コロナの春のサクラ OTASIS-14

2020/05/07(木)11:14
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 山奥に住まう友人から、「高遠桜(たかとおざくら)が見ごろになりました」という便りが届いた。私には聞きなれない桜だが、長野あたりではよく知られるコヒガンザクラのことだそう。伊那の高遠公園の樹林がたいそう有名なのでこの名で呼ばれるようになったらしい。画像でみるかぎり、花は小ぶりで紅がやや濃く、可憐な感じのする桜であるようだ。ああ、ひさびさに友を訪ねていっしょに花酔いしたいものよ。

 

 思えばこの春は、桜もおちおちと愛でることができなかった。なにしろ、桜が満開に近づくにつれ花見の自粛を求める声がどんどん険しくなっていったし、花の名所ものきなみ無粋な黄色と黒の虎縞のテープで封鎖されていたし、国会でさんざん槍玉にあげられた「桜を見る会」のくすぶりもまだまだ残っているし、このご時世にサクラにうつつを抜かしていると、後ろ指をさされてしまいそうだった。

 

 もっとも、近ごろの私は都内で見る桜――といえばもっぱらソメイヨシノのことになるのだが、あまり関心を払っていなかった。ソメイヨシノには、どんなに見事な満開でもあまり感興が湧かない。だからコロナ騒動がなくたって、今年もやっぱり桜の季節をなんとなく素通りしてしまったことだろう。かつては桜の開花予報とともに胸ときめかせ、朝な夕なにやれ二分咲きだ、やれ五分咲きだと浮かれ、落花狼藉に陶然として呆けるような春を過ごしていたのに。

 

 それは松岡事務所が目黒区青葉台にあったころのこと、そこから徒歩10分ほどの目黒川沿いのマンションに仮寓して、桜の季節ともなれば毎日のように花見三昧していたものだった。当時まだ目黒川のソメイヨシノは枝ぶりが若く、今のように津々浦々から花見客が押し寄せるほどの絢爛な見栄えはなかったので、そのぶん誰に遠慮することなく花狂いできたのだ。ところが樹勢が増すにつれて花見の名所として人気が高まり、混雑が年々ひどくなっていった。事務所が赤坂に移転してからもしばらくは目黒川沿いに住み続けたが、桜のシーズンには喧騒を避けるためにわざわざ遠方に出かけたくなるほどになってしまった。

 

 ちょうどそんなおりもおり、白洲正子さんの「私は長く山桜に親しんできたので、満開のソメイヨシノを見ても埃っぽく思えて好きではない」という一文に出会って、頭をはたかれたような思いをした。私淑するつもりで白洲さんの本を読み漁っていた私は、絢爛なソメイヨシノを「埃っぽい」と一刀両断にする白洲さんの達眼にますます恐れ入ってしまったのだ。以来、なんともゲンキンなことに、私の目にもソメイヨシノはなんとなく埃っぽく見えてしまうようになった(いまだにそうだ)。おまけに、日本中のソメイヨシノは人工的に産み出されたクローン桜であるという話を知って、ますます堪能しにくくなってしまった。ソメイヨシノの咲き誇る花塊をみると、困ったことに、どうしてもクローン羊ドリーを連想してしまう――。

 

 白洲さんのみならず、日本人が愛でてきた桜といえば、まずは山桜、あるいは大島桜、大山桜、彼岸桜などなどの野生種の桜だった。牧野和春さんの『桜の精神史』という本によると、桜の満開の見事さには太古の日本人も強く印象付けられたようで、桜の木には山の神が宿るとか、霊力が籠っていると考えられていたのだという。「種まき桜」や「田打ち桜」など、それぞれの地域で農事と結びついていった桜もあった。万葉時代になっても桜に対するアニミズムは生きつづけ、中国から鑑賞用として都にもちこまれて貴族たちに珍重された梅などとは、ずいぶん違った慕われ方をしていたようだ。

 

 平安時代になると、“日本流”への自意識の高まりとともに、在来の花である桜に対する好みや感受性がどんどん鋭敏になり磨かれていった。また交配によって八重桜や枝垂れ桜などの新しい園芸種が産み出され、里桜として貴族の館を彩るようになる。「花」と言えば「桜」のことを指すというシネクドキが定着したのもこの時代である。栄華を極めた藤原王朝時代が翳り、武者たちが暴れる乱世が来ると、世をはかなむ気分が蔓延して、満開よりももっぱら散りゆく桜に思いを寄せるようになり、それが無常観や死生観を象徴するものともなっていく。

 

 そこへ登場したのが、西行である。世俗的な栄達の道をドロップアウトして出家遁世し、花狂いに徹していった西行の生き方と桜の歌は、同時代の人びとの憧れとなり、共感を呼んだ。『桜の精神史』は、「花の下にて春死なん」の歌の通りに如月の望月のもとで死んでいったという有名な西行伝説を取り上げながら、西行にとって、また多くの日本人にとって、満開の桜は仏国土の象徴でもあったのではないかと示唆していて興味深い。そのうえで、西行に連なる「花狂いの達人」として、兼好、世阿弥、太閤秀吉、芭蕉、一茶、良寛、宣長といった綺羅星を並べ立て、それぞれの花狂いや花志向を風雅に解き明かしている。

 

 とはいえこういった観桜の美意識や文化は、長いあいだ貴族や武家などの殿上人や権力者、あるいは一部の数寄者のあいだでのみ共有されていたものだった。それが江戸時代に入って町民の経済力と文化力が増していくと、各地に新たに桜の名所がつくられ、花見人口が爆発的に増えていく。とくに江戸では歴代将軍が積極的に桜の植樹に励んだこともあり、上野、隅田川、飛鳥山、御殿山、小金井などが花見の名所としておおいに賑わった。桜の園芸品種もどんどん増え、元禄期には約数十種、江戸末期には250種もの桜が記録されているという。

 

 現代の日本人の花見好きは、西行のような「花狂いの達人」たちの影響も多少はあるかもしれないが、ほとんどはこの江戸の花見ブームがいまに及んできたものだろう。それにしても、江戸では驚くほど多種多様の桜が産み出され、各地の名所を彩っていたようなのだ。ひょっとしたら、そのころの花見には、新旧の桜が競い合う博覧会や品評会といった趣きがあったのかもしれない。役者も美女も朝顔も金魚も豆腐も蕎麦も評定しあわずにはいられない、屈指の編集ランキング時代の江戸にあっては、桜だって例外ではなかっただろう。

 

 ソメイヨシノは、そのような江戸の繚乱の桜ブームのなかで生まれたひとつの園芸種にすぎなかった。それが、いまのようにどこの河川敷にも街路にも公園にも植樹され、日本全国がクローンソメイヨシノ尽しになってしまったのは、昭和になってから、とりわけ戦後の高度成長期のことらしい。なぜそんなことになってしまったのか、いつかちゃんと調べてみたいとも思うが、これは日本人の経てきた桜の精神史上、そうとう異様なことなのだ。白洲正子さんの衣鉢をほんのちょっぴりでも継ぎたい私としては、これからもソメイヨシノには眼もくれず、各地で地元の人々から愛でられているような多彩な桜に思いをいたしつづけたい。

 

 さて、「高遠桜」の便りをきっかけに、コロナの春の一日を『桜の精神史』を繙いてあれやこれや物思いに耽るうちに、もうひとつ興味深い記述をみつけた。いにしえの桜のアニミズムについて、折口信夫がこんなことを説いていたという。桜の季節といえば、ちょうど疫病が流行しやすいことから、日本人は一斉に咲いて一斉に散る桜に対して、疫病や邪気を乗せて遠くへ運んでほしいという祈りの気持ちを寄せてきた。ところがそれがいつしか逆転してしまい、桜が散ることで厄災が振りまかれるのだと考えられるようになり、花の精霊を鎮めるための祭りがおこなわれるようになった。それが京都今宮神社の「やすらい祭り」である。桜に対して「散ってくれるな」と祈る心理には、稲の実りを願う日本人ならではの呪術観念も重ねられていた――。

 

 この春のコロナ禍は、日本人がもう一度、桜への向き合い方、花見のやり方を考え直すチャンスだったのかもしれない。無粋な虎縞のテープで桜を封じたりせずに、「ウイルスよ、どうか花の精にあおられ悪さをしないでおくれ」と、せめて願いを込めて花鎮めなどしてみるべきだったのだ。

 

おまけ:私が頭をはたかれた白洲さんのソメイヨシノについての一言が、さてどの本に書いてあったものなのか、調べ直してみたのだがさっぱり見つからなかった。いずれ探し出しておきたい。

 

おまけ:図版は広重の「東都名所 御殿山遊興」。御殿山は将軍の休息所だったが、吉宗が庶民に開放したことで、絶景の桜の名所として広く知られるようになった。桜は吉野から移植された。

  • 太田香保

    編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。

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