオシアター。編集工学研究所が企画・選書・設計を手掛け、松岡座長が全体監修を行った唯一無二の図書空間だ。安藤氏に誘われて折口信夫の方法に迫り、安彦氏が即興で描くシャアやアムロを入口に日本漫画のしるしを見つめ、「エピファニー=あらわれてくるもの/出現/顕現」について熱く交わされた。
▲2023年 Hyper-Editing Platform[AIDA]Season3 「日本語としるしのAIDA」/第4講 「見ることば」としての日本語/ゲスト:松田行正(グラフィックデザイナー)/約物、句読点、濁音、半濁音など細部から語りはじめ、ひらがなの偉大さ、地図記号、さらには絵画・建築にまで押し広げて日本語の視覚性や歴史をレクチャーした松田氏。優れた思想家である柳田國男や折口信夫と並び称し、松田氏のレクチャーは「思想をこえる」と松岡座長は絶賛した。
あまりに異能で異色で異例なゲスト陣による講義はどれもが圧倒的だ。「伝説」と呼ぶにふさわしい数々の講義を、[AIDA]の座集はどれほど身震いしながら目撃してきたのだろうか。
最後に、10月スタートの[AIDA]Season4があつかう最前線と最深部の一片が松岡座長から手渡された。
「意識と情報のAIDA」これは難しいテーマです。ゲストのひとり、森村泰昌は、樂吉左衛門に匹敵する唯一の日本のアーティストですが、彼がなにかに「なる」、たとえばゴッホに「なる」ということはなんなのか。「準える」「擬く」「肖る」というのは事実とは違う。でもそれが想像力、アソシエーション、イマジネーションです。子どもはいつも仮面ライダーに「なる」、ゴレンジャーに「なる」ということをする。その「なる」というなかに何かが潜んでいるんです。どうも脳と情報、コンピュータと言ってもいいですが、それらの間に「なる装置」と「なれないもの」が潜んでいる。これに関心がある人は、ぜひ、覗いてください。
Season4のリアル参加枠は満席となったが、オンライン参加者は募集中だ(8/19現在、残席僅か)。参加希望の方はこちらのお問合せフォームでご連絡ください。
浅野孝雄(脳外科医)
落合陽一(メディアアーティスト)
金井良太(神経科学者)
佐藤良明(米文学者・翻訳者)
森口佑介(発達心理学者)
森村泰昌(現代芸術家)
松岡正剛(編集工学者)
大澤真幸(社会学者)
佐藤優(作家・元外交官)
武邑光裕(メディア美学者)
田中優子(江戸文化研究者)
村井純(情報工学者)
吉川浩満(編集者)
■その他詳細は、[AIDA]公式ページへ
▲松岡座長の指の先には、カール・フリードリヒ・ガウスの言葉。「あそこにラテン語があります。僕は少数者にしか話さないと決めている。大衆とか公とかジェネラルが嫌いなんです。なにかこう、這い上がってくるとか、勘弁してほしいとか、隙間から顔を覗かせたいとか、そういう人に向かってその距離で言葉を伝えることにしか関心がないんですね。[AIDA]はあいかわらず少数者に向けて話していきたい」
〈Pauca sed Matura〉――少数なれど熟したり
写真:後藤由加里、福井千裕
福井千裕
編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。
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