53[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリス大賞 高橋澄江さん

2025/02/27(木)12:00
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[破]には、3000字の物語を書く物語編集術がある。[守]の稽古を終えて卒門した学衆の多くは、この編集術に惹かれて[破]へ進む。

 

本日紹介するのは、「五感を蹂躙する場面の断続でエディトリアリティを立ち上げた」と全体講評で絶賛された高橋澄江さんのアリス大賞作品だ。「アリス」とは、不思議の国を彷徨うあのアリスである。アリス賞は、物語世界に読者を引き込むモードや語り口、誰もみたことのない世界を描く描写力に優れた作品に与えられる。

 

本作品は映画『男はつらいよ』の翻案から生まれた「ノワール寅さん」ともいうべき異色作だ。陽気な性格、軽妙な話術、女性にとことん優しい国民的英雄がハードボイルドに生まれ変わった。

 

あなたを背徳の世界に誘うピカレスクロマンをご堪能あれ!

 

 


 53[破]≪アリスとテレス賞≫「物語編集術」


 

【アリス賞:大賞】

 

■高橋澄江(カミ・カゲ・オドリ教室)

『罪と抱擁』               

原作:男はつらいよ

1.過去の亡霊

 海沿いの小さなパチンコ屋。男は黒の柄シャツ、白地の縦じまのスラックスで足を大きく組みながらビール片手に玉をはじいている。堅気には見えない風貌だ。すぐに玉が尽きて実家の民宿へに戻る。久しぶりに帰郷した実家だが、手伝うことはなく居間で酒を飲みながら競艇新聞を眺める。開け放たれた窓から、あぶら蝉の鳴き声が暑さを誘う。奥から妻の佳子が掃除機を持って入ってきた。汗を拭きながら掃除をする佳子を見て、辰雄は金を隠されたことを思い出し、苦々しくなる。「おい!金はどこにやったんだ!出せ!」辰雄は威嚇するように叫ぶ。「大きい声出すとお客さんに聞こえます。それにお金が欲しかったら、仕事でもしたらどうですか」佳子は冷ややかに返した。

 父親の使い込んだ聖書が、目に入り、さらに辰雄の怒りが増す。過去の記憶が蘇る。軍人に怒鳴られ、殴られ、跪いている。抵抗もせずにクルスを握りしめ、軍人の言葉を復唱する父。周りの信徒や家族も助けようとしない。その光景を見て以来、辰雄の心から父親と神が消えた。そんな記憶を押し殺すように酒を呷った。

 ふと座卓の新聞の求人欄が目に留まる。自動車部品工場の募集広告。給料も悪くない。電話を手に取り、会う約束を取り付けた。受話器を置くと同時に、風が吹き、風鈴がちりんと鳴った。

 

2.闇路の誘惑

 鋭い刃が肉を裂く音と、石が頭蓋骨を砕く鈍い音が、静寂な雑木林に響き渡った。辰雄は多胡と名乗る男の息の根を止まるのを見つめていた。柘榴の粒のような返り血と鉄に似たにおいを嗅ぎながら鞄から15万円を奪い取り、その場を立ち去った。

 遡ること一か月前、辰雄は久しぶりの仕事で全身に纏わりつく疲労感とアルコールの熱さで、さらに重苦しさを感じていた。愛想よく勤勉な態度で工員を演じるのも限界だった。飲み屋で酒を飲みながら「世の中、金だよ。金。金」と呟き、金策を考えていた。隣で人懐っこい笑顔の男が「いやぁ、おかげさんで忙しくね」と店主と話し込んでいる。多胡と名乗るその男は社長らしい。辰雄は目を付けた。親しくなるのは早かった。辰雄は密造酒を無料で飲めるという口実で多胡を誘い出し、計画を実行した。

 数日後、辰雄はスーツに身を固め、黒縁眼鏡に中折れ帽子を被り、一見してエリート社員を装っていた。電車に揺られながら辰雄の頭の中は潜伏先を考えていた。

 

3.仮の安らぎ

 西日が差し込む浜松駅。喧騒の中、辰雄はグレーのコートを脱ぎ、タクシーに乗り込んだ。運転手に目立たない、女の子を呼べる宿を尋ね、案内された先は小さな旅館だった。「ごめんください」奥では女たちの賑やかな声がする。再度呼びかけ、「はーい」と女将の久子が現れた。「うるさくてごめんなさいね。部屋は二階だで案内するだに」二階の部屋に案内された辰雄は、女の子の入用を断り、仕事があると襖を閉めた。

 朝方、一階から争う声が聞こえ、降りていくと母親のたずが久子に金を無心していた。辰雄は財布から一万円を取り出し、久子の制止を振り切って、たずに渡した。辰雄は「親孝行だと思って」とその場を収めた。スーツにダレスバックを持ち、辰雄は商談だと言ってパチンコ屋へ。帰り際、自分の指名手配ポスターを見つけ、それを静かに破り取った。ガラス戸越しに久子が娼婦たちに食事を与え、マフラーをプレゼントする暖かな光景を目にする。不意に思わず笑みが浮かぶも、辰雄は久子との間にこのガラス戸のような透明な断絶を感じた。

 数日後、久子に誘われ居間で酒を酌み交わした。久子から仕事を尋ねられ、「従業員が100人くらいの小さな会社をやっとります。女将さんは別嬪さんで女の子達にも優しくて、人望があるんですね」と応じた。久子は嬉しそうに酒をすすめ、長期滞在を告げる辰雄に顔を輝かせた。

 

4.嘘の果て

 久子は、いつもの着物姿ではなく、お気に入りのワンピース姿でデートを楽しんでいた。映画が終わりに近づき、「愛する人に殺されるっちゅうのもええねぇ」と呟く。辰雄は微笑むだけで答えなかった。スクリーンに目を戻すと、突如現れた指名手配写真。それは三浦辰雄だった。久子は驚愕しながらも映画館を出ると人目も気にせずに涙を流しながら辰雄を叩く。「嘘つき」絞り出すような声を上げた。

 家に戻った久子は、箪笥の奥から缶を取り出した。そこには娼婦の名前が書いた紙と紙幣が輪ゴムで束ねられていた。ここに辰雄の名前を書いた紙を加えた。一方、辰雄は旅支度をしている。久子の気配を気づき、「迷惑かけてすまない。近いうちに出て行く」顔には焦りが見えた。そんな姿に近寄って久子は「辰雄さん、しんどない?」と背中越しに問いかけた。ぽつりと「匿ってあげるだに。もし刑務所入ってもここに戻ってくりゃいいだに」その言葉に辰雄の手が止まった。その刹那、気づけば久子の首に手をかけていた。喉の奥がカラカラに乾き、舌が砂を噛むように重たくなった。耳元で心臓の鼓動が轟き、頭の中が真っ白になる。久子の体から力が抜けていくのを感じながらも辰雄の手は震え続けた。久子は青白い顔、半開きの唇、なのに恍惚とした表情をしており、頬には涙の粒があった。辰雄はその胸に顔を埋めたが、すぐに離れて逃げた。 

 

5.破門の行方

 取り調べ室での辰雄は飄々としていた。「珍しく酔っ払って逃げれんところを捕まるとは。気ぃ抜いたらいかんってことだら。なあ刑事さん」質問には淡々と答える。貸座敷の事件について触れられると黙り込む。「俺も分からんのだわ。気づいたら首に手ぇかけとった」しまいには「俺は死刑だでよ。あんたたちで書いといて」と冷たく言いつ。ある日、面会室に父の正三が現れた。対面に座ると、胸の前で十字を切り、辰雄が破門になったことを伝えた。「儂もお前の責任を取って破門にしてもらった。破門になっても神様を恐れんといかんぞ」辰雄はその言葉に激怒し、立ち上がった。濁った太い声で「殺すならあんたを殺しゃよかったと思っとる」と吐き捨てる。正三も静かに立ち上がり、「お前は親殺しのできる男じゃない。恨みもない人しか殺せん小心者だ」その言葉に辰雄の目には涙が浮かび、強い憎悪だけが残った。その後、佳子が面会に来る。薄化粧に白のブラウスに、紺のスカート、髪は後ろで纏めていた。辰雄は「来んでいいわ」と冷たく言う。佳子は疲れ切った顔で「何か欲しいものはある?」とだけ問いかけた。

 5年後、喪服を着た佳子は堤防を歩いている。辰雄の望みを叶えるために。布に包まれた骨壺を抱え、一人語りながら進む。「あんたに殺された久子さん。そこにいた女の子たちね、久子さんが貯めていたお金で学校行った子や借金返してまともな生活してる子がいるんだって。よお盗まんかったね」堤防の先で佳子は骨壺を取り出し、海へ投げ入れる。その動作は次第に荒々しくなり、最後には壺ごと骨を撒き散らした。息を切らしながら呟く。「あんたは救われた?」穏やかな海風が頬を撫でる中、佳子の姿だけが静かな堤防に佇んでいた。

 

◆講評◆

 『ノワール』というジャンルがあります。フランス語の黒に由来し、人間の暗部、暴力的なものを主題とした、多くは犯罪者を主人公とした小説です。第二次大戦後、アメリカのハードボイルド小説がフランスに渡って発展しました。

 最近のAT賞物語の作品は時代の流れを反映してか、「優しい物語」が多い傾向にあります。誰も傷つかない。敵はいない、あったとしても自分自身というような。それが悪いとは言わないし、優しさをとことん突き詰めて優れた物語となった作品もあります。しかし、全般的に物足りないのも事実です。

 高橋澄江さんは正面切って殺人を描きました。それが悪趣味なものとならず意味のあるものとなったのは、例えば冒頭の『海沿いの小さなパチンコ屋』から始まる簡潔にして広がりのある描写の巧みさ、そこから生まれるノワールとしての首尾一貫したムードの確かさですし、あるいは例えば、2回の殺人がなされたのは2章の“困難との遭遇”と4章の“彼方での闘争”での大事な場面転換だったというストーリーの組み立てのうまさがあったからです。

 『男はつらいよ』に喜劇と悲劇の二面性があるように、寅さんにも陽気なだけではない哀しみに満ちた陰の部分があります。その負の部分を拾い上げ、アンチヒーローとしての寅さん像を確立した高橋さんの作品は今期のアリス賞の大賞に相応しいものでした。

講評=評匠:岡村豊彦

 

 

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  • 戸田由香

    編集的先達:バルザック。ビジネス編集ワークからイシスに入門するも、物語講座ではSMを題材に描き、官能派で自称・ヘンタイストの本領を発揮。中学時はバンカラに憧れ、下駄で通学したという精神のアンドロギュノス。