縁側で西瓜を食べた日が懐かしい。縦にカットすると見えないが、横に切ると見える世界がある。維管束の渦巻き模様が現れて、まるで自然の芸術。種はその周りに点在する。王道を行ってはいけない。裏が面白い。さて、西瓜の皮はどうする?僅か果肉を残して浅漬けにすると、香りと歯ごたえが何ともいえず絶品だ。
若林牧子
2025-08-04 23:17:29
イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
好評の連載エッセイ「ISIS wave」、記念すべき50回目に登場してくれるのは、53[破]イメージ・チューナー教室の師範代を終えたばかりの土田実季さん。数奇と散歩と編集をつなげた格別のエッセイをお届けします。
■■「わたしフィルター」の地図を手に
裏路地を目的もなく歩くことが好きだ。昭和の民家が並んでいるような住宅街は、とくにいい。間口の広いコンクリートの立方体が毅然と立ち並ぶ大通りから、ひょいと一つ裏に入るだけで、形も素材も凸凹で、夕飯の匂いが漏れ出すような無防備な世界が広がっている。私は、そんな一つ裏の景色が好きだった。でも、なんで好きなのかは考えたことがなかった。
街歩きが好きな友人と散歩をすると、見ている景色の違いに驚く。「雨樋の端っこ、菊みたいに細工してあ ったの、見た?」「さっきの看板、テープ文字だったね」「あの家、ツバメ専用の入り口がある!」。へぇ、そんなとこ見てたんだ、とやんわり感じていたこの差異は、編集学校に入ると、《フィルター》の違いなのだと気づく。タイルとすりガラスに目がない私は、どうやら「家主のこだわり」をキャッチするフィルターが備わっているようだ。カチャ、と誰かのフィルターと替えっこしたら、違う景色が目の前に広がりそうで、わくわくする。
▲「わたしフィルター」が掛かった地図は誰かとシェアすると何倍も楽しい。
編集稽古は心地よくて、どんどん奥に誘われた。鼻歌まじりに進んでいくと、《見立て》《メタファー》という方法に出会う。これが、楽しい。街の景色も何かに喩えられるかな? と、推しの水路を思い出す。金沢のまちに広がる用水のネットワークの中でも、私の推しは、立体交差している箇所だ。「用水ジャンクション」とネーミングしてみる。すると、高速道路を走る感覚が想起され、用水が通行可能な移動網のように見えてくる。道を歩くのではなく、水流に乗って街の景色を見たら、どんなふうに見えるだろうか。似たもの同士で関係線を引いてみると、いつもは見えない景色が広がっていく。編集術は、身近な景色をどんどんいきいきとさせてくれるものだった。
▲用水ジャンクション。なぜ、高さの違う用水が? できた年代が違うのだろうか
けれど、この頃ほとんど散歩の写真がない。ちょうど[花伝所]に入伝した頃からだ。のんびり散歩に行く時間がなかったのだなぁと、濃密な日々を思い出す。でも、不思議だ。以前は仕事が忙しいときほど散歩に行きたくなったのに、この一年半はそうではなかった。なんでだろう。Whyを考えると、はたと気づく。私にとって「師範代」を纏っての稽古は、うずうずして仕方ない、裏路地散歩と相似なものだったのだ。
学衆の回答は、ひとつとして同じものがない。それは、最適化された国道沿いの景色ではなく、「らしさ」と戸惑いが凸凹に滲む裏路地の景色のようだった。回答がうまれるまでの思考のプロフィールを想像しながら指南を届ける。対話を重ねていくと、言葉の端々にその人の好きなものやこれまで歩んできた道、見逃せない世界へのモヤモヤが宿っていると分かるようになる。回答は、その人その人の人生の物語の断片なのだ。
そして、また、ハッと気づく。裏路地散歩を私が好きなのは、「小花柄のすりガラス」や「用水の結節点」といった裏路地にちりばめられた情報の断片から、奥に潜む暮らしぶりや歴史の物語を想像したり、読んだりすることが好きだったのだと。
▲水路に注目して地図を眺めると、住宅街の中に気になる用水の結節点を発見。足を運んでみると、加賀藩時代の「木揚場」の景色の断片の樹が佇んでいた。
「裏路地散歩=裏路地を歩く」と思い込んでいたけれど、学びの場にも裏路地な景色があった。ならば、「地」を本に変えたら裏路地を歩くような読書ができるかもしれないし、裏路地散歩な部屋の掃除だってできるかもしれない。「裏路地」の意味も多様に広がってゆく。
雪解水が用水を潤す、散歩日和の春がやってきた。今年は、どこを舞台に裏の散歩をしようか。奥に潜む物語を読みに、まだ散歩をしたことがない「地」に繰り出したい。
文・写真/土田実季(50[守]外骨ジャーナル教室、50[破]モーラ三千大千教室)
編集/チーム渦(羽根田月香、角山祥道)
コメント
1~1件/1件
2025-08-04 23:17:29
2025-08-04 23:17:29
縁側で西瓜を食べた日が懐かしい。縦にカットすると見えないが、横に切ると見える世界がある。維管束の渦巻き模様が現れて、まるで自然の芸術。種はその周りに点在する。王道を行ってはいけない。裏が面白い。さて、西瓜の皮はどうする?僅か果肉を残して浅漬けにすると、香りと歯ごたえが何ともいえず絶品だ。
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
【Archive】ISIS wave コレクション #31-60
イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。 イシス編集学校の受講生が、編集的日常を語る、好評エッセイシリーズ「ISIS wave」。チーム渦によって、2023年3月に立ち上げら […]
「なんでもないわたし」でいい――柳川真樹のISIS wave #65
「なんでもないわたし」 柳川真樹さんのイシス編集学校での稽古は、このマイナス状態から始まります。しかし、稽古を続けるうちにあることに気づくのでした。その気づきとは? イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなっ […]
【書評】『カウンセリングとは何か』×3×REVIEWS:聞こえない声を聞く
松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、それぞれで読み解く「3×REVIEWS」。 風が冷たくて […]
あちこちの小さな花を見つけに――グッビニ由香理のISIS wave#64
56[守]蓮華ソーソー教室師範代のグッビニ由香理さんは、普段は英国で暮らすヨガ講師です。編集学校の奥に見え隠れする小さな花に誘われ歩み続けるうちに、あることに気づきました。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって […]
学ぶことと暮らすこと――松澤雛子のISIS wave #63
人はなぜ「学ぶ」のでしょうか。 古くから問われ続けてきた命題ですが、その答えのひとつを、軽井沢から松澤雛子さんが届けてくれました。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を […]
コメント
1~3件/3件
2025-11-25
道ばた咲く小さな花に歩み寄り、顔を近づけてじっくり観察すると、そこにはたいてい、もっと小さな命がきらめいている。この真っ赤な小粒ちゃんたちは、カベアナタカラダニ。花粉を食べて暮らす平和なヴィランです。
2025-11-18
自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
2025-11-13
夜行列車に乗り込んだ一人のハードボイルド風の男。この男は、今しがた買い込んだ400円の幕の内弁当をどのような順序で食べるべきかで悩んでいる。失敗は許されない!これは持てる知力の全てをかけた総力戦なのだ!!
泉昌之のデビュー短篇「夜行」(初出1981年「ガロ」)は、ふだん私たちが経験している些末なこだわりを拡大して見せて笑いを取った。のちにこれが「グルメマンガ」の一変種である「食通マンガ」という巨大ジャンルを形成することになるとは誰も知らない。
(※大ヒットした「孤独のグルメ」の原作者は「泉昌之」コンビの一人、久住昌之)