ゴートクジISIS館3階の男女別の閑処には、つねに数冊ずつの意外な本がそれぞれ置かれていて、用を足すいとま、スタッフの好奇心と読書欲を刺戟してくれる。その選本にはいったい何の謀りごとがあるのか、はたまた憚りがあるのか。普段は仕切られている男女の「壁」を掃って、本の主であるM(松岡正剛)の“腹の内”を推理する本合わせをしてみた。
■第1局 糞読VS洗読篇
先攻:白組
ミダス・デッケルス『うんこの博物学-糞尿から見る人類の文化と歴史』 作品社 2020年
紅組:のっけからこれですか。ずいぶんベタですね。「人類の歴史とは、うんこの歴史である!」。この帯文だけでお腹いっぱいになりそう。
白組:すっかり男子閑処の常設本になってます。数ヵ月に渡ってずっと鎮座している。
紅組:いまにも匂ってきそう(笑)。作品社は一貫してこの手の「下ネタ本」を出し続けていますね。千夜千冊でつねにアクセス数上位に君臨している『ペニスの文化史』もそのひとつです。
白組:どれもテーマは際どいけど、図版が豊富で編集に気合が入ってますね。この本も排泄だけではなく洗浄の歴史も扱っていて、興味が尽きません。快楽としてのうんこも、情報としてのウンコも、創造としてのウンコもある。著者は、オランダの生物学者でテレビの動物番組なんかでも知られているそうです。
紅組:古今東西のトイレ事情もおもしろい。うわあ、「ロートレックが野グソをしている連作写真」なんてものも入ってますよ。これはすごい。図版を見ていくだけでも、ニヤニヤが止まらなくなる。これがMの狙いかな。
後攻:紅組
TOLTA『新しい手洗いのために』 素粒社 2021年
白組:一瞬、「TOTO」がつくったコロナ時代の手洗い奨励本かと思った。何の本ですか。著者のTOLTAって誰?
紅組:何の本なのかがとても説明しにくいんです。TOLTAは日本人4人のアート・ユニットの名前で、おもに言語をつかったパフォーマンスをしているらしい。
白組:よく見ると帯に楚々と「これは手を洗う行為についての叙事詩です」って書いてある。
紅組:新型コロナウイルス時代に何かモノ申したいという志はあるようです。「手洗い」はマスクと違って、ひとりで完結しているぶん他者を否定しない。だから文化にもなるしアートにも叙事詩にもなる、というふうに考えたようです。
白組:狙いは壮大なんだ。手洗いで「世界読書」もできる?
紅組:世界を読むための言葉ではなく、数人で朗読してシェアすることを狙って組み立てた言葉のようですよ。一人で完結する閑処では、あまりよさがわからないかも。
★憚読判定
白組:閑処の憚読本を競い合うゲームの記念すべき第一局としては、やはり『うんこの博物学』に軍配があがるでしょう。
紅組:はい。まったく異論ありません。いきなりそんな「王手」を持ち出されたのでは勝負になりません。
■第2局 映読VS漫読篇
先攻:紅組
金子遊『映像の境域 アートフィルム/ワールドシネマ』 森話社 2017年
紅組:金子さんは映像作家にしてフォークロア研究者。一貫して「辺境」とか「異郷」をテーマにしています。この本も世界の“周縁”でつくられた映画ばかりを取り上げている。
白組:通好みのワールドシネマとか前衛映画ばかり扱っているようだけど、サントリー学芸賞を受賞した本なんですね。
紅組:映像のポエジーとフォークロアを掛け合わせているところがユニークだとして評価されたようです。よく知らない映画の論評を読みつづけるのは確かにつらいけど、私がかろうじて知っている映画の書きっぷりを見るかぎり、この著者にはとても好ましい映像フェチ体質があると思いました。
白組:たとえばどのへんに?
紅組:たとえばクローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」の論評に。ロシアン・マフィアの世界を描いた映画で、ヴィゴ・モーテンセンの全身の入れ墨とか、風呂場での全裸の流血乱闘シーンのことを、映画の“皮膚自我”に密着しながら書いている。金子さんの映画的官能がどういうところにあるかがよくわかって、共感しました。
白組:それって、ヴィゴ・モーテンセンが好みですって話ですか?
紅組:間違いなくM好みの俳優でしょう。ほかにはエロとテロをかけあわせた「テロティシズム」なんて章があって、ベルトルッチの「暗殺の森」が取り上げられているとか。こういう映画評に肖ってみたら、というMのディレクションが込められているように感じました。
後攻:白組
現代マンガ選集『破壊せよ、と笑いは言った』『日常の淵』『悪の愉しみ』 ちくま文庫 2020年
白組:おそらく男子閑処でもっとも手に取られてるのがこれらです。それぞれ違う編者がついていて、名だたる漫画家たちの短篇ばかりで組まれています。用を足しながら一篇ずつ読めるので、憚読本としては最適ですね。
紅組:ちくま文庫の人気シリーズですね。もう8冊くらい出ているはず。『日常の淵』はしばらく女子閑処に置かれてたから、私も読んでました。つげ義春の「チーコ」とか、気持ちが暗くなる作品ばかり。全般的にガロ系の漫画家が多かったような。
白組:『破壊せよ…』も、ことごとくオチがなくてとらえどころがない作品ばかりです。マンガというものの枠組を壊しているというか。
紅組:千夜千冊『ねじ式』に、つげ義春のコマ割り力に、並みいるインテリたちがみんな引っかかったと書いてあった。このシリーズそのものが、そういう延長にあるような気もする。
白組:『破壊せよ…』のタイトルからして中上健次の小説のもじりですからね。「ちくま文庫」だし、総監修が中条省平さんだし、どこかブンガクマンガを揃えたいというキュレーションの意図が働いているのかもしれません。
★憚読判定
紅組:短篇漫画集が憚読本に最適というのはその通りですが、それは自分の家でもできることでしょう。あえて閑処で難渋な映画論を読ませるというのが、Mらしいはからいだと思うんです。
白組:強引な説得ですが、まあいいでしょう。意外な本に導いてもらえるということこそ、赤堤憚読組の特権ですしね。
■第3局 擬読VS淑読篇
先攻:白組
相田毅『もしあのBIGアーティストが〔文春砲にやられた〕歌詞を書いたら』 幻冬舎 2020年
紅組:こ、これは、完全に、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』の二匹目のドジョウじゃないですか。
白組:「焼きそば本」と同じ石黒謙吾さんのプロデュースです。今回は作詞家の相田さんが、超絶技巧的に作詞の「もどき」をしまくっています。
紅組:「もしあのBIGアーティストが文春砲にやられた歌詞を書いたら」、「葬儀でお経を聴いている歌詞を書いたら」、「ゴキブリ退治の歌詞を書いたら」。「焼きそば本」同様、やっぱり設定がぶっとんでいますね。
白組:登場するアーティストも、忌野清志郎、椎名林檎、井上陽水、米津玄師、ミスチル、NOKKO、西野カナなどなど20人の大物ばかり。
紅組:この顔ぶれなら、J-POPに疎い私でもおもしろさがわかります。
白組:それぞれのアーティストの歌詞分析をして、なりきりのためのポイントを列挙してくれているのもなかなかです。自分でも、もどき作詞の編集稽古をしてみたくなる。
紅組:椎名林檎は「ひと昔前の日活やATG映画のようなマイナーな物語を根幹に」、米津玄師は「モラトリアムの類語を検索し言葉を構築する」、ミスチルは「自分の中にジャスティスを感じながら言葉を起こす」。あはははは。なるほど、なるほど。
後攻:紅組
田中優子・小林ふみ子・帆苅基生・山口俊雄・鈴木貞美『最後の文人 石川淳の世界』 集英社新書 2021
白組:これはもしや、M宛てにきた献本の一冊ですね。
紅組:じつはイシス館3F閑処に置かれる本のうちの半分は、M宛てに毎日のように届く献本のなかから選りすぐられたものです。
白組:イシス館の女子組はみんな田中優子さんに私淑しているから、そういう配慮で置かれたんでしょうね。
紅組:それもあるでしょうけど、やっぱりこの帯にもある「絶対自由」というキーワードに感電してほしかったんだと思う。本書を企画した山口俊雄さんが「まえがき」に、「グローバリズムと新自由主義が世界を覆ったいまこそ、石川淳の“不服従”と“自由”の精神に学んでほしい」と書いています。
白組:田中優子さんが担当する第1章のタイトルも「絶対自由を生きる」ですね。
紅組:田中さんは学生時代に石川淳と出会ったことで江戸研究の道を目指されたんです。この文章からは、田中さんがいま改めて、石川淳が「江戸人の発想」を見いだすにいたった「自由を懸けた方法の闘い」を継承しなければならないということを、本気で考えているんだということがひしひしと伝わってきました。
白組:編集学校の「離」にも通じる話ですよね。いまMと田中さんが進めている岩波新書第三弾『昭和問答』でも、そのあたりの話が出ていますか。
紅組:いずれ出てくると思います。いまは日本の戦争をめぐって、こんなに深入りして大丈夫かと思うような話を交わしていますよ。
★憚読判定
白組:最後はかなり毛色の違う本で対戦しちゃったから、判定しにくいですね。
紅組:田中さんはMの盟友ですし、「焼きそば本」の皆さんにはMもすごい愛着があるようです。まあ、ここは無理せず「引き分け」ってことでいいんじゃないですか。
赤堤憚読組
Mこと松岡正剛の生態を誰よりもよく知るISIS館住人たちで結成。「千夜千冊」以外にMが遊んでいる意外な本を紹介するため、この企画を立ち上げた。
ゴートクジISIS館3階の男女別の閑処には、つねに数冊ずつの意外な本がそれぞれ置かれていて、用を足すいとま、スタッフの好奇心と読書欲を刺戟してくれる。その選本にはいったい何の謀りごとがあるのか、はたまた憚りがあるのか。普 […]