本とはさみと撮影対話【松岡正剛 revival 04】

2025/08/19(火)08:00 img img
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2024年8月12日、イシス編集学校校長の松岡正剛が逝去した。エディスト編集部では、直後に約1カ月にわたる追悼コラム連載を実施。編集学校内外から多数寄せられた松岡校長の面影は、1年経ってもなお鮮明だ。まるでその存在が読むたびに【REVIVAL/再生】するかのようだ。そこで今回、寄せられたコラムの数々をふたたびご紹介したい。お一人お一人からいただいたコラムには、編集部が千夜千冊から選んだフレーズを付け句している。読者の皆様にさらなる編集の契機としていただけるよう、36のコラム+蔵出し写真&映像をふくめ、8日にわたって公開する。

 

 

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04:本とはさみと撮影対話

 

今回の6本の追悼文では、美容師やカメラマン、書籍編集者などの属性をもつ面々が松岡正剛と交わした言葉が紹介されている。松岡正剛からのディレクションは今もなお、彼らの編集道のこれからを照らしつづけている。

 

寄稿者:

深谷もと佳(イシス編集学校 師範)

後藤由加里(イシス編集学校 師範)

林朝恵(イシス編集学校 師範)

松井路代(イシス編集学校 師範)

米山拓矢(イシス編集学校 師範)

福澤美穂子(イシス編集学校 師範)

 

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【追悼】松岡校長 「型」をめぐる触知的な対話

師範 深谷もと佳

 一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。
それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞令程度にしか受けとめていなかった。そもそも校長がお愛想を言うような人ではないことを、私は充分に理解していなかったのだと思う。あの松岡正剛は、なんとも無邪気であどけない顔を持ってもいたのだ。 …

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 入門してしばらくの「守」は、教えられた型を徹底して学ばなければならない。まず守る。芸ではこれを身に付けるという。ここでは教えが必要である。「破」はその身に付いた型をつかって、身をはたらかせる。創造性や工夫を発揮するのはこの「破」の段階である。作用をおぼえる。


【追悼】松岡正剛の断片を追いかけて 10shot

師範 後藤由加里

  松岡校長の何かを撮れたかと言ったらわからない。到底撮り切れたとは全く言えない。ひそかにあたためていた撮影プランも果たせなかった。それでも、これまで撮影することを許してくださったことへの感謝は尽きない。いつの日か「ぼくのアピアランスに向かう人はあまりいないんだよ」というようなことを言われていたが、アピアランスこそ松岡正剛が松岡正剛である最たるものであったように思う。…

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 土門はこういうふうにも豪語していた。有名な言葉だ。「いい写真というものは、写したのではなく、写ったのである。計算を踏みはずした時にだけ、そういういい写真が出来る。ぼくはそれを鬼が手伝った写真と言っている」。
そうなのだ、鬼が手伝った写真なのである。鬼気迫る写真というわけではない。鬼気迫っていたのは土門拳であって、そこに去来する鬼気が何かを助けて、写真そのものが鬼の撹乱の外まで出てきたということだ。鬼とは「抱いて普遍、離して普遍」の、その普遍がやってくるギリギリの時空の隙間のことなのだ。


【追悼】松岡正剛のひっくり返し

師範 林朝恵

 本楼にある黒いソファを移動して、その脇に求龍堂の『千夜千冊』と角川の『千夜千冊エディション』を並べて松岡さんを迎えた。2度目の肺癌で入院する直前の2021年4月初旬、急遽、オンランイベント「千夜千冊の秘密」で語り切れなかった秘密について、インタビューを依頼したのだ。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 ここには、何があるかといえば、「比類のない芸術精度は、よく練られた逸脱をもってしか表現できない」ということが提示されている。この「精度と逸脱の関係」のメトリック(韻律法)を感じることこそは、今日のアートシーンがこっそり引き継ぐべきことだ。とくに現代美術家と技術思想屋たちは(この二つが結託しているのが、今日の最大の不幸であるが)、このことを肝に銘ずるとよい。


【追悼・松岡正剛】「たくさんの生きものと遊んでください。」

師範 松井路代

 松岡正剛校長に本を贈ったことがある。言い出したのは当時小学校4年生だった長男である。...

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 この著者とぼくとは、少年期にまったく同じどぎまぎする体験をしたようだ。セミの地虫(幼虫)をたくさんとってきて、蚊帳の中で一晩中セミの羽化をずうっと眺めていたという体験だ。
この体験は忘れられない。茶色い地虫の背中が割れ、小さく透明で柔らかながみるみる伸びたかとおもうまもなく、そのが未明の曙光に照らされてキラキラと七色に輝くのである。それがたちまちおこっていく。この世で最も美しいひとときに思えた。鳥取生まれの著者もまったく同様に、蚊帳の中のセミの羽化に固唾をのんでいたらしい。「その美しさはたとえようがない」と書いている。


【追悼】松岡さんとの顕冥Q&A

 師範 米山拓矢

 

 今、松岡さんと交わしたいくつかのQ&Aがおのずと思い出されます。中途半端が大嫌いな松岡さんに質問をするのは、勇気のいることでした。「きみたちの質問はまだまだ浅い。ぐーっと深いところに潜ってそこからくぐり出てきたような質問が無い」とたしなめられたこともありました。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

 それはともかくグッドマンは、世界というものはこういうヴァージョンでできてきたのではないか、世界制作とはヴァージョンを発見することではないかと言ったのだ。その通りだろう。まさに編集工学だった。


【校長相話】響け、ドビュッシーの音

師範 福澤美穂子

 

 ちょうど10年前、[離]の太田香保総匠のピアノの話に触発されて、子どもの頃に習っていたピアノレッスンを再開した。そのことを松岡校長はことのほか喜んでくれて、何かの機会で会うたびに「最近どう、やってる?」と話しかけてくれた。ピアノを弾くジェスチャーをしながら、笑顔で「今度聴かせてよ」という。笑ってごまかしていたが、2年前の年末に、突然その日がやってきた。...

 

 

 

◆the REVIVAL of Seigow's voice from 千夜千冊

この本、ピアノを弾く者はみんな、
それから哲学や思想に一家言ある者もみんな、
ともかく読んでみるといい。
音楽と哲学と、嗜好と技能とが
ときに理不尽に逆対応していることが
ちらちら見えてくる。
それは、ピアノを弾いていると
その個人のどこかからつい現れてくるものだ。
名付けようのないものめくが、
本書はそれを「アリュール」と呼んでいる。

 


松岡正剛revival

01 匠の方法・編集の鬼

02 面影からとどく声

03 エディットリアリティーの森

04 本とはさみと撮影対話

 

写真:後藤由加里

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。