あの夏の去来――中山香里のISIS wave #62

2025/11/04(火)08:30 img
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イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。

 

イシス編集学校の応用コース[破]では、3000字の物語を綴ります。格別の体験であり、特別の経験です。
イシス修了生による好評エッセイ「ISIS wave」。62回目の今回は、「物語編集術」の稽古の過程で新しい「わたし」を発見した、中山香里さんのエッセイをお届けします。

 

■■物語の稽古、祖母の書

 

 長かった今年の夏がようやく終わった。海水浴や花火大会などのイベントに縁がない私は、初秋のやわらかい日差しとひんやりとした風を思い浮かべながら、暑いだけの日々をじっと耐えていた。ただ、いつもの夏と少し違ったのは、はじめて3000字の物語を書いた、ということだった。
 [破]の物語編集の稽古でアリス大賞をいただいた時は、全くと言っていいほど実感が湧かなかった。しかし、大人になると評価をいただく機会すら貴重なもの。講評をありがたい気持ちで読み返しながら「リアルな質感、空気感を持った」という評にふと我に返り、「自分の文章が纏う質感や空気感とは、どんなものなのだろう?」という疑問が浮かんだ。それを掴むためのヒントを得たいと、とにかくいろいろな小説を読んでみようと試みる。ぼんやりとした感想しか出てこないときは、自分に対して心底がっかりしたが、仕事帰りの電車の中でとある短編集を読んでいるとき、ぽろぽろと涙がこぼれたこともあった。そうして心が動いた瞬間をていねいに集め、並べ直したり視点を変えたりすることで、少しずつ「自分らしさ」がわかってくるのかもしれない。「ん? それって結局型を使うってことか」と、予期せず原点に戻っていることに気づく。

▲とある短編集、吉本ばななの『ミトンとふびん』(幻冬舎文庫)

 

 そういえば、[守]の稽古の終わりに師範代から薦めていただいた千夜千冊は、篠田桃紅の『桃紅 私というひとり』だった。実際に書籍を購入して読み、やさしさの中に凛とした雰囲気がある彼女の文章に惹かれ、いつしか憧れの対象になっていた。自分と通じるところがあって選んでいただいたのかな、と想像してはうれしい気持ちになる。著書を読み返しながら、昨年亡くなった祖母も書を楽しんでいたことを思い出す。
 暑さが和らいできた頃、実家の倉庫で祖母の作品を探してみることにした。埃を払いながら正方形の箱を開けると、白い色紙に白い糊のような画材で描かれた作品が出てきた。文字の上から金色の粉が振りかけられ、「楽康」という文字が浮かび上がっている。

 はじめて見る言葉だったので調べてみると、中国の詩集『楚辞』に収録されているフレーズで「たのしみやすらぐ」の意味をもつらしい。ストイックなところがあった祖母にしてはおおらかな言葉だ。どんな意図でこの二文字を描いたのかはもう分からないが、自分なりにこの作品を解釈してみることにした。肩の力を抜いて、心の機微を味わう。まっさらな紙の上で、きらきらと光る金色の粒のように。

 やけに重厚だった額縁もシンプルなものに変えて、部屋に飾ってみよう。硬くなっていた頭の片隅に、あたらしい響きがじんわりと沁みていく。仮留めのままでも進んでいけば、稽古で出会ったたくさんの型と言葉が助けてくれるかな、と思った。

▲蓼科湖畔にて。中山さんの中に去来するものとは?

物語を書くことは、これまで出会った《たくさんの私》と、学んできた多くの「型」との出会い直しです。アリス大賞は特に、自分の言葉と概念に変更をかけることをおそれなかった作品に贈られます。物語の日々が終わっても、編集はつづく。「同じ言葉ですましていないか」「好きでない言葉を不用意につかっていないか」、師範代から贈られた千夜千冊が問いかける声もきっと、中山さんのこれからの日々に寄り添い続けることでしょう。

文・写真/中山香里(54[守]つくつく少納言教室、54[破]うごめきDD教室)
編集/チーム渦(角山祥道、羽根田月香)

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

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